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戦国ちょっといい話

1 :人間七七四年:2007/02/23(金) 22:33:24 ID:OA17Uaqt
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

2 :人間七七四年:2007/02/23(金) 22:39:51 ID:h1u8d7l0
お前たぶん負けるから絶対喧嘩売るなよ! 一応兵糧やらの関係で邪魔にならない程度の兵を送ってやるから
そんな忠告を無視し無謀にも3倍の兵力に喧嘩を売りボロ負けして奮戦したものの武将1人死んで壊滅状態で帰ってきた自分の軍
普通はここでブチ切れるか見捨てるかなのに何も言わず更にはそいつがピンチに陥った時に大軍を率いて駆けつける・・

信長マジいい奴じゃん

3 :人間七七四年:2007/02/24(土) 02:05:11 ID:4R0Iz8uw
( ´゚ω゚` )

4 :人間七七四年:2007/02/24(土) 03:13:27 ID:mG1IIf9w
母里友信は黒田家臣。
無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。

5 :人間七七四年:2007/02/24(土) 07:03:58 ID:YLe8txzl
      ,.-‐''^^'''д
    ; '       ヽ
   .;' ヽ        ヽ
    ;   ヽ       )
    ; .,,  ノ ,.==-    =;   ☆
   ( r|  j.  'uー、  ,,.=f ∠
    ': ヽT     ̄  i  }         ___×
    ノ . i !     .r _ j /         \〜〜/
   彡 | \  'ー-=ゝ/ =ャ =ャ      ノ') |(ヽ
     人、 \   ̄ノ         / /. | |ク
-‐  ̄    ' ーイ ̄ー-- 、     ノ  入.|.|( }

 母里太兵衛(1556〜1645)

6 :人間七七四年:2007/02/24(土) 13:22:07 ID:zndyjgTw
>>2
信長厨って訳わからんところに感動するよなw
普通、信玄が対家康戦に全生命力を注ぎ込んだおかげで救われたと見るから、
何も言えるわけないだろ

7 :人間七七四年:2007/02/24(土) 16:51:46 ID:JkPtxOXy
>>6
お前は馬鹿すぎて泣けてくるよ

8 :人間七七四年:2007/02/26(月) 01:22:06 ID:HNOYswQm
真偽は定かではないが、上杉謙信と平井城主・千葉采女の娘の話はちょっと可哀想だなと思った。

9 :人間七七四年:2007/02/27(火) 09:20:20 ID:cYHNmDA6
8
どんなの?

10 :人間七七四年:2007/02/27(火) 11:15:54 ID:MbAiNPua
>>9
上杉謙信が関東へ遠征を行った際、上野平井城主千葉采女が降伏し、娘の伊勢姫を人質として送ってきた。
謙信は伊勢姫を目にした瞬間に心を奪われ閨房に入れようとした。伊勢姫も何かと気にかけてくれる謙信に惹かれていた。
だが重臣柿崎景家に「降将の娘を娶るのは傾国の元である」と諫められ、謙信は思いとどまった。謙信のもとに嫁ぐのは叶わぬ思いであると悟った伊勢姫は落胆し、青龍寺に入って剃髪しまもなく世を去ってしまう(一説には自害)。
これを知った謙信は深く悲しみ、生涯不犯の思いをより強くしたという。


何度も言うが真偽は定かではありません。

11 :人間七七四年:2007/02/27(火) 12:22:32 ID:4NuuaG+l
ちょっといい話をディープな話にしてどうすんの

12 :人間七七四年:2007/02/27(火) 13:29:28 ID:MbAiNPua
他に何かある?
大谷吉継の鼻水話?

13 :人間七七四年:2007/02/27(火) 15:02:56 ID:GgaN+b7M
信長が平手政秀を馬鹿にされたことに激怒した話とか

14 :人間七七四年:2007/02/27(火) 18:01:36 ID:dctY35Ay
里見義弘が女を取り戻す為に北条に攻め込んだって話を聞いたことがある。

15 :人間七七四年:2007/02/28(水) 23:33:11 ID:i+CRI3+R
>>14
そりゃギリシャでも有名な話だな。
10年たっても里見は小田原城を落とせず北条に勝てないでいた。
そこで巨大な木馬を小田原城の近くにおいて船で撤収。
北条軍は木馬についていた札を見て里見は撤退したんだと思い木馬を城内に入れてしまった。
勝利の宴が終わった真夜中に木馬から里見軍が行動を開始。
姫を救いだし、見張りを殺して近くに隠れてた里見の水軍を呼んで小田原は火の海とかした。

16 :人間七七四年:2007/02/28(水) 23:43:32 ID:cRMcc1rf
黒田長政 → 石田三成の陣羽織エピソード。

17 :人間七七四年:2007/02/28(水) 23:52:06 ID:bCEgIDWq
>>14
足利義明の娘、鎌倉尼五山の一位太平寺住持・青岳尼のことだろ。

実際は青岳尼を奪うためだけに鎌倉に上陸したわけではないようだ。
戦国恋愛物語として脚色されてるきらいはある。
詳細は(有隣新書「太平寺滅亡」三山進)でも読んでくれ。

18 :人間七七四年:2007/02/28(水) 23:53:20 ID:PobDX/OW
>>13
kwsk

19 :人間七七四年:2007/02/28(水) 23:56:47 ID:3obLOicD
備中高松城にて
隆景「マジでもういいよ。無茶すんな。」
宗治「だが断る!」

20 :人間七七四年:2007/03/01(木) 11:48:03 ID:XHQnjNAb
>>18

 これは近畿を平定し、信長の勢力が日に日に盛んになっていった頃のことである。

 近臣たちがへつらって「このように強大になるとも知らずに平手政秀が自害した(政秀は若い時の信長の素行
を改めさせようと諫死した)のは短慮でした」というと、信長は顔色を変えて怒り、「わしがこのように弓矢を執れ
るのは、みな政秀が諫死したことのおかげである。自分の恥を悔やんで過ちを改めたからこそだ。古今に
比類ない政秀を、短慮だというおまえたちの気持ちがこの上なく口惜しい」と言った。

 信長は事あるごとに政秀を思い出し、鷹狩りや河狩りに出たときなどは、鷹が捕った鳥を引き裂いては、その
一片を「政秀、これを食べろ」と言って空に向かって投げ、涙を浮かべたことが度々あったという。

21 :人間七七四年:2007/03/01(木) 16:30:59 ID:FQhm2BnZ
まぁ後世の創作の可能性が高いだろう

22 :人間七七四年:2007/03/01(木) 20:58:53 ID:PS1CVjIN
まぁ大谷の鼻水はガチでいい話
関ヶ原へとつながるわけだし

23 :人間七七四年:2007/03/01(木) 23:15:06 ID:0w4iNBRZ
花粉症の季節だから鼻水が出て辛いって話?>大谷の鼻水の話

24 :人間七七四年:2007/03/02(金) 06:45:06 ID:GEh3EBk4
あれ、そんな話だっけ?
まぁ戦国博士のおまえが言うなら間違ってないか

25 :人間七七四年:2007/03/03(土) 09:10:12 ID:c5VcC6v/
お前らw

26 :人間七七四年:2007/03/03(土) 13:02:10 ID:P7Zs6lZZ
今川・北条同盟によって塩を入手出来なくなった甲斐武田

そこに大谷の鼻水が…    〓 続く 〓

27 :人間七七四年:2007/03/03(土) 13:09:33 ID:P7Zs6lZZ
関が原敗戦で生け捕りされた石田三成。

「すまぬが湯をくれぬか、喉が渇いた」
「石田、これを飲め」
「おお大谷、かたじけない」

28 :人間七七四年:2007/03/04(日) 10:55:23 ID:jVKZdNQI
信長と小鹿のエピソードについて詳細きぼん

29 :人間七七四年:2007/03/04(日) 12:07:22 ID:dUJDTyK/
政宗と義姫が仲直りするエピソード

30 :人間七七四年:2007/03/04(日) 12:48:07 ID:tqBGfX9Y
>>28
グレート小鹿がなにか?

31 :人間七七四年:2007/03/04(日) 13:20:54 ID:VT1/aFd8
>>27
ちょwwwwww

32 :人間七七四年:2007/03/04(日) 20:08:46 ID:D7MrSMDk
信長が岐阜と京都を往来する間、不思議な物乞いを見かけた
体が不自由そうで、普通恵んでくれる人を求めて移動するはずなのにいつも同じ場所にいたので気になった信長は近所の者に事情を聞く
するとその男は先祖の罪(源義経の母を殺した)でそこから動けない物乞いだという
ある日、そこに立ち寄った信長は近隣の人々を集めて反物を与え、その物乞いの暮らしが立つようにしてやってくれと頼んだ
天下を左右する大名が、乞食一人にわざわざ情けをかける姿に人々はありがたいことだと言い合った
魔王と呼ばれる信長の意外な一面を現すエピソード

33 :人間七七四年:2007/03/04(日) 23:01:54 ID:r5gHPvox
大谷つながりで関が原の時の逸話を一つ。

藤堂高虎の軍に従軍していた藤堂高刑が吉継の小姓の湯浅五助を発見した時、
五助はうずくまっていたので勝負してみると五助は「待ってくれ。今、ここに主君の首を埋めたが、
主君の面容を敵に見せるは恥辱となるので埋めたのだが、私の首の代わりにここに埋めたことを秘して欲しい」
と頼んだのを高刑は「武士の面目にかけて他弁は致すまいぞ」と誓い、五助の首を取った。
このことを伏せ、主君の高虎に同行して徳川家康に見せると「五助ほどの者が主君の行方を知らぬはずがない。
もしかしたら五助は首を隠したのではないのか?」と聞くと高刑は
「私は知らない事はないが、五助と他弁をしないと誓って首を取ったので
このことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、私を御処分くだされ。」と言ったので家康は
「これほどの律儀者がいるとはな。首のありかを言えば高虎の手柄になる物を」と言って褒美を高刑に与えたという。


34 :人間七七四年:2007/03/04(日) 23:46:52 ID:xewO2Meq
無類の強さを誇った島津義弘も
晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
そこへ家臣の1人が「殿、戦で御座る!!」と告げると
城外で一斉に兵たちのトキの声が聴こえてきた

すると、今まで寝込んで起き上がれずにいた義弘の目がクワッと見開き
1人で起き上がり飯をたらふく喰らったという。

勿論、戦というのは、義弘を奮い立たせようとした家臣たちの嘘だった訳だが
老いても戦と聴くだけで奮い立った義弘の凄まじさが垣間見える逸話だね

35 :人間七七四年:2007/03/04(日) 23:56:14 ID:A0ndiNtv
小田原で秀吉と利家がマジ喧嘩
それ見て政宗がドン引き

36 :人間七七四年:2007/03/05(月) 00:06:30 ID:mVrxP8Ch
政宗がドン引きってどんな喧嘩したんだろう

37 :人間七七四年:2007/03/05(月) 02:33:44 ID:kkU1I50N
>>34
粋な家臣達だなぁ・・・

38 :人間七七四年:2007/03/05(月) 09:34:52 ID:Cm9vwNwe
井伊直政と大久保忠世の芋汁

39 :人間七七四年:2007/03/05(月) 19:19:55 ID:YoQFh5Tn
>>36
江守さんと中尾が収録中に大喧嘩で 若手有能ディレクターがパニクるようなもん
(昔ながらの人は またかw と思うだけ)

40 :人間七七四年:2007/03/05(月) 19:26:41 ID:daS9Iu1D
>>39
何だ面白い喧嘩かよw

41 :人間七七四年:2007/03/05(月) 23:38:18 ID:ekD+ugRz
そもそもいい話ですらないなw

42 :人間七七四年:2007/03/05(月) 23:58:58 ID:4RBUXT6r
創作だけど

輝宗「政宗!わしに構うなー!撃てえぇぇー!!!」
カッコよすぎだと思う

43 :人間七七四年:2007/03/21(水) 03:59:50 ID:aN0Yi7WS
今ローソンで買ってきた「お手軽ネバトロうどん」食ってて大谷吉継の鼻汁茶の話を思い出したが、あの話ってお茶飲んだのって三成?
前に何かの小説で秀吉が飲んだって読んだ気がしました。

44 :人間七七四年:2007/03/21(水) 04:30:10 ID:hUe+Togh
>>43
もうトロロうどん食えなくなっちゃった・・・・・

45 :人間七七四年:2007/04/19(木) 00:30:55 ID:tB+DVSdj
両方のパターンがある

46 :人間七七四年:2007/05/22(火) 17:09:28 ID:cdSjjlts
俺は三成説を聞いた

47 :人間七七四年:2007/06/24(日) 19:57:52 ID:VuJsiU9T
>>42
実際は

輝宗「うわー、俺拉致られた」
政宗「ヒヒ…撃てぇっ!」
輝宗「ちょっ…ぐわぁー!!」

だったけどな。

48 :人間七七四年:2007/07/13(金) 16:08:51 ID:Tmh1Ql+l
>>16
馬鹿すぎる。。
オマエは本当に馬鹿なんだな。。
どこがいい話しなんだよww

49 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/06(月) 02:30:52 ID:O+SFZHhX
宇喜多直家が毛利から離反する際、毛利方に人質として預けておいた
家臣戸川秀安の息子孫六を助けたこと。

50 :人間七七四年:2007/08/07(火) 15:20:55 ID:Oa7Kwbjr
立花宗茂はちょっといい話がてんこ盛りの人物だよな
黒門の戦いとか、唐入りで小西救援とか、関が原後の島津と合流とか

51 :人間七七四年:2007/08/19(日) 07:32:34 ID:zqsfKVqu
その良い話を詳しく書いてほしい

52 :人間七七四年:2007/10/06(土) 12:33:47 ID:mnWlNcj/
良スレ保守


53 :人間七七四年:2007/10/10(水) 15:28:25 ID:oGz26LwK
良スレだからあげ

54 :人間七七四年:2007/10/11(木) 16:26:21 ID:HzmBeWdw
いい話しもってる人教えて下さい。このスレみると、ぐっとくるから。

55 :人間七七四年:2007/10/11(木) 16:53:18 ID:oxcwdwVP
「結局戦なんて運なんだよ。個人的武勇の差なんてそんなにある訳がない
今に見てろ。今日一つも首を挙げられなくとも、次は十も首を取れるぞ」

そうして慰められた奴が見事武将を討ち取り刀を授けられましたとさ



…別にいい話じゃねぇな




56 :人間七七四年:2007/10/11(木) 17:09:32 ID:HzmBeWdw
それは、なんというか、いい話しだけど、けんしんがしんげんに塩おくったみたいな具体的な話しじゃないけど。

きっとみんなそうやっていいあっていきてたんだろうね。

57 :人間七七四年:2007/10/14(日) 04:28:11 ID:unPCZziN
にんげんっていいなぁ

58 :人間七七四年:2007/10/16(火) 22:53:45 ID:AbgAATqf
九州征伐〜自害までの島津歳久。

特に自害の時、兄の義久が放った追手がなかなか自分を殺してくれないので
自分で腹を切ろうとしたんだけど病気で刀が握れなかったから
そこらへんの石で頭をぶってみたけどやっぱり死ねなくて、しかもむちゃくちゃ痛かった。
その時に
「女性は子供を産むとき、死ぬような痛みを味わう。自分の死後はその痛みを少しでも和らげてやりたいものだ」
と言ったという。


59 :人間七七四年:2007/11/02(金) 22:55:40 ID:iTfQMC59
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60 :人間七七四年:2007/11/02(金) 23:02:16 ID:Ypc2+khU
織田軍が行軍中の路傍で農民が横になって爆睡していた。
信長の横にいた家臣がその無礼を怒り殺してやる!といきり立つと信長はそれを止め「何の不安もない民のくらし…わしはあのような平和な国を作りたいのだ」と言ったと言う。
それを寝たフリをして聞いていた農民の顔は猿顔だった。


61 :人間七七四年:2007/11/02(金) 23:24:03 ID:+syzwGFg
福島の家来が宇喜田に酒やった話は?

62 :人間七七四年:2007/11/02(金) 23:33:21 ID:KtETW5PH
江戸に向かう船から島と人影見つけて
その家臣が酒持って海に飛び込んで

「船より泳いで参った!」

っていう奴か

63 :人間七七四年:2007/11/02(金) 23:49:39 ID:Ypc2+khU
郡山城には人柱の代わりに百人一心の石碑が埋まっている。
伊達輝宗の遺徳を慕い殉死が相次いだ。その中には低い身分から異例の出世をした者もいた。
謙信が佐竹義重の武勇をみて「我が武略を真に継げる人物はあなただけです。この長刀は老後に杖として使うつもりでしたがあなたに託そうと思う」と言って刀を贈った。
しばらくして手取川で織田軍5万を2万で破った謙信は死去した。義重はこの宝刀を大切に想い武神の魂としていつも手入れを欠かさなかった。
義重もいつしか歳をとり息子の義宣に我が武略の魂として長刀を与えた。
少し経ってから義宣に会った義重は何やら見た事がある刀を見かけて不思議に思って聞いてみた。「なんだその刀は見た事あるな?」
すると義宣はニコニコしながら答えた。「あぁこれは過ぐる日に父上からもらった長刀です。なんか長すぎて柄に収まりづらくて使いづらいから短く切断しました♪だいぶ使い易くなりましたよ!」
それを聞いた義重は悲しい表情をして空を仰いで「あぁ我が武神も去ったか」と嘆息した。その後義宣は常陸一国から転封され出羽秋田に飛ばされた。

64 :人間七七四年:2007/11/03(土) 12:13:20 ID:2G+Lmnvj
>>63
それがかの有名な「小豆長光」なんですか?
だとしたら哀しすぎる。・゜・(つД`)・゜・。

65 :人間七七四年:2007/11/04(日) 01:33:49 ID:luPKBsQo
ニコニコしながらではそんなふうになるのも無理はないな。

66 :人間七七四年:2007/11/04(日) 03:36:49 ID:RhVo/1S4
まあ、その頃の武者達も長い古刀を扱いやすいように短くしていたのは事実だが、
一国の大将が扱い易さを優先って・・・。

大将が刀持って戦う時点で負け戦な訳で・・・。

67 :人間七七四年:2007/11/04(日) 05:00:54 ID:ZvUB45gz
>>66
たしなみとして大名が剣術をやるのはおかしいこととは思わんが

むしろ自ら切りかかって北条勢を七人だか討ち取った義重のほうが実際は・・・
関ヶ原の時も義重が口出ししたせいでどっちつかずな態度になってしまったしな

68 :人間七七四年:2007/11/04(日) 05:30:53 ID:fpD70y5F
>>66
それやる人の違いで受け取られ方も違うんじゃない?
家康とかなら常に対処を怠らない例とかにされそう

69 :人間七七四年:2007/11/04(日) 06:50:59 ID:eBU6j+Zb
やっぱ北条家の汁かけ飯の話が好きだ。

70 :人間七七四年:2007/11/04(日) 21:27:50 ID:fWaDnDwh
それ、いい話なの?


71 :人間七七四年:2007/11/05(月) 01:20:58 ID:Nbjn+SO4
そして秀吉は北条の滅亡を教訓とし串カツのソース二度漬けを禁止した。

72 :人間七七四年:2007/11/05(月) 17:46:22 ID:JDHDPfjo
>>70
計画を随時見直す器量があるって話だろ。
高度経済成長期の高速道路計画を当初の計画通り引きたがっている奴に見習わせたいね。

73 :人間七七四年:2007/11/06(火) 00:14:44 ID:Xp6d4DlA
>>71
秀吉なら味噌カツのほうが好きそうだがw

74 :人間七七四年:2007/11/29(木) 23:18:41 ID:PiLPkE9l
age

75 :人間七七四年:2007/11/30(金) 02:39:49 ID:Lt9E0FqU
>>63
郡山城の石碑は百万一心じゃなかった?

76 :人間七七四年:2007/12/05(水) 07:36:52 ID:aUdSVvTA
謹慎中の加藤清正が伏見大地震の時、
伏見城に秀吉の安否を気遣い駆けつけた話。

又、その時のねねの放った言葉
『でかしたぞ 虎之助』


77 :人間七七四年:2007/12/07(金) 08:25:01 ID:rXtkUlcR
ageるでござる。

78 :人間七七四年:2007/12/07(金) 20:15:24 ID:QgR+6BKz
北条早雲が可愛がってた小鹿のために大勢ではるばる小田原まで
捜しに来た話は泣けた

79 :人間七七四年:2007/12/07(金) 21:04:36 ID:MxNDvGJG
蒲生氏郷はよい

80 :人間七七四年:2007/12/14(金) 08:17:54 ID:dZDUB2DK
あげ

81 :人間七七四年:2007/12/14(金) 21:19:54 ID:iPdqIKGe
信長がいい奴に見えるってのは、不良がたまにいい事をしたらすごく善人に見える心理に近い

82 :人間七七四年:2007/12/14(金) 21:28:52 ID:+u5ssGaf
後藤信康と原田宗時の逸話はいいと思いますた

83 :人間七七四年:2007/12/15(土) 00:40:15 ID:23irqrVa
山中鹿之助のトイレの話は?
子供の時に歴史漫画読んで感動した

84 :人間七七四年:2007/12/16(日) 01:17:46 ID:ZgFpHUs7
あげ

85 :人間七七四年:2007/12/16(日) 11:48:57 ID:XHoSdCcR
関ヶ原のあと、黒田長政が石田三成に羽織をあげたこと

86 :人間七七四年:2007/12/16(日) 17:08:09 ID:jUyV9Epl
 天正十年の中富川合戦は、土佐から進攻してきた長宗我部元親と、十河存保を主と仰ぐ阿波三好軍団が死力をつくして対決した四国では最大の激戦であった。
敗色が濃くなった三好方の武将加賀須野与一高房は、追手の土佐勢から逃れるため、中富川に架かる橋の下に身を隠していたが、激戦つづきで風邪をひいていたので、
どうしようもなく咳き込んでしまった。橋上の土佐勢はすぐさま高房を捕えて首を刎ねたのであった。高房は死に臨んで「拙者は咳を止められず敵の刃にかかるが、
死後は咳で苦しむ人々を助けてやるのだ」と遺言したという。いまも咳止大明神はその地に祀られ、「せきどめさん」として親しまれている。

87 :人間七七四年:2007/12/16(日) 17:38:05 ID:y8htaFRT
屁のツッパリとしか思えん。

88 :人間七七四年:2007/12/16(日) 19:03:55 ID:jUyV9Epl
そういうなよ、

89 :人間七七四年:2007/12/16(日) 23:36:36 ID:jW4n4EPS
島津家臣 新納武蔵守忠元
鬼武蔵と言われた猛将だが戸次川の戦いのさい敵将長曽我部信親を討ちとるが長曽我部の家臣谷忠澄が遺体の返還を願い出ると涙を流しその遺体を返還した
更に岡豊城まで僧を同行させた。


90 :人間七七四年:2007/12/17(月) 02:45:39 ID:NV4bBqEi
鳥居強右衛門の最期。

91 :人間七七四年:2007/12/17(月) 16:07:41 ID:GuWE6vdG
◆四国平定をめざす土佐の太守長宗我部元親は、
阿波へ侵攻したものの、新開道善が拠る富岡
(牛岐)城を攻めあぐんでいた。知勇兼備の
新開道善を降すには謀略しかない、と考えた元親は、
丈六寺において和談を開きたいと持ちかけた。
これに応じた新開道善は「四国平定のあかつきには
阿波のうち勝浦郡を与え、富岡城を安堵する」という
土佐側の条件を容れて両軍の和睦が成立した。
新開主従は土佐側のもてなしを受けてすっかり油断。
気持ちよく酔って城へ戻ろうとしたところを、
床下に隠れていた元親の刺客が主従を襲った。
謀られた、と新開道善たちは覚り、
数にまさる敵兵相手に勇戦したが、
たちまち全員斬り殺されてしまった。
この時、縁の板に血痕が飛び散り、
あとで拭っても拭っても落ちない。
そこで、縁からはずして、天井板にしたのだ、という。
新開忠之(道善)墓碑には「天正九年十月十六日」のことと刻まれている。
◆寺内を貫くように走る県道(堤防道路)の道沿いに
新開道善の廟所がある。現在では「禁酒の神さん」として親しまれ、
御神酒徳利を供えて願かけをする人もいるそうである。


92 :人間七七四年:2007/12/23(日) 00:48:27 ID:H4vgtw/D
さて、出羽国横手城主小野寺義道は、武勇あるも政治に疎く関ケ原において
仇敵最上義光と争い西軍についたことにより改易され石見国津和野に流された。
配流先津和野の領主は宇喜多家の一族である坂崎直盛である。
後に坂崎直盛は大阪の陣で戦功をたてるものの、その件(俗に言う千姫一件)に
よって自害、改易となった。

坂崎直盛の十三回忌、彼の墓を立てた者こそ、誰あろう小野寺義道であった。
江戸幕府により取り潰しにあった者の墓を建てる者などなかなかいる者ではない。
配流時代に遇してくれた坂崎直盛の恩に報いるためのことであった。

後に、小野寺一族は津和野の新領主亀井氏の臣下となり厚く遇されたという。


93 :人間七七四年:2007/12/24(月) 13:17:39 ID:+XnDSDjr
立花宗茂の実父高橋招運は息子宗茂が守る堅固な立花山城に撤退するよう
に勧められるも小さな岩屋城で700かそこらで島津の大軍相手に奮戦し
時間を稼いで全員玉砕。息子宗茂も島津軍を長期戦に巻き込み、豊臣軍の
九州上陸で撤退する島津軍への猛攻に繋げた話は泣ける。父招運の自己
犠牲が息子宗茂の運を招いた。
宗茂は関が原には西軍で参戦し(後方の為に無傷)撤退の際にボロボロの
島津軍と一緒になり「この機会に父上招運様の仇を討ちましょう。」と進言
する家臣の意見を退け、島津軍を警護して無事に九州まで送り届ける。その
後、東軍側から攻められた宗茂を救援する為に島津が援軍を送った話も良い
話では。

94 :人間七七四年:2007/12/24(月) 13:43:21 ID:04yOinvc
立花道雪さえ生きていたら…

95 :人間七七四年:2007/12/24(月) 14:25:22 ID:5763bfxN
石田三成と家臣の話。

96 :sage:2007/12/24(月) 16:08:33 ID:viy/F7Oi
あはは

97 :人間七七四年:2007/12/24(月) 16:10:06 ID:viy/F7Oi
むふふ

98 :人間七七四年:2007/12/24(月) 18:03:21 ID:5mDCIZ6z
>>96-97
死ねゴミ

99 :人間七七四年:2007/12/24(月) 18:37:43 ID:mDspgypy
義弘が、自分の息子の名前を兄弟的な意味で愛していた『家久』にしてもらった、というのも良い話ではなかろうか。
最も、毒殺した後ろめたさから、ともとれるけどね。

100 :人間七七四年:2007/12/25(火) 01:40:26 ID:OuFMrWFB
>>99は壮絶な釣りか?

101 :人間七七四年:2008/01/04(金) 00:24:23 ID:nSXe2Dkn
豊後日出藩で伝えられる豊臣秀頼の遺子国松丸の話はどうでしょう?
初代木下延俊(ねねの甥)は遺言で日出藩3万石の内、1万石を嫡男俊治の弟
延由に分け与えるように江戸家老長澤市之丞に告げるが長澤は「かしこまり
ました。5千石を延由様に分けます。」と答え「違う1万石じゃ。」と主君
から言われるも「5千石確かに承りました。」と応えるのみで、遺言として
5千石を延由に分封した。
日出藩では延由は島津に助け出された秀頼が一子「国松丸」を延俊が自分の
子として匿っていた。との言い伝えが有り、その真偽は定かでは無いが長澤
市之丞は主君延俊の死後22年を経て徳川幕府から正式に延由の分封を認め
られるのを見届けると「切腹」して自ら命を絶っている。
日出藩3万石の内1万石までの分封で幕府から見咎められるのを恐れ、遺言を
変えて5千石にし、朱印を幕府から頂く事で自らの役割を果たし主君の命に背
いて5千石減らしたお詫びに切腹したのではなかろうか?
ちなみに幕府へ「延由」を延俊の弟「延次」として申告している。

102 :人間七七四年:2008/01/04(金) 00:46:13 ID:kdHssbqW
>>34
これ凄い好き。

「義弘晩年の平和な一日」

みたいな内容で、三谷幸喜さんに脚本書いて欲しい。

103 :人間七七四年:2008/01/05(土) 15:45:47 ID:JkiTRbTO
>>92
これは本当にいい話だな。柳生宗矩といい。坂崎は人望はあったんだよな。

104 :人間七七四年:2008/01/21(月) 10:27:27 ID:phXkk6ot
良スレあげ

105 :人間七七四年:2008/01/21(月) 16:25:15 ID:HJZ6a2SQ
松永久秀と三好三人衆は12月25がクリスマスだったため停戦をした

106 :人間七七四年:2008/01/21(月) 20:08:34 ID:D4r7+gMv
>>105
『殿〜!今宵は栗酢益で御座いマス。』

『うむ!ならば休戦じゃ!足袋を用意せい!』



全米が鳴いたわ…。

107 :人間七七四年:2008/01/21(月) 20:36:51 ID:CaFm7dar
どっちも家臣に切支丹がいたからな
停戦中に初めて日本でクリスマスパーティが開かれたのは有名な話

108 :人間七七四年:2008/01/21(月) 21:57:07 ID:DQPDiV4b
>>105-107
ネタかと思ったらマジなのか

109 :人間七七四年:2008/01/21(月) 22:06:54 ID:ckQxaEiA
日本史上初の事だからな

110 :人間七七四年:2008/01/22(火) 00:02:17 ID:6wQKnb20
大受はガチ力士だった。
大関に昇進したとき師匠の三根山は
「大受は良くしゃべったかい?そうか、そうか、なんのやましいこともないんだからね」とポロリ

111 :人間七七四年:2008/01/22(火) 00:12:33 ID:6wQKnb20
天性の正直者
千代の富士連勝中・・
アナ「この連勝はどこまで続くんでしょうね・・。
大鳴門親方(故人)「止めるっていっても、ガチンコの大乃国しかいないんだからね・・。」
おかげでその後二度と解説に呼ばれなかったらしい。

麗しき師弟愛
板井
大鳴戸親方は、「すまなかった・・・俺の力がないばかりに」と謝ってくれた。
私は、入門以来親方の事を増悪した事もあったがこの一言を聞いて許してあげる事にした。


112 :人間七七四年:2008/01/24(木) 21:49:53 ID:8FNmf2rq
>>108
ただ、色々説はあって、久秀の相手は三人衆だったり義継だったり
後、一時期信長と争った際にもクリスマス休戦があったとか(これは日付的に無理があるが)

初めてっていうのは大内氏領内っていう異説もあり

113 :人間七七四年:2008/02/05(火) 23:33:03 ID:k5mX57XW
良スレ期待age

114 :人間七七四年:2008/02/06(水) 00:24:00 ID:nSI9whPX
男色に興味がなかった秀吉に家臣達が美少年をあてがった話
「姉か妹はいないか?」

115 :人間七七四年:2008/02/07(木) 18:32:25 ID:VLBPkDDt
>>20遅まきながらそのエピソード出どころ確認しました ちゃんとした資料なんだな
他にも死んだ平手の事をなじった家来を強く叱責する話もありますね
平手政秀の息子(孫?)を家康へ援軍として送り討ち死にさせてしまった信長の無念が聞こえてくるようです

116 :人間七七四年:2008/02/07(木) 22:34:34 ID:xDk3rSLG
長宗我部元親は阿波の中富川で三好(十河)勢と決戦をした。
紀州の雑賀衆は元親に味方して、二千余の兵を援軍として送ったが、海が荒れて遅刻。
ついたときは、戦いが終わり、三好方の勝瑞城も落ちていた。
雑賀衆は遅参を恥ずかしがり、
「これから讃岐の三好方の城を攻めにいく」
といったが、元親は、
「志はうけとった。海をこえてはるばる来てくれたというだけで、十分にありがたいし、嬉しい」
といい、新たに阿波から紀伊にかけての海上の警備をたのんで雑賀衆を帰した。
そのさい、米二百石と馬、鞍、太刀、脇差しなどを、援軍のお礼として雑賀衆に与えた。
(南海治乱記)



117 :人間七七四年:2008/02/08(金) 11:23:23 ID:XFDlxjNE
近年まれにみる良スレ

118 :人間七七四年:2008/02/08(金) 14:03:57 ID:ynMgaej+
>>116
その雑賀が、本能寺前には織田方に付いてたのは皮肉だな。

119 :人間七七四年:2008/02/08(金) 14:18:16 ID:OmMwztJ8
>>111
の話はネタではなく本当にあった話だ。
正確には「止めるといっても、一人しかいないんだから・・・」
アナ「・・・」

120 :人間七七四年:2008/02/09(土) 18:48:15 ID:br4oOdDz
関ヶ原の合戦後、立花宗茂は大名から浪人に転落した。
かねてより宗茂と新興があった東軍の大名のなかには彼の武名を惜しんで、
召し抱えたいというものも多かったが、宗茂はそのいずれも丁重に断った。
彼は、
「我が身惜しさに、太閤との誓いを裏切り、親しき友を討つようなものたちの仲間入りはできない」
といった。
そして、
「わしは天に誓って、わが生き方を恥じておらぬ。天運あれば、きっとふたたび立花の名を興す時がこよう」
と家来たちには言った。
しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
宗茂は肥後を追われ、京都、江戸と転々と住まいをかえて、流浪した。

江戸の高田、宝祥寺の一隅を借り住まいとしていたころのことである。
宗茂が国もとを出たときの路銀はとうに消え失せ、主従は日々の米にこと欠いていた。
由布雪下、十時摂津ら、宗茂の家来たちは槍、甲冑も売り払って金銀を得たが、それでもなお食えない。
彼等は、宗茂に隠れ、傭われ人足や托鉢僧、ひどいものは乞食に身をやつして銭をかせぎ、なんとか日々を暮らしていた。



121 :人間七七四年:2008/02/09(土) 18:48:59 ID:br4oOdDz
ある時、寺の檀家が、宗茂らの困窮を知って、炊いた飯をわけてくれた。
由布雪下らはありがたくそれを頂き、その飯で干飯をつくることにした。
干飯とは元来は陣中食であるが、平和な時代は、食べるものに無いときの備蓄食である。
つくりかたは単純。日に飯をさらして乾燥させるだけである。
秋晴れが続き、江戸ではしばらく雨がふっていなかった。
これならば大丈夫、と、由布らは、飯を干したまま、いつものように宗茂ひとりを寺に残し、みなで人足の仕事をしにいった。
ところが。
どういうわけが、この日にかぎって、天に雲わき、午後、にわかに雨がふりだした。
人足仕事は雨のために早く終わった。
由布や十時ら急いで、寺にもどった。
道すがら、
「しまったぞ」
 と十時摂津がいった。
「飯はダメになってしまうだろうな」
 十時は朝鮮・碧蹄館の戦さで武名をあげた男だが、このときは干し飯のこと頭がいっぱいであった。
雨にぬれれば、干し飯は食べられなくなる。それは一大事であった。
 そして、この心配は十時ひとりのものではない。ほかの家来たちもそうだった。
「大丈夫だ」
 と家来のひとりが十時だけでなく、自分をも励ますようにいった。
「殿は聡いかただ。この雨をみて、きっと干し飯を屋敷のなかにしまってくれている」
 そのとき、最年長の由布雪下が、
「馬鹿なことをいうな」
 と叱った。
「馬鹿なこと?」
 十時や家来たちは驚き、由布に問い返した。
「そうじゃ」
 由布は言う。
「大将は雨をみて、兵を考え、民を思うものじゃ。殿は大明まで知られた日の本一の大将ぞ」
 もし、と由布はしわがれ声をくぐもらせていった。
「目前の干し飯などという些事に心を奪われるようでは、殿の人品、地に落ちたのじゃ」
 十時らは黙った。
「もし、そうであれば、立花の家が再び天下に立つ日などない」
「そのとおりじゃ」
 十時は顔をあらためた。
 他の家来たちも、みな静かに深くうなずき、みな一様に暗く、神妙な顔になった。
 祈るような気持ちで、家来たちは、寺の門をくぐった。
 雨は激しさをましていた。
 萩の花のさく庭をみた。
 板の上のならべられた握り飯は雨にうたれている。
 みるも無惨に崩れ、あるいは流れ、地面におちて、泥にまじっていた。
 家来たちは呆然としてそれをみたあと、屋敷のほうへ顔をむけた。
 そこでは宗茂は端然として書見をしていた。
「殿!」
 十時が吠えた。
 大きな身体をふるわし、手を雨の中にあげ、万歳、とさけんでいた。
 ほかの家来たちも声をあげて叫び、笑った。濡れた飯をすくいあげて、雨になげるもの、抱き合って泣きあうもの。
 宗茂はわずかに顔を庭にむけると、書見をやめた。立ち上がった。
「爺」
 といった。
 ひとり、天を仰いでいた由布雪下がその声に、その皺と戦さ傷だらけの顔をむけた。
「なんだ、みなは、雨がそれほどうれしいのか?」
「そうですな」
 由布の頬に涙が雨とまじっている。
「うれしいですわい」

122 :人間七七四年:2008/02/09(土) 19:09:56 ID:br4oOdDz
すんません
誤字です。

120
新興→親交

123 :人間七七四年:2008/02/09(土) 19:46:33 ID:zObmg3rQ
いい話だね  家康だけはけっして許さない

124 :人間七七四年:2008/02/09(土) 20:52:51 ID:wjBTXWHo
武将の奥さんとのいい話エピソードって意外と多いよね。
前述の立花宗茂の父親・高橋紹運があばた面になっても結婚を迫った話とか。
明智光秀も似た様な話あったしなぁ。

125 :人間七七四年:2008/02/09(土) 21:54:26 ID:QCD0h5Rq
>>120-121
宗茂は名将だが坊ちゃん育ちで生活力が無かったらしいから、
家臣も苦労したんだな・・・。


126 :人間七七四年:2008/02/09(土) 22:51:35 ID:lGoZtsvn
米が足りなくて、せめて体積を増やそうとお粥みたいにして出したら、
「お腹壊してないからこんなにしなくて良いのに…」とか言ったらしいしな、宗茂。
まあ、大人物だよww

>>123
でも旧領にもどしてくれたよ。

127 :人間七七四年:2008/02/09(土) 22:59:32 ID:PGBpABlL
家臣が養うってのも珍しいな。
大半は内職するか、親族の仕送りで凌いでたのに。
伊東さんみたいな人もいたけど……

128 :人間七七四年:2008/02/09(土) 23:15:50 ID:Jff7NhoL
伊東さんは頭一つ下げれば息子みたいに秀吉に捨て扶持貰えたのに。

129 :人間七七四年:2008/02/11(月) 00:58:35 ID:SNhucDVi
土佐の長宗我部元親は、若いころ、姫若子といわれるほど華奢で、立派な体格ではなかったが、大の相撲狂だった。
見るのが好きなのだ。どれくらい好きかというと、毎年、土佐国分寺の十七夜の法会に、土佐中の力自慢をまねいて相撲大会をひらかせていたぐらいである。
その元親の耳に、「相撲日本一」の名をうけた男がいる、という噂がきこえた。
(だれが日本一と呼んだのかはわからないが、信長もかなりの相撲好きだったので、
あるいは信長がそう名付けたのかも知れない)
和泉の住人、小島源蔵という男である。
元親は彼を土佐の岡豊に招いた。
(土佐には大男が多いときき、小島から出向いたという話もある)
土佐の男たちも興奮した。
「源蔵を倒せば、わしが日本一じゃわい」
と、みな腕まくりして、前浜にやってきた。
しかし、源蔵の姿をみて、多くが戦意喪失した。
元親に実際に仕えた高島孫左右衛門の「元親記」によれば、
この源蔵、190a近い大男で、しかも肥満し、ふつうの人の二倍の大きさの袴をはき、
歳のころは二十七、八だが、四十歳に老けてみえたという。
(老けてみえることが、当時は強さのバロメーターだったのか?)
それでも、何人かは実際に相撲をとった。
これが、子供が遊ばれているようで、全く歯がたたない。



130 :人間七七四年:2008/02/11(月) 01:00:14 ID:SNhucDVi
元親は家臣たちを招き、緊急で評定をひらいた。
戦さではない。相撲についての軍議だ。
「わざわざ土佐者の武勇をきいて相撲をとりにきたのに、相手になるものがいないといって、
このまま源蔵を帰すのは無念である。ましてや、武勇で知られた我が家で、
だれひとり敵わないとなったら、家の名が廃る。どうにかならんかの」
「さようですな」
家老たちは真剣になった。
そのころ、家中で身体が大きく、腕っぷしの強い侍といえば、
「荒切り」で有名な江村備後、その甥の江村右兵衛、や久万豊後、岩神三郎衛門らがいた。
このうち、一番背丈が高く、力が強いのは、江村右兵衛である。
「右兵衛の武勇は家中一です。彼が勝てぬなら、誰もかてませぬぞ」
とみな言った。
ところが、その右兵衛が青い顔をしていった。
「勘弁していただきたい」
「なぜじゃ」
 と元親。
「拙者の家は長宗我部家の家老職でござる。もし、負ければ、お家の名に傷がつきまする」
「相撲は戯れ言じゃぞ」
「しかしながら、源蔵は天下をまわって相撲をとっている男でござる。天下の大名に、
拙者の負けがしられ、お家の名を汚すのを畏れるのです」
 そのとき、末席にいた久武兵庫という若い武士が、
「ならば、私がやりましょう」
 といった。
「おまえがか」
 久武は武勇の士だが、小兵である。しかも、久武の家も、江村と同様、
家老職であった。
「自信があるのか」
「ああいう大男は、力にたよって、技をしりません。先に相手の腕をつかめれば勝機はあります」
 元親は半信半疑だったが、しかし、面白い勝負がみられる、というのなら、それでよい。
「よし、やってみろ」
 といった。

 そのとしの夏、八月十八日。
 岡豊城下の犬の場において、相撲大会が開かれた。
 行事は元親の家中きっての猛将・福留隼人である。
 源蔵は数人と相撲をとった。しかし、誰も歯が立たない。
 そのうち、久武兵庫の出番となった。
 源蔵は兵庫が小さいのをみて、もろ手をあげて掴みかかった。
 兵庫はこれをかわし、手足で相手をあしらい、間合いをとって、
 土俵のなかをぐるぐるとまわった。
 源蔵がさらにつかみかかった瞬間である。兵庫は相手の手首をつかむと、
 そのままひねりあげ、足をかけて、一気に転ばせた。
 それがちょうど元親の目の前であった。
 
 元親はさすがに喜悦をそのまま顔にださず、むしろ敗れた源蔵の大力をほめたが、
あとで兵庫をよびだし、
「戯れ言とはいえ、勝負じゃ。あっぱれ、見事だったぞ。家の面目もたもてた」
といい、知行を増やした。
ただし、元親はちゃっかりしていて、
「これでそなたが日本一だが、今後は相撲をとるな」
「なぜです」
「そなたが、日本一ときいて、また相撲を挑むものがあらわれる。一度、二度は勝てても、そうそうは勝てぬだろう。
勝ち逃げすれば、相撲が日本一強い大名は、長宗我部じゃ」


131 :人間七七四年:2008/02/11(月) 01:31:07 ID:Une0k/aI
↑別にいい話では無いようだが?

132 :人間七七四年:2008/02/11(月) 10:35:09 ID:507szaCj
だが面白かったよ。

133 :人間七七四年:2008/02/11(月) 16:19:28 ID:IwG0y4p/
うむ、もっといろんな逸話を聞きたいな

134 :人間七七四年:2008/02/11(月) 21:13:22 ID:xbBW0jk6
織田信長と松永久秀はクリスマスを理由に一時休戦したらしいなw
ちなみに仲介したのはルイス・フロイスだとか。

135 :補足:2008/02/11(月) 21:16:44 ID:xbBW0jk6
ちなみに>>134は信長とじゃなく三好三人衆と、って説もある。
どちらにせよ、一方の当事者は久秀。

何かイメージに合わないw

136 :小林健悟 ◆J0KKAAAa3U :2008/02/11(月) 21:41:11 ID:K5pSj+CA
松永久秀はキリシタンだったのかもね。
織田信長も宣教師と友好保ちたいのを知ってて、
久秀はルイスフロイスに頼んで休戦したのかな。

137 :人間七七四年:2008/02/11(月) 22:02:23 ID:angnrTkj
クリスマスを祝う松永久秀
なんかいいなあ

138 :人間七七四年:2008/02/11(月) 22:21:43 ID:OfmLqPRJ
 

139 :人間七七四年:2008/02/11(月) 22:24:52 ID:OfmLqPRJ
 

140 :人間七七四年:2008/02/12(火) 00:50:46 ID:1eppAz3k
松永はキリシタンを迫害してるじゃん。むしろ三好三人衆のほうが
キリシタンに友好的な態度を示している。

141 :人間七七四年:2008/02/12(火) 02:03:01 ID:5Josafzy
茶道とキリスト教は深い関わりがあるという話だからありえんこともない。

142 :人間七七四年:2008/02/12(火) 13:24:58 ID:Ae8IrA+b
賤ヶ岳戦の終了後、怪我をしていた佐久間盛政が褒美狙いの農民に捕らえられ引き出された
縄を打たれた盛政を見た秀吉は慌て、繰り返し謝罪し縄を解くよう御側衆に命ずる
秀吉は賤ヶ岳の盛政采配に感激し家臣になってくれと二時も口説き続けた
秀吉 「加賀、越後、関東好きなところをやる。頼む俺の家臣に加わってくれ」
盛政 「筑前殿の計らい誠に嬉しく思いますが、こたびの敗戦は某の責任でござる」
    「勝家殿の恩を忘れる事も出来ず。某の命数が続けば必ず筑前殿の首を取ります」
ここまで明確に否定されて、さすがの秀吉も家臣化を諦め死罪を言い渡す
切腹を命ずるも断固拒否。市中引き回しの上磔を所望する盛政でした
そこへ盛政に討たれた中川清秀の息子が秀吉呼ばれ
秀吉 「この男がお前の父を殺したのだ。憎いだろう?」
息子 「いえ父上を討つ事の出来る武将は大変立派な武将と思います。勝も負けるも兵家の常、憎いなどと思いません」
盛政 「なんと立派な御子息をお持ちか。この方が我が娘の婿なら嬉しいかの」
数年後秀吉の勧めで仇同士の子供だった二人が婚約する事になりました
天国の盛政からみると「なんだあのサル結構いい奴じゃん」と思っていた事でしょう

※盛政を捕らえた農民ですが厳しい褒美が出されました
秀吉「農民の分際でなんと言う事をしてくれたのだ。お前らへの褒美は磔よ」
と全員死罪となりました

143 :人間七七四年:2008/02/12(火) 13:41:18 ID:6zB4poEt
最後のが無ければ「サル結構いい奴」で終わるのになw

144 :人間七七四年:2008/02/12(火) 13:47:50 ID:EF2T3KE/
>>142
いい話なのだが、これを見るだけでも太閤が百姓の出というのは、
ちょっと無さそうだな。

145 :人間七七四年:2008/02/12(火) 14:18:18 ID:nvqDIdHl
>>142
その「盛政の娘」つーのが中川清秀の息子より10歳も年上だったというのも付け加えてやって下さいw
※ただし、年齢についてはガセ説もあり

146 :人間七七四年:2008/02/12(火) 21:39:18 ID:23zv5JA+
忠世がうんこ漏らした時に家康が
「俺が漏らしたことにしてやるよ」
と言って馬を交換した話


147 :人間七七四年:2008/02/12(火) 23:03:49 ID:+wQtuA3A
 ∧_∧      俺が糞漏らしたことにしてやんよ に見えてワロタw
 ( ・ω・)=つ≡つ
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪

148 :人間七七四年:2008/02/13(水) 11:59:22 ID:8yQq65od
>>146-147

急にレベルがさがって萎えた

149 :人間七七四年:2008/02/13(水) 12:33:43 ID:TFb30F/V
嫌家康厨の程度の低さは異常だな

150 :人間七七四年:2008/02/15(金) 17:55:47 ID:0uoVosyf
井伊直孝と豪徳寺の招き猫とか、池田輝政と永井直勝の話もちょっとイイ話じゃね?

151 :人間七七四年:2008/02/15(金) 18:43:05 ID:dihP3wa3
>>150
ひこにゃんのモデルの話はいい話ではあるが
残念、江戸時代の話はここでは板違いだ。

152 :人間七七四年:2008/02/15(金) 18:48:17 ID:0uoVosyf
そういや江戸時代だったか。

153 :人間七七四年:2008/02/17(日) 10:25:50 ID:ypAyuJ3O
なんでもいいから逸話が聞きたいなぁ〜
って、わざわざ止めるなよ>>151ただでさえ過疎スレなのに…

154 :人間七七四年:2008/02/17(日) 11:23:38 ID:EwKX5lQJ
>>145
中川清秀 1542生
中川秀成 1570生
佐久間盛政 1554生
この微妙な差。

155 :人間七七四年:2008/02/17(日) 13:23:54 ID:Sbqj/qix
>>154
えーと、盛政6歳時に生まれた娘か
すごいな、サルが家臣に欲しがるのもわかるわ

156 :人間七七四年:2008/02/19(火) 22:10:17 ID:JerCbyGf
>>120-121
立花宗茂にこのような話がありましたか。
ただ…似たような話、水野勝成にもあるんですよね。

157 :人間七七四年:2008/02/20(水) 11:52:46 ID:+s/8Qs03
吉川元春とブス嫁の話も、諸葛亮とブス嫁の話ソックリだからな。

古典を真似るという事(それが自身の生き方と合致したからというのは前提だが)はよくあったみたいだね。

158 :人間七七四年:2008/02/21(木) 01:45:54 ID:r0PIigKI
大阪の陣で騎馬鉄砲を率いて活躍した片倉重長の嫁は
敵方の超有名人真田幸村の娘
できすぎだろ


159 :人間七七四年:2008/02/21(木) 10:41:28 ID:Tzi/RAHC
大阪の陣で大阪方の大将豊臣秀頼の嫁は
敵方の超有名人徳川秀忠の娘
できすぎだろ


160 :人間七七四年:2008/02/21(木) 11:52:21 ID:n0PrSX4/
↑いい話というか、常識レベルの話では・・・

秀頼は千姫のことをとても愛しており、二人は仲が良かった。
千姫の髪を秀頼自ら切っているのを、侍女に目撃されている。


161 :人間七七四年:2008/02/21(木) 12:49:41 ID:L+pAfE1O
>>159>>158へのつっこみなんだと思われ
マジレスした>>160に全俺がない(ry

>千姫の髪を秀頼自ら
深曽木の儀式の事かな


162 :人間七七四年:2008/02/23(土) 02:15:02 ID:tqY2dWWe
いい話というか、ちょっと切ない話です。

真田安房守昌幸は関ヶ原戦で見事、徳川の大軍を撃破するも、
主戦場で西軍が敗れたため、紀州九度山に配流された。
さいわい、長男の信之と三男の昌親が東軍についたため、真田の家名は残り、
また信之が昌幸に仕送りをしてくれるため、生活には困らなかった。
(もっとも大名生活が長かったため、無駄遣いが多く、随伴した信繁が困ったという)

昌幸はいずれ再び、天下に大乱がおきて世に出る日を願って日々をすごしていたが、
もともと老齢であるうえ、紀伊は雨がおおく、節の病に悩まされた。
昌幸は病床で手紙を書いた。
相手はかつての家臣の大熊伯耆守というものである。
彼は関ヶ原のあと、出家して夕庵と名乗っていたが、
いまだに信州に在し、真田家と親しかった。

「そこもとは不自由ないか。わしは万事不自由じゃ。
 治りかけた病いもまた出始めて、散々の体となっておる。
 愚痴もついつい出て、源二郎(信繁)にもたしなめられてばかりじゃ。
 ところで、そちに頼みがある。
 蔵人(昌親)に、持ち馬のなかでも特に爪がよく、悍の強い若駒を一頭、
 わしのところへ送ってくれぬか頼んでくれ。
 紀州までは骨折りだとはわかっておるが、たっての願いじゃ。
 悍馬を見て楽しみ、病中の慰めにしたい」

 九度山での生活も十年を過ぎていた。
 老いて、病もあり、気力をなくしかけていただろう。
 それでも、これではいかんと考え、
 荒々しく元気な若駒をみて、家康を震え上がらせた往年の自分を思い出したい、
 と願ったのかもしれない。
 
 (脳中での昌幸の想像図は丹波哲郎でお願い)





163 :人間七七四年:2008/02/23(土) 04:02:59 ID:Q8mq32Sg
若狭の武田さんの誰かがお家滅亡と奥さんの命とで奥さん取ったて
はなしがいい話ということがああるが俺にはただのへたれとしか思えん

164 :人間七七四年:2008/02/23(土) 07:52:48 ID:DNeuvG6j
ウィンザー公みたいで素敵やん

165 :人間七七四年:2008/02/23(土) 22:39:32 ID:YduX162m
蒲生氏郷の蒲生風呂とか
井伊直孝の芋鍋とか
秀吉の牛蒡と農民の逸話とか
そんな感じの話、他にも有りますか?

166 :人間七七四年:2008/02/24(日) 02:27:58 ID:Mw5shG41
↑の逸話聞かせくれ

167 :165:2008/02/24(日) 21:39:16 ID:CSOemgdp
>>166
考証とかソースとかあやふやなので、あくまで寓話的
なお話として、読んでください。

蒲生風呂(1)
 幼少の頃からその才を、織田信長に認められた蒲生氏郷。
彼は若くして城持ち大名となった。だがそのため新たに多く
の家臣を雇ったため、古参の家臣に十分な恩賞を与える事が
できずにいた。
 そんなある日、氏郷は手柄を立てた古参の家臣に言った。
「手柄を立てたお前に恩賞を与えたいが、あいにく金も所領
も無い。だがせめてその労をねぎらいたい。明日、我が屋敷
にお前を招いて、酒宴を開きたい。明日ばかりは戦も政も忘
れ、主従も忘れて楽しもうではないか。」
 恩賞など思いもかけぬ武骨な家臣も、主君の心遣いに感激
し、この誘いを快諾した。

168 :165:2008/02/24(日) 22:10:33 ID:CSOemgdp
 蒲生風呂(2)
 あくる日、屋敷に赴いてきた家臣を氏郷は自ら出迎え、
こう言った。
「よく来てくれた。まずは風呂につかり、日頃の疲れを
癒してくれ。」
促されるままに風呂につかる家臣。しばらくして外から
氏郷の声がした。
「湯加減はどうだ?ぬるくはないか?」
家臣は、
「そういえば、少々ぬるい様でございます。」
と答えた。
「そうか、しばし待て。薪を足すからな。」
再び氏郷の声。家臣は思った。(妙だな、下人にわしが
直に申し付ければ良いものを…?)
いぶかしんで外を見た家臣は驚いた。薪を足していたのは
他ならぬ、氏郷であった。
「どうだ、湯は温まったか?まだぬるいか?」
脇目も振らず、一心に火を焚く氏郷。顔も手も、すすで
真っ黒である。

169 :165:2008/02/24(日) 22:30:40 ID:CSOemgdp
蒲生風呂(3)
 家臣は涙で声も出ない。(氏郷さまが自分のために風呂を
沸かしてくれている。何と言う果報だろう!)
次第に適温を超え、熱くなる湯。だが家臣は涙が止まるまで、
風呂からあがる事は出来なかった。
 
 以降、蒲生家では氏郷自ら沸かした風呂につかる事が、金や
所領に変えられぬ最高の恩賞となった。
家臣達はこれを「蒲生風呂」と呼び、これに入れた者は蒲生家
家中で羨望の眼差しと、尊敬を集めたのであった。
                             〜終わり〜


170 :人間七七四年:2008/02/24(日) 23:43:11 ID:55Ni4wbN
( ;∀;)イイハナシダナー

171 :人間七七四年:2008/02/25(月) 00:14:58 ID:2Pg1oOwR
>>167-169
ありがとう、本当良い話だ(`;ω;´)

172 :人間七七四年:2008/02/25(月) 00:23:17 ID:CuyCmIJt
>>167-169
一つ感動出来る話しが増えたよ
ありがとう。

173 :人間七七四年:2008/02/25(月) 01:19:58 ID:v3gTAO1w
>>165
すごいなぁ。こんなエピソードあったらそりゃ意外と戦功ないのに名将扱いされるわな。
ノブレス・オブリージュという言葉がふと浮かんだけどちょっと違うな。
それはそれとしてこのスレの今後が楽しみだなぁ

1 6 5 三 部 作 の 残 り が 。 

174 :人間七七四年:2008/02/25(月) 07:06:08 ID:r1wNkCjo
松坂でも会津でも領民から慕われた氏郷らしい逸話だな。

175 :人間七七四年:2008/02/25(月) 07:17:02 ID:sCEZDaA0
十河一存が寒川氏の居城池内城を攻めた際、鴨部兄弟の兄が十河側、弟が寒川側にいた。
一存は兄弟が争うものではないと兄を城に送り出した。鴨部兄はいたく感激し、「今度会うときは戦場ぞ」と誓いあった。
そして鴨部兄弟は戦場で一存と戦い傷を負わしたが兄弟共々、一存みずからの手により討ちとられた。

176 :人間七七四年:2008/02/25(月) 13:52:49 ID:hM269Z8R
氏郷も上杉や織田と同じく石高や官位で身分の上下を決めないで感状の枚数で決めてるんだよな
風呂の価値はどれほどだったのだろうか?

177 :人間七七四年:2008/02/25(月) 14:40:24 ID:iXEB7j44
堀といい蒲生といい、信長子飼いはどうしてそんなに人の心を掴むのが巧いのか

178 :人間七七四年:2008/02/25(月) 17:26:47 ID:y7ObxNu5
信長があんまりにもひどい人だったため、せめて自分は家臣に優しくしようと誓った。

179 :人間七七四年:2008/02/25(月) 18:13:36 ID:r1wNkCjo
ノブヤボデジタル辞典は逸話集だけ面白い。

180 :165:2008/02/25(月) 22:02:49 ID:bg+5s1AL
レスをくれた皆さん、ありがとうございます。
稚拙な長文ですが、読んで頂ければ光栄です。
 芋鍋(1)
 徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の
若き頃の逸話である。
 直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして
周囲に一目置かれる存在となっていた。
 政務に勤しむ直孝に、ある老臣が声をかけた。
「直孝、お主の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。わし
たちも励みになる。そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り
連中が集まり、二月(ふたつき)に一度、合議をしておる。
どうだ、お主も来ないか?」
 聞けば、参加する者たちは徳川家古参の、歴戦の武将達だった。
直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。

181 :165:2008/02/25(月) 22:46:21 ID:bg+5s1AL
 芋鍋(2)
 さて、その日がやって来た。直孝にしてみれば、憧憬の的であった
武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は
名高い武将と戦った時の思い出を語っている。一つ一つの話に直孝は
感銘を受けていた。
 宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきた。鍋の中には、よく
煮えた芋が入っていた。皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べは
じめた。芋の入った椀が直孝にも廻って来た。一口食べた直孝は驚い
た。まったく味が無いのだ。それどころか、まるで泥を食べたような
土臭さであった。思わず直孝は言った。
「申し訳ございませぬ。この芋は、私には少々味が足りぬ様でござい
ます。塩か醤油はございませぬか?」
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」


182 :165:2008/02/25(月) 23:24:37 ID:bg+5s1AL
 芋鍋(3)
 老臣は続けた。
「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を
食べていた。そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、
田畑を耕す農民達の中には、この芋鍋すら満足に食えぬ者も
いる。我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋
鍋を皆で食べているのだ。」
さらに老臣は続けた
「これからはお主のような若者が、徳川家の政事の中心となる
であろう。だからこそ、お主に伝えたかった。我らの手柄や戦
の仕様、ましてや、もうこの世におらぬ武将の話などでは無い。
この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」
 直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。
「この味、生涯忘れませぬ。」

 他の徳川四天王をはじめ、徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇
粛清されていく中、直孝は幕府の信任厚く、彦根藩主そして大老と
出世し、後に名君として歴史に名を残す事となる。
 彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれない。
                            〜終わり〜

183 :人間七七四年:2008/02/25(月) 23:27:29 ID:CuyCmIJt
これも( ;∀;) イイハナシダナー

184 :人間七七四年:2008/02/25(月) 23:36:59 ID:2Pg1oOwR
(`;ω;´)うん…イイハナシだ。

185 :人間七七四年:2008/02/25(月) 23:56:04 ID:2AHSziks
( ;∀;)イイハナシダナー

186 :人間七七四年:2008/02/26(火) 00:17:22 ID:P9VZodvV
>>180
水を差すようで悪いが井伊直政の話じゃなかったか?
老将は大久保忠世で。
ウィキペディアにも載ってる。

187 :人間七七四年:2008/02/26(火) 00:35:33 ID:NQMU+PHB
何が芋鍋だよw何も感動せんわw

188 :165:2008/02/26(火) 00:39:19 ID:ta9QI9nZ
>>186
ウィキペディアを見たら確かにそう書かれてました。
自分が覚えていたのは井伊直孝の話としてでした。
もし不快、不信に思われたのならお詫びいたします。
個人的に、寓話として考えていますので、詳細等を
検証していませんでした。申し訳ありません。

189 :人間七七四年:2008/02/26(火) 00:59:06 ID:pFZjfTiH
>>186
だから>>167で「あくまで寓話的なお話」
って書いてるじゃん。せめて3部作全部書いてもらってから突っ込めよ。
秀吉と牛蒡と農民の話は他に知ってる奴いるのか…?


190 :人間七七四年:2008/02/26(火) 01:04:20 ID:IMBWUip3
まあ逸話の使いまわしなんてよくあることだし。

191 :人間七七四年:2008/02/26(火) 01:05:01 ID:P9VZodvV
>>188
不快になんて思ってないし糾弾しようとも思ってないよ。
wikipediaが間違ってる可能性だってあるしね。本当はどっちの話なのか知りたかっただけです。
逆に不快に思ったらごめん。評判いいみたいだから続けてくれ。

192 :人間七七四年:2008/02/26(火) 19:38:01 ID:UyaM/8pC
>>191
死ね

193 :人間七七四年:2008/02/26(火) 20:01:59 ID:EtQP9Fq+
>>192
力抜けよw

194 :人間七七四年:2008/02/26(火) 20:06:29 ID:ToqOw7Uq
いい話のスレって聞いたから来たけど
殺伐してんだね・・・帰るわ。

195 :人間七七四年:2008/02/26(火) 20:41:47 ID:UyaM/8pC
ID:P9VZodvV=ID:EtQP9Fq+
お前もちゃんとレス嫁よw

196 :人間七七四年:2008/02/27(水) 08:54:58 ID:4oQ8gfb5
お前は空気読もうな

197 :人間七七四年:2008/02/27(水) 10:08:54 ID:o7cs3o1h
>>194が言いえて妙。
みんな批判する時はちょっといい話風にアレンジするか
ちょっといい話してからにしようぜ。

198 :人間七七四年:2008/02/27(水) 13:19:40 ID:XBnAj46N
>>197はどこら変がいい話なの?

199 :人間七七四年:2008/02/27(水) 18:40:52 ID:GV+bQUWr
石田三成が結城秀康に刀をあげた話

200 :人間七七四年:2008/02/27(水) 19:32:05 ID:Sk7WN71e
まあ「寓話的に」って言ってるのに、ウィキに書いてるのと違うとか、
「ある老臣」って書いてるのに、それは〇〇の事では?とか…
そんなの言われたら逸話やら、ちょっとした話しやら書けんぜ?
話しの善し悪しの議論はOKだが、内容が本当か嘘か?正確な話しか?
なんてのは無粋だと思うよ。

201 :人間七七四年:2008/02/27(水) 20:57:18 ID:ustTlmSK
>>165の人また来て書いてくれんかな〜
秀吉の逸話が聞きたい!!

202 :人間七七四年:2008/02/28(木) 17:54:24 ID:wwyr8Ipb
いや逸話取られた方もファンが居るわけだから苦情もあるさ
どっちが正しいか人物想像する時は結構重要

203 :人間七七四年:2008/02/28(木) 18:39:47 ID:5AHVVbn8
>>202
確かに一理あるね。ただ書く人も専門家は少ないと思う。
まあ前置きに>>167みたいに書いてあったら、突っ込まないほうが良いかと。

204 :人間七七四年:2008/02/28(木) 18:45:47 ID:yWbtjQSF
>>202
ただし逸話なんていい話も悪い話も結構使いまわされてるんだから
どっちも正しいこともザラだよ
親子とか、似た立場とかなら特にね

205 :人間七七四年:2008/02/28(木) 19:43:16 ID:wwyr8Ipb
ご免ね>167に突っ込んだわけじゃないよ
逸話を軽く見てる人が居たのでちょっとレスしてみました誤解してたら申し訳ない

206 :人間七七四年:2008/02/28(木) 20:09:12 ID:5T+XVqlI
いつまで言い合ってんだ?
どっかいけ。

207 :人間七七四年:2008/02/28(木) 23:30:46 ID:ajpHTEoa
ごちゃごちゃ言わずに逸話を書け
下らんレスは俺で最後だ。いいな?

208 :人間七七四年:2008/02/28(木) 23:47:54 ID:Ql+vDwip
>>165
>秀吉の牛蒡と農民の逸話とか
これ初耳です。もしよろしければ教えてください。

209 :人間七七四年:2008/02/29(金) 00:33:18 ID:+4DExott
キングサルは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と尾張のサル実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングサルが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないカブキ者ないでたちで。
サルが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた足軽集団が「サルさん!」「サルさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、サルが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
高校生達がサルの母校清洲城の足軽部だとわかったサルは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてサルは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はサルの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、朝日姫(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。

210 :165:2008/02/29(金) 07:51:10 ID:y5aGk3HI
レスをくれた皆さんありがとうございます。
>>191さん、こちらこそ、すみません。
多忙により、しばらく書けませんでした。
この話も考証等はしていません。ご考慮下さい。

秀吉と牛蒡(1)
 
 羽柴秀吉が関白に就任し、豊臣秀吉と名乗り始めた
頃の話である。人臣の位を窮めた秀吉に、各国の大名
や豪商、有力者達が祝いの品を贈っていた。
 その頃、秀吉の故郷である、尾張中村でも秀吉に祝
いの品を贈ろうと、農民達が話し合っていた。しかし
当時の尾張中村は寒村であり、特に名産も無く、農民
達は何を贈り物とするか決めあぐねていた。ある者が
言った。
「そういえば、秀吉様が墨俣に城を建てた時や、長浜
に城をいただいた時、この中村の牛蒡をお祝いとして
差し上げたら、たいそう喜ばれた。今度も牛蒡を贈っ
たら良いのでは?」
皆、(関白さまに牛蒡など…)と戸惑ったが、他に換
わる金品は無い。せめて丹精した牛蒡をと、農民達は
選りすぐった牛蒡を持ち寄り、村の代表者に託した。

211 :165:2008/02/29(金) 08:21:03 ID:y5aGk3HI
 秀吉と牛蒡(2)
 
 大坂城に着いた尾張中村の一行は驚いた。城の大きさ、
賑わう人々、そして城に続く長い行列。皆、立派な格好を
し、金や刀や絹織物、中には精悍な駿馬を携えている者も
いた。すべて秀吉への贈り物である。みすぼらしい格好で
行列の端に並ぶ、中村の農民。そこに羽柴秀長の一行が通
りかかった。秀長は農民達の中に、見知った顔があった。
「おお!中村の者達ではないか、久しいのお!どうした、
なぜ大坂に?」
 農民達は秀長に、秀吉さまに牛蒡を贈ろうと思ったが、
あまりにみすぼらしいので、貴方に預けて早々に帰りたい、
と伝えた。秀長は言った。
「ばかもの。はるばる尾張中村からの使者を無碍に帰せる
ものか。よし、わしと共に城に来い。」
秀長は農民達を連れ、城に入った。農民達は城の台所で待つ
よう言われ、しばらく待っていた。

212 :165:2008/02/29(金) 08:48:51 ID:y5aGk3HI
 秀吉と牛蒡(3)

 台所の奥からドカドカと足音が近づいてきた。それは
秀吉であった。秀吉は駆けるように農民に近寄り、喜色
満面で言った。
「中村の者達、よく来た、よく来てくれた!嬉しいぞ!
それに、また牛蒡を持って来てくれたのだろう?ありが
たい、まことにありがたい。」
 農民一人一人の手を取り、感謝する秀吉。望外の歓待
を受け、農民達も安堵した。酒宴が始まり、秀吉や秀長、
おねや母のなかも加わって、しばし時を忘れ賑わった。
 あくる日、秀吉は帰ろうとする農民達に言った。
「お前達を手ぶらで帰す訳にはいかん。土産として、尾張
中村の年貢を永年免除とする。どうだ?土産になるか?」
農民達は秀吉に感謝歓喜し、意気揚揚と尾張中村へと帰った。

213 :165:2008/02/29(金) 09:25:03 ID:y5aGk3HI
 秀吉と牛蒡(4)

 それから数年経った。年貢が免除された尾張中村では、
農民達は裕福な生活を送っていた。ある者は家を豪華な
屋敷に造り替え、ある者は蓄財し、商いを始めた。
皆が再び集まり話し合った。
「わしらがこんな贅沢に暮らせるのも秀吉様のおかげだ。
お礼として何か贈ろう。皆で金を出し合って、刀や駿馬
を取り寄せよう。」
こうして農民達は立派な刀や精悍な駿馬を携え、再び大
坂城へ赴いた。
 あの時のように、城の台所で待つ農民達。駆けんで来
る秀吉。農民たちは言った。
「秀吉さまのおかげで、我々も豊かに暮らせる事が出来
ます。立派な名刀と駿馬を買える余裕も出来ました。ど
うぞお納めください。」
 すると秀吉は怒気を含めて言った。
「ばかもの!何故、牛蒡を持って来なかった!」
あっけにとられる農民達。秀吉は心底落胆して言った。
「墨俣に城を建てた時、長浜城主となった時、そして大坂
城を建て関白となった時。お前達はいつも牛蒡を持って来
てくれた。ありがたかった。まだ俺が中村の百姓だった頃
を思い出せた。」

214 :165:2008/02/29(金) 09:48:52 ID:y5aGk3HI
 秀吉と牛蒡(5)

 秀吉は続けた。
「わしは武士となって、信長さまのもとで必死に働いた。命
がけで働き出世した。それは、わしは貧しい農民たちが戦な
ど無く、豊かに暮らせる国を造りたいと思っていたからだ。
だが、武士として働いている内にその思いが薄れ、民をない
がしろにしようとする。欲が出るのだ。」
秀吉は農民を見渡し、言った。
「お前達の牛蒡は、その欲を消してくれた。自分が偉くなる
度にあの牛蒡を食べ、農民達の事を思い出した。だからこそ
再び働き、出世した。そして今は日本の王として働いておる。
今こそ、この国の民達が豊かに暮らせる様にと思ってな。あ
の時の牛蒡はわしにとってどんな金品よりもありがたかった。
農民達の期待に応えねば。そう思った。」

215 :165:2008/02/29(金) 10:23:00 ID:y5aGk3HI
 秀吉と牛蒡(6)

 秀吉は毅然として農民たちに言った。
「それなのにお前達は暮らしが豊かになると、百姓の基本
を忘れ、金品を集め刀や馬を俺に贈ると言う。そんな物は
大名か商人のすることだ。お前達が牛蒡を忘れる様な国を
造るつもりは無い。」
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。
われら必死に働きます。お許しくだされ。」
 秀吉は言った。
「お前達の牛蒡、待っておるぞ。」

 天下人となった羽柴秀吉は「豊臣」の姓を賜り、豊臣秀吉
と名乗り始める。秀吉は「豊臣」(しんをとませる)と言う
姓に、己の真の理想を見ていたのであろうか。
                       〜終わり〜

216 :人間七七四年:2008/02/29(金) 16:53:27 ID:B9jCDFxn
>>165さん乙!
目頭が熱くなってきた。。。
( ;∀;) カンドーシタ

217 :人間七七四年:2008/02/29(金) 17:48:27 ID:70O2V7SO
いい話なんだけど秀吉っぽくないwwww

218 :人間七七四年:2008/02/29(金) 21:45:09 ID:aPQdYiT8
>>165
乙!!!!


ただ後半はオイラの知っていたのと少し違う
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。
われら必死に働きます。お許しくだされ。」
 秀吉は言った。
「許さん。お前達は奢ってしまった。年貢を永年免除は取り止めとする。精進せよ」

ソースは20年くらい前読んだ武将逸話集のオイラの記憶。


219 :人間七七四年:2008/02/29(金) 21:47:53 ID:aPQdYiT8
>>165
いやいや、でも史実や真実は抜きにしていい話だったよ。
改編して気分を害さないでくだされ。

220 :人間七七四年:2008/03/01(土) 06:49:35 ID:a6bmDcrR

初めて聞いたよ
確かに秀吉じゃないなw
性格的に信長あたりに感じる

221 :人間七七四年:2008/03/01(土) 10:03:42 ID:YUcp+Aga
信長ではありえないよ。
家康なら言うかもしれない、老臣と井伊の芋鍋の逸話があるからさ。
まあ秀吉らしい話だね。

222 :人間七七四年:2008/03/01(土) 18:29:30 ID:7ZG+Rqki
>>221
信長と乞食の話もあったじゃないか

223 :人間七七四年:2008/03/01(土) 19:03:35 ID:QIsm7mwx
>>222
庶民との接し方では三傑のなかでは何気に信長が一番フレンドリーぽいんだよな。


224 :人間七七四年:2008/03/01(土) 21:21:07 ID:bXSxGPBu
そういえば、フロイスが信長と初めて会ったのは安土城築城の工事現場の
橋のたもとだったらしい。屋敷に呼んで引見するみたいな堅苦しい形式じゃなく。

225 :人間七七四年:2008/03/01(土) 21:35:20 ID:9Iinhq+T
信長がちんこ柄の着物着ていたって話は本当なのかな?

226 :人間七七四年:2008/03/01(土) 22:49:10 ID:rvpF2kxG
wikipediaにも詳しい話が載ってるし有名だけど
黒人奴隷ヤスケの話は信長の人柄を感じさせるようでいいね。

227 :人間七七四年:2008/03/01(土) 23:40:43 ID:Bbw4Bzzz
信長といえばこんな話も

内政と戦の両輪で目の回るような忙しさの丹羽長秀を武田を討伐してもう後始末くらいしかやる事の無い
甲斐に派遣して「やる事が無い」と丹羽が連絡すると「そのまま草津に湯治に行け」と連絡が帰ってきたらしい。

まぁ、「下手な奴に任せるくらいなら五郎左に任せとけ」と言って丹羽の仕事を増やしてたのも信長なんだけどね。

228 :人間七七四年:2008/03/01(土) 23:43:48 ID:DeJJZELx
なんだかんだで信長って頑張ってる部下にはやさしいとこあるよなw

229 :人間七七四年:2008/03/02(日) 00:17:49 ID:sS6hz24Z
>>221
老臣と井伊の芋鍋の逸話と家康を結び付けるとかおかしいだろ。

>>227
その話は初めてだ。なんか戦国時代のツンデレみたいなエピだなw


230 :人間七七四年:2008/03/02(日) 00:26:27 ID:j0sBj4WX
そういう話見ると本能寺の変の原因が
光秀の怨恨とはどうしても思えないんだよね

231 :人間七七四年:2008/03/02(日) 00:45:49 ID:RuAUMaHj
デレ期が来る前に耐え切れなくなって光秀謀反って事で

232 :人間七七四年:2008/03/02(日) 01:07:00 ID:WbULzXh2
――バッドエンド

233 :人間七七四年:2008/03/02(日) 04:09:07 ID:9CHqtdsi
>>221わりと信長は利権絡みじゃないといい人のイメージが俺の中であるんだよ
家康は信長と逆で世間的にはいい奴ぶってるけど中身腐ってるイメージがある

234 :人間七七四年:2008/03/02(日) 12:21:43 ID:lDWhEOCM
宇喜多直家のいい話が探してもサッパリ見つからない。

235 :人間七七四年:2008/03/02(日) 12:53:50 ID:Q9S0TuMU
>>234
いやな話は・・・

236 :人間七七四年:2008/03/02(日) 15:15:45 ID:9CHqtdsi
ひいき目にみてもカッコイイが限界だな

237 :人間七七四年:2008/03/02(日) 15:48:52 ID:3J2971oz
死ぬ直前の
直家「わしが死んだら誰が殉死してくれるかなっ♪」
家臣「我らの代わりに坊さんを殉死させて、あの世の道案内させます」
直家「坊さんか…じゃあ殉死は禁止でいいよ…ショボーン」
という逸話はいい話っていうか、直家ちょっとかわいい。

238 :人間七七四年:2008/03/02(日) 16:54:20 ID:j0sBj4WX
直家って戸川だかの倅を救出しに行かなかったっけ?

239 :人間七七四年:2008/03/02(日) 20:07:26 ID:9CHqtdsi
>>237それ最初俺も浮かんだんだがよく考えると確か黒田如水の逸話じゃなかった?

240 :人間七七四年:2008/03/03(月) 05:06:59 ID:miXZgLqy
>>237
GJ
本家・戸板康二の「ちょっといい話」に載ってそうなエピソードだわw

241 :人間七七四年:2008/03/04(火) 05:58:47 ID:4HKPwfK9
>>230
信長「光秀、嫌いじゃないけど生理的に無理」

242 :人間七七四年:2008/03/04(火) 18:28:56 ID:rehVFhf9
>>237
違うわ!幼い秀家を残して先立つから心配で一人でも多く家の人間を残すために殉死を遠回りに禁止したんだよ

しかし後に家臣団が分裂して御家騒動を招くある意味泣ける話し


243 :人間七七四年:2008/03/04(火) 18:41:52 ID:0BN6ID9k
>>239
如水は晩年嫌な奴になって家臣団が長政派になるように仕向けたんだよな

244 :人間七七四年:2008/03/04(火) 18:56:12 ID:QpaBEaQI
…って言われてるけどクロカンの場合本当に嫌な奴になってそうな気がするw

245 :人間七七四年:2008/03/05(水) 00:46:39 ID:+o13HlIF
あまりいい話じゃないけどみんなが貼ってるのでお馴染みを一つコピペ


関が原後の大津城にて縛られた石田三成

藤堂高虎は三成を見るとすぐに馬を下りて、敗戦前の三成に接すると変わらず

「このたびの戦において貴公の部隊の戦い振りは、敵ながら誠に見事でござった。もし貴公の目から見て我が部隊の至らぬ点があれば、ぜひ御教授願いたい。」

と、慇懃に語り掛けた。すると三成は少し黙した後に

「されば貴公の部隊には鉄砲隊に高い身分の指揮者がいなかったように思えた。改善すれば鉄砲隊の威力も大きく変わってこよう。」

と答えた。高虎は三成の助言に感謝し、それから藤堂家の先手の鉄砲頭には千石以上の家臣を配するのをしきたりとした。


246 :人間七七四年:2008/03/05(水) 01:11:46 ID:OGy3fuUG
如水のいい話と言えば長政に送ったの草履と下駄では無いか?

247 :人間七七四年:2008/03/05(水) 08:42:55 ID:pXyysOxy
>>246
どちらかと言えば、如水が晩年、家臣にわざと嫌われる話しの方が、
良い話しかと。

248 :247:2008/03/05(水) 12:14:24 ID:pXyysOxy
>>246
と思ったら、上で既出だった。ごめんなさい。

249 :人間七七四年:2008/03/06(木) 20:48:02 ID:TzDlHsg6
他板のコピペ

加藤嘉明にはある宝物があった。
それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」。
大事な客が来た時は、いつもこの手塩皿でもてなしていた。

ところがある日、側近の若者が誤って皿を一枚割ってしまったのである。
若者は青くなり、打ち首になるだろうと死を覚悟した。

しかし嘉明は残りの9枚を持ってきて、なんと残らず全て割り始めたのである。
これには若者も驚いた。

すると嘉明は、
「残りの皿をそのままにしておくと、この皿を出すたびにお前は仲間から白い目で見られる。
 だったら全て無くしてしまえばいいのだ」
と言って笑ったそうな。

250 :人間七七四年:2008/03/06(木) 21:59:52 ID:xcYr/T3r
>>249
いい殿様だなー

251 :人間七七四年:2008/03/06(木) 22:22:21 ID:0JfMix+b
実は世にも奇妙な物語の「整理癖」↓みたいな感じで…

やがて、棚にきっちり収まるという理由で
全巻揃えで置いてあった医学書の一冊を
同僚が持ち出した上汚されてしまう。
「買って返すよ」
「今では版が変わって表紙の色が違うんだ。
 揃わないじゃないか!」
結局全巻を破棄する主人公。
廊下を直行するのを優先して患者を突き飛ばす等、
却って神経質な部分が先鋭化する。

252 :人間七七四年:2008/03/07(金) 12:09:18 ID:TcTwvv1D
>>249
いい話だな〜(><)

これ本当なのかね?
いい話だ

253 :人間七七四年:2008/03/08(土) 18:39:27 ID:o43UDBHB
>>252
249ではないが確か名将言行録が出典かと。


加藤嘉明つながりで一つ

あるとき嘉明の小姓たちが火鉢の周りに集まって火箸を焼き、
熱くなった火箸を灰に突き立ててそれを掴んだ人の反応を見ると言う
悪戯をしていた。

そこのやってきた嘉明。
「おまえたち、集まって何をしているのだ?」と言い、あろうことか火箸つかんでしまった。
しかし、嘉明は灰に「一の字」を書いて悠然と話を続けたという。

一説には、"火箸を掴んだ時、手から煙が出ていた"と言うが小姓たちに咎めはなかった





254 :人間七七四年:2008/03/08(土) 20:10:37 ID:nl1IT7aQ
いい話だが
なるほど、藤堂高虎と仲が悪いわけだ、と思うw

255 :人間七七四年:2008/03/11(火) 20:46:16 ID:dcy8dP3g
あげ

256 :人間七七四年:2008/03/12(水) 06:20:08 ID:YAYrsoGu
武田信玄の娘・松姫は、織田信長の嫡男・信忠と幼い頃に婚約していた。
2人は、直接会うことはなかったが、互いに文のやりとりで思いを深めたという。
しかし、周知の通り、武田と織田はその後、敵対し、二人が結ばれることはなかった。

信玄の死後、武田攻めの大将を務めたのは、奇しくも信忠だった。
信忠の指揮により、武田は滅びたが、松姫は辛くも武州に落ち延びた。
その消息を知り、信忠は迎えの使者を出したが、松姫が出立せんという時に本能寺の報がもたらされたとの話も。

生家の滅亡、許嫁の死を背負い、松姫は誰にも嫁がぬまま、仏門に入った。
そして、武田家とともに、信忠の死を弔ったという。
さらにその傍ら自ら織物をするなどし、落ち延びる際に連れて行った兄・勝頼と盛信の幼い姫のみならず、
土壇場で武田家を裏切った小山田信盛の姫も、別け隔て無く育てたという。

257 :人間七七四年:2008/03/12(水) 10:11:47 ID:18k4JdmL
>>253
煙が出るくらい熱されてたら色変わってるわ
馬鹿だろwww

258 :人間七七四年:2008/03/12(水) 11:40:44 ID:240NxG9r
>>257
煙が出るなどという文章が見えたのかw

259 :人間七七四年:2008/03/12(水) 11:56:11 ID:ny12tmMG
>>256
○小山田信茂
×小山田信盛

>>258
最後の行の「一説には」ってところに書いてあるぞ。

260 :人間七七四年:2008/03/12(水) 14:06:57 ID:YKeNRmqq
加藤嘉明ときたら豊臣恩顧の裏切り者の癖にいい奴じゃないか

261 :人間七七四年:2008/03/12(水) 19:58:57 ID:L8YVGVrd
>>256
女風林火山懐かしいな…

262 :人間七七四年:2008/03/13(木) 13:31:29 ID:Fzf2foCM
関ヶ原〜大坂の陣の間の片桐且元はその存在そのものがいい

片桐且元が忠臣だとしたらの話

263 :人間七七四年:2008/03/15(土) 02:58:20 ID:orFHkYdU
葵見た後だと、且元は忠臣だと思えてしまうぜ。

「従わずんば、滅ぼされまするぞ!」はマジ号泣。

264 :人間七七四年:2008/03/22(土) 22:58:13 ID:GA9D+HlV
感動はしないけど、ちょっと良い話。

三代目加賀藩主、前田利常は能を見るのが趣味だった。
利常が能を見る時、家臣たちは利常の前に座り、利常は
いつも家臣の後ろから能を見ていた。家臣たちは利常が
見やすいように頭を下げ、低い体勢で能を見ていた。
(これでは家臣たちに、能を楽しんでもらえないな…)
そう考えた常利は、自分の座る所に畳を積み重ねた。
そうすれば、家臣たちは頭を下げる必要が無くなるからだ。
利常の温かい心遣いに、家臣たちはみな、感激した。


265 :人間七七四年:2008/03/23(日) 06:03:24 ID:/9M3T9ey
加賀の殿様というと家臣3人に「あそこの星見える?」って聞いて
一人目が「見える」といい二人目は「ぱっとみ見えないけどよく見たら見つけたよ」といって
三人目が「残念ながら見えません」というと
三人目に「本当の目を持っているのはお前だけだなぁ・・・」って嘆息した人がいるらしい

全然いい話じゃないかw

266 :人間七七四年:2008/03/24(月) 02:29:38 ID:KUPjjepb
熊に見えた

267 :人間七七四年:2008/03/24(月) 03:00:59 ID:FMk3TVsV
ある日、家康が三方ケ原で脱糞した。




マジいい話だなW

268 :人間七七四年:2008/03/24(月) 03:10:51 ID:FMk3TVsV
三方ケ原で家康がいた当たりで信玄が脱糞を見つけた。
信玄の家臣は、「家康、もう脱糞かよW」と笑ったが、信玄は「家康、このタイミングでわざと脱糞して我が軍の士気を緩めようとは油断ならぬ男よのう。」と警戒したという。

269 :人間七七四年:2008/03/24(月) 14:02:41 ID:Y6Rd8lBQ
>>265
それってもしかしてこんな星?

     ★
  ★
        ★

     ★

     ★

    ☆ ★

        ★  

                     今夜は妙に星がきれいだクマ・・・


                         ∩∩   _,,-''"
                       _  ,(ェ)・/^),-''";  ;, '
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                     (.゙ー'''", ;,; ' ; ;;  ':  ,  '
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                _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'





270 :人間七七四年:2008/03/25(火) 02:53:44 ID:V9Hribd8
>>269

フラグ立ってるじゃねーかwwww

271 :人間七七四年:2008/03/25(火) 07:09:51 ID:uV5s77dQ
ヤバイよ俺にも見える

272 :人間七七四年:2008/03/28(金) 00:09:04 ID:B2H7Y8dJ
>>269
ちょww
それは見えちゃいけない星wwww

273 :人間七七四年:2008/03/28(金) 00:27:34 ID:IehCnZnX
>>269
ウリにも何か白い星が見えるニダ
何かいいことがあるニカ?

274 :奇矯屋onぷらっと@FreeTibet ◆SRGKIKYOUM :2008/03/30(日) 23:27:58 ID:iV3A+udV
orz

275 :人間七七四年:2008/03/31(月) 08:22:40 ID:8Xb3/SEz
 徳川家康の母親として有名な於大の方は息子の竹千代(後の家康)が3歳の時に
夫の松平広忠と離縁した。於大の方の実家である水野家が尾張の織田信秀の傘下に入ったため、
敵対する駿河の今川義元の側に所属している広忠とは一緒にいられなくなったからだ。
 於大の方は松平家の武士に護衛されて水野家に送り返されることとなったが、
水野家との国境まで来た時、彼女は護衛の武士に「後は近くの百姓に頼んで送ってもらうから
あなたたちは引き返してください」と言った。武士たちが理由を聞くと、於大の方は答えた。
「水野家の当主である兄は気性の荒い人なので、あなたたちを殺してしまうかもしれません。
もしそんなことになれば、両家の間に取り返しのつかない禍根を残します。今はわけあって
不仲になったとはいえ、いつかは和睦する日が来ると信じています。今、兄に短慮なことを
させては将来の和睦の妨げになりましょう。ともかく、ここで引き返してください」
 松平家の武士たちはやむなく言うことに従って、於大の方を土地の農民に託して別れたが、
それでもやはり心配なのでこっそり跡をつけた。しばらくして完全武装した水野家の武士たちが
於大の方を迎えに現れた。
 水野家の武士たちは於大の方にお送りの松平家の侍たちはどうしたのかと問うと、彼女は
松平家の者たちは国境で引き返したのでもういないと答えた。すると水野家の武士たちは
「それは残念。お送りの侍どもは全員討ち取れ、との殿のおおせでありましたのに」と、つぶやいた。

276 :人間七七四年:2008/03/31(月) 12:48:46 ID:k1XHQ6pG
いいはなし

というより水野DQNすぎるw
さすがはあの勝成を輩出した一族

277 :人間七七四年:2008/04/01(火) 08:23:44 ID:4RUV594y
 越後を支配していた戦国大名の上杉謙信は毘沙門天を熱心に信仰していた。
彼は重臣たちとの会議は毘沙門天をまつる毘沙門堂で行うのを習慣にしており、重要な命令も
毘沙門堂で行うことにしていた。
 ある日、謙信のもとに領内で大規模な一揆が発生したとの知らせが届いた。これは一大事と
謙信はその場で配下の武将に出撃命令を下した。それを聞いた重臣たちは「そのような命令は
毘沙門堂で行うのが習慣ではありませんか?」と問うた。すると、謙信は「今は一刻を争う。
毘沙門堂に皆を集める余裕はない」と答えた。
 重臣たちは、それでは毘沙門天が怒るのではないかと心配したが、謙信はこう言い返した。
「もたもたして一揆の鎮圧に手間取るほうがよほど問題だ。それにこの越後の地で毘沙門天が
盛んに信仰されているのは私が手厚く保護しているからだ。むしろ私の方こそ毘沙門天から感謝
されてもいいくらいだ。これくらいで怒るはずがない」

 熱烈な毘沙門天の信者と思われていた上杉謙信。だが、実は信仰一筋に縛られていない柔軟な
思考の持ち主であることを示すエピソードである。

278 :人間七七四年:2008/04/01(火) 09:09:41 ID:wdS/xsVu
>>277
いい話だな。ソース教えて。

279 :人間七七四年:2008/04/01(火) 13:26:41 ID:xX/2pVfh
エイプりるフール

280 :人間七七四年:2008/04/01(火) 22:11:10 ID:nzF2SrKr
ガクさま〜

281 :人間七七四年:2008/04/02(水) 08:30:06 ID:zO5UfsSw
>>278
たしか「決断の条件」というビジネス書の中で紹介された話だったと思う。
家の本棚のどこかにまだあるはずだから調べてみるよ。


282 :人間七七四年:2008/04/02(水) 08:32:57 ID:Vl2ADTQe
自分が毘沙門天の化身だから代わりに自分を拝めって言ったとか言わなかったとか

283 :人間七七四年:2008/04/02(水) 08:38:56 ID:zO5UfsSw
秀吉の知恵袋として活躍した黒田如水の話。

 朝鮮との戦が始まる頃、日根野備中という武士が出陣の費用が足りないので、如水のところへ
借りに行くと如水は快く貸してくれた。後日、返済の金が用意できたので備中は礼として大きな鯛を
持って金を返しに行った。
 如水はその大きな鯛を家来に渡して料理するように命じた。その際、「鯛の頭と骨は捨てずに
吸い物にせよ」などと細かく指示するのを見て、備中は心の中で、なんてケチな男だと思って如水を軽蔑した。
そして、備中が借りていた金を返すべく差し出すと、如水は受け取ろうとせずに こう言った。
「あの金は差し上げるつもりで渡したものだ。わしが日ごろから倹約を心がけているのは
このような時のために人の役に立ってもらいたいと思うからだ」
 これを聞いて、備中は恥じ、また感心したという。

284 :人間七七四年:2008/04/03(木) 08:13:41 ID:tPS37zTe
>>278
色々と調べてみたが、上杉謙信と毘沙門天のエピソードが載っていたのは
「決断の条件」ではなく、松下幸之助 著の「人を活かす経営」という文庫本だった。
勘違いして申し訳ない。
 あらためて読み返してみると間違えて書きこんだ箇所がいくつかあった。まず一揆が発生したのは
越後の領内ではなく隣国。そして、謙信は配下の武将に出撃命令を下したのではなく、間者に
様子を調べてこいと命じている。ずいぶん昔に読んだせいか、色々と記憶違いをしていたようだ。

285 :人間七七四年:2008/04/03(木) 23:13:37 ID:YYdVkKdh
いい話だな

286 :人間七七四年:2008/04/04(金) 18:32:51 ID:sLw6T0ur
名将言行録にあった竹中半兵衛の話

ある日、半兵衛が人々の前で合戦の話をしていると、その最中に息子の左京(後の竹中重門)が
座を立って退出し、しばらくしてから戻ってきた。
 戦物語の途中に座を立つことがあるか、と、半兵衛が息子に対して叱りつけると、左京は
小便に行っていたのです、と言い訳した。すると、半兵衛は「ならなぜ小便をその場で垂れ流さないのか。
竹中の子が合戦の話に夢中になるあまり、小便をもらす粗相をしたと言われるのは当家にとって名誉なことだ」
と、言った。


287 :人間七七四年:2008/04/04(金) 22:12:48 ID:W6iw6qV+
ノブヤボ天下創世やってるとどこでも起こるあのイベントか。

288 :人間七七四年:2008/04/04(金) 22:35:50 ID:Nxvs+W9W
家康「わしも昔、合戦中に便意をもよおしてのう」

289 :人間七七四年:2008/04/05(土) 18:09:17 ID:AxDMz359
ちょっといい話というより、ちょっと悪い話。

悪逆な戦国武将として名高い松永久秀が織田信長のもとで活躍していたころ、久秀は信長に
陣中の兵士について訴えた。
「兵士たちがたびたび陣を抜け出して近くの町に入り浸り、乱暴狼藉を働くので風紀が乱れています」
 これを聞いた信長は秩序を取り戻すために、陣中の兵士たちが町の中に入ることを禁じた。
 町へ買い出しに行くこともできなくなった兵士たちは困り果てた。そこへ松永久秀は直属の部下を
ひそかに町に派遣してまんじゅうを買い占めさせ、そのまんじゅうを陣中の兵士たちに売りつけると、
飛ぶように売れた。調子にのった松永久秀は娯楽に飢えた兵士たちに遊女を世話することまでして
大いに儲けた。
 信長が発した町への立ち入りを禁ずる命令がうまく利用されてしまったわけである。

290 :人間七七四年:2008/04/05(土) 21:40:23 ID:QnA2qhkj
さすが松永久秀w

291 :人間七七四年:2008/04/05(土) 22:43:47 ID:c/4K8Fzw
竹中半兵衛には逸話が多いよね。

ある時、黒田官兵衛が「秀吉様から恩賞として約束頂いた領地が、いっこうに頂けない。約束の書状が溜まるばかりだ。」
それを聞いた半兵衛は、ではその書状を見せて欲しいと言った。
官兵衛から書状を受け取った半兵衛は、そのまま囲炉裏に放り込み、すべて灰にしてしまった。
唖然とする官兵衛にこう言った。
「この様な書状があるから、欲が出て秀吉様に疑心を抱く事になります。
秀吉様にあらぬ嫌疑を抱かれぬ様、ご懸念致して下され。」
さすがに官兵衛はその意味を悟り、黙ってうなずいた。


292 :人間七七四年:2008/04/05(土) 23:18:34 ID:8P5N4Yqt
なんか政宗の百万石の書状の話に似てるな。
家康以下の偉大なやつらがみんな死んだ後に政宗が百万石の話を蒸し返して脅したら井伊の息子が激怒して書状を破いて「こんなものは御家の為になりません」と威圧されて
政宗が恥じ入ってショボーンした話。

293 :人間七七四年:2008/04/05(土) 23:38:01 ID:i+XIg6gN
江戸初期だが…
諸藩が二条城の普請を命じられたとき、彦根藩では軍学者岡本半介が奉行となった。
これは実質諸藩の競争だった。
堀を掘るときに排水が問題となり、諸藩は必死に排水を行ったが、半介は休むよう命じた。
その後作業を再開したときには既に彦根藩の受け持ちの部分の水は
もっと深く掘った藩のほうへ流れ排水されていたので簡単に掘り進めることが出来た。
また、諸藩が堀の底を平らにしているときに半介は何もしなかった。
幕府の目付けが理由をきくと、「これは甲州流で、敵が底を移動しにくいようにわざと底をデコボコにしてある」といった。
せっかく平らにした諸藩もまたデコボコに直さねばならなくなった。

次に江戸城の彦根藩普請総奉行の際、岡本は作業を遅くやらせ、諸藩が天井を完成させると言うときに、
また天井造りに取り掛かっていなかった。
そのとき、岡本は幕府の目付けを呼んで天井を造るので裏を確認してほしいと頼んだ。
当時、本多正純失脚をめぐって『宇都宮釣り天井事件』の風聞が流れていたので、
目付けたちは不覚だったと天井の奥を確認することになり、諸藩はせっかく完成させた天井をまた剥さねばならなくなった。
その隙に半介は天井を完成させた。

294 :人間七七四年:2008/04/06(日) 01:14:50 ID:KW73pYH7
戦国ちょっと過ぎのちょっとワルい話

295 :人間七七四年:2008/04/06(日) 05:48:02 ID:cxGpYPXZ
多分、史実じゃないけどちょっと良い話。

明智光秀の父が亡くなり、盛大に葬儀が営まれた。
焼香が始まり、家臣達の番になった。家臣の中に
立派な風格を持った者がいて、彼の順番は三番目であった。
だが、彼の焼香の作法は立派な武将のそれとは違い、
刀を置き、頭を床に擦り付ける、まるで農夫の様な振る舞いであった。
周囲の者は「なんと立派な武士と思ったが、まるで作法がなっておらん。
これでは故人も、うかばれぬぞ。」と冷笑した。
それを聞いた光秀は立ち上がり、周囲に言った。
「この者は明智家の重臣だ。もちろん作法の心得もある、だが元は農夫だった彼を見込んで、
父が武士に取り立てたのだ。彼はその時の恩を忘れずに、皆に笑われようが
農夫の作法で焼香したのだ。これが真の忠義では無いのか。」
冷笑した者達は深く恥じ入り、顔を伏せた。


296 :人間七七四年:2008/04/06(日) 07:49:46 ID:IwMXXO2r
大坂冬の陣、夏の陣の頃に幕府の京都所司代として活躍した板倉勝重の話。

 板倉勝重が若い頃、近所の家に強盗が押し入って家の者を殺害し、そして、それをごまかすために
家に火をつけるという事件が起きた。
 焼けた家と焼死体を見た近所の人たちは、火の不始末か何かで火事が起こり、逃げ遅れて
焼け死んだのではないかと推測したが、ただ一人、勝重だけは「これは殺人だ。何者かに殺された後に
火をつけられたんだ」と主張した。近所の人たちがその根拠をたずねると、勝重は、
「焼けた被害者の鼻の穴には火事によるスス汚れが全然ない。生きている間に火事が起きたのなら
大量のススや煙を鼻に吸い込んでいるはずだ」と、答えたので、人々はなるほどと感心した。
 その後、殺人の線で捜査が進められると程なくして下手人が捕まり、事件は無事に解決した。

297 :人間七七四年:2008/04/06(日) 15:15:41 ID:t01Me+ar
板倉勝重「ペロッ、これは青酸カリ!」

298 :人間七七四年:2008/04/07(月) 00:07:47 ID:SRGLb9zG
>>295
時代の違いといえばそれまでだが、何がいい話なのかわからん。
まあ作り話だとは自分も思うからつっこむだけ野暮だが。

299 :人間七七四年:2008/04/07(月) 06:36:13 ID:QhUoDocN
>>298
まあ要するに、出世して偉くなったからといって
身分の低かった頃の恩を忘れてはいません…て事を家臣は光秀の父に伝えたかったんじゃない?

300 :人間七七四年:2008/04/07(月) 14:21:09 ID:MRst6QYT
恥という概念がないと判りにくい話かもね

301 :人間七七四年:2008/04/07(月) 14:48:29 ID:fIzxg3NE
まあ、少なくとも今の感覚なら、立派に武士のなりを見せて、
お陰様でこうして立派に武士として振る舞うことができるようになりましたって姿を見せてナンボだと思うよな。

302 :人間七七四年:2008/04/07(月) 18:19:42 ID:B+wjS4A4
 上杉謙信が北陸から織田信長の領地に攻め入ろうとしていた頃、信長に仕えていた松永久秀が呼応して
反乱を起こし、自分の城に立てこもった。しかし、反乱はすぐに失敗し、松永久秀は城を織田の軍に
包囲されて絶体絶命の危機におちいった。
 覚悟を決めた久秀は息子に「城を出て、信長を討つ算段をせよ」と命じた。久秀の息子は、父とともに
死ぬ覚悟だったのでいやがったが、久秀にどうしてもと頼まれると、必ず信長を討つと誓って城から抜け出した。
 ところが、久秀の息子は城を出た後に包囲していた織田軍の兵士に見つかり、あっけなくつかまってしまった。
 それを知った織田家の兵士たちは「父親を見捨てて逃げ出した卑怯者」と悪口を言い合った。しかし、信長が
「父親の久秀に言いつけられてやむなく城を抜け出したのであって、卑怯な気持ちから逃げたのではあるまい」
と、かばったので、皆は悪口を言うのをやめた。
 信長はたとえ相手が憎い仇の息子であっても、間違った事実によって非難されるのはほっとけなかったのである。

303 :人間七七四年:2008/04/08(火) 00:24:06 ID:JTAm2W/h
唐入りのおり、停戦協定の時に明から虎が贈られた。
秀吉はこの虎を大層気に入り、自分のペットとして飼うことにした。
餌は何が良いかという段になって、生きた動物が良いと言うことで村々に飼い犬を供出させることにした。
とある猟師某は近隣でも評判の愛犬家だったが、その猟犬を数日後に献じる様に沙汰があった。
それから某は今まで以上に愛情を注ぎいだ。
「お前は日本一の犬、明の虎に破れるにせよせめて一矢報いて来い」と
普段自分が食べれないようなご馳走を犬に与えて最後の時を惜しんだ。

そして某の犬は虎の檻に放り込まれた。
虎はいつも通りのそりと起きあがると悠然と犬に歩み寄る。
しかしこの犬は今まで生き餌とされた犬と違いその虎に臆することなく毛を逆立て威嚇する。
小敵の戦意に構わず虎は犬を食い殺そうとしたその時、あっと犬が素早く虎の喉元に食らいついた。
虎は驚き何とか振りほどこうと暴れ回り、前足で犬を引き剥がそうとする。
犬は毛が抜け皮が裂けはらわたが露わになってもなお、虎からはなれない。
それでも必死に虎は暴れ回るが次第に弱まり、そして遂には息絶えた。

秀吉はこれを聴くと犬を激賞し、飼い主に遺骸と褒美を与えたという。

304 :人間七七四年:2008/04/08(火) 01:42:21 ID:iaqb0hoL
>>303
初めて秀吉に殺意がわいた
わんこも虎も可愛いのになんてことしやがる糞猿

305 :人間七七四年:2008/04/08(火) 01:43:34 ID:mGIjbfQU
昔から犬猿の仲なんてことを申しまして・・・


306 :人間七七四年:2008/04/08(火) 09:48:54 ID:XWcBwO9D
秀吉が褒美を与えて器の大きい人間を演じようとしてるのがむかつくな。

307 :人間七七四年:2008/04/08(火) 10:12:05 ID:A291MLyv
いや当時なら虎は超貴重だろ…愛犬家には申し訳ないが。

308 :人間七七四年:2008/04/08(火) 11:25:28 ID:Nt1l9ALv
虎、犬>>>>>>>> (禿禿敷く乗り越えられない壁) >>>>>>>>>>>秀吉

ということだけは分かった。

309 :人間七七四年:2008/04/08(火) 11:29:21 ID:l9k1FnwD
秀吉=徳川の爺さん、虎=ピクル、犬=烈海王だということがわかった。

310 :人間七七四年:2008/04/08(火) 23:02:31 ID:+AzFJ4Cy
というか、明から虎が贈られたなんて初めて聞いたけど。

311 :人間七七四年:2008/04/08(火) 23:43:56 ID:iaqb0hoL
秀吉も自分が虎の餌になればいいのに

312 :人間七七四年:2008/04/09(水) 01:04:06 ID:qgJ3BQ1N
>>310
303だが、
又引用の本がネタ元なので、まあそう言うネタもあるくらいの信憑性かと。

313 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:58:59 ID:Y9i5op8R
井伊直孝は唐犬を飼っていたがやがて家臣にこれをあげた。
直孝がその家臣の家に行くとその唐犬が直孝を見るなり大声でほえた。
父譲りの気性の持ち主だった直孝はかつての主を忘れたかと激怒し、
「あの犬はうるさいので耳を切ってしまえ!」と命じた。
そこへ岡本半介がやってきて直孝の前にはさみを差し出した。
直孝が「これはなんだ!?」というと半介は「はさみです。」と答えた。
直孝が「そんなことはわかっている。何をしようというのだ?」というと
半介は「殿が犬がうるさいから耳を切れとおっしゃるので殿の耳を切ろうと思いました。」
と答えたので、直孝は半介に免じて犬を許した。

314 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:26:58 ID:Jf+APSdh
激しい逸話ですな

315 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:46:04 ID:iFheOoQS
三方ヶ原で敗れて物凄い勢いで逃げている家康を超スピードで追いかけた婆の話とかw

316 :人間七七四年:2008/04/10(木) 18:21:57 ID:MkzFG86a
>>249
俺がその場に居たら間違いなく泣いちゃうぜ!!

317 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:18:26 ID:TbASQNo9
>>313-314
直政も結構きつい性格だったらしいが、息子の直孝もなかなか、
しかもポーカーフェースだったのでその怖さはひとしおだったらすぃ。
朝鮮通信使で来日した<丶`∀´>さんが直孝の名前を挙げて「怖い人物」と明記しているくらい。
半介ぐらいの性格の家臣で丁度釣り合いがとれていたのだろう。
でも苦言を呈するのもそんな殿様では命がけだけどね。

>>315
あの話はある意味感動するw 一歩間違えば怪談だけど。

318 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:53:43 ID:jBWk4zRT
直孝はぬこ派だったんだよ!!!

319 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:00:10 ID:OHoByaqT
>>313
これ、下手したら言った奴の耳が削ぎ落とされてもおかしくないな。
半介とやらはどこまで命知らずな奴なんだ。

320 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:00:47 ID:Yjtabery
間違いなくネタだろ。

321 :人間七七四年:2008/04/13(日) 14:57:01 ID:AqjKZIq2
ちょっといい話というより、ちょっと考えさせられる話

 羽柴秀吉と柴田勝家が争っていたころ、勝家配下の武将佐久間盛政が突出して秀吉方の
砦に侵攻して来た。
 砦を守っていた武将は高山右近、中川瀬兵衛の二名で、それぞれ300人ずつ手勢を従えていた。
高山右近は敵の侵攻に対し、「こちらは合わせて600人しかいないから、ここで無駄死にするよりも
一時撤退して本隊と合流してから戦おう」と主張し、それに対して中川瀬兵衛は「敵の進撃を少しでも
遅らせるためにここで籠城しよう」と主張した。
 結局、二人は喧嘩別れになり、高山右近率いる300人の兵のみが砦から撤退した。残った中川瀬兵衛の
軍勢300人は佐久間盛政の攻撃を奮戦して受け止め、全滅するまで戦い、進撃を遅らせることには成功した。
 世間の人々は命がけで戦った中川瀬兵衛を勇者としてほめたたえ、戦友を見捨てて逃げた高山右近を
臆病者として非難した。だが、部下の命を無駄に死なせたくないと撤退を選んだ高山右近と、部下を死なせる
ことになっても全体の勝利に貢献したいと思った中川瀬兵衛。本当に正しかったのはどちらなのだろうか。

322 :人間七七四年:2008/04/13(日) 16:25:35 ID:UsfC1+4C
俺としてはどちらも悪くない判断だとは思う

323 :人間七七四年:2008/04/13(日) 17:59:25 ID:4T6p3u6I
>>321
当時なら中川。現代なら高山が正しい…だと思うけど。
ただこの戦いに限れば、戦死しても無駄死にでは無い気がする。

324 :人間七七四年:2008/04/13(日) 18:02:37 ID:Njo99i/G
上司にしたいのは高山で、部下に欲しいのは中川だな

325 :人間七七四年:2008/04/13(日) 20:15:16 ID:RoMbE5lx
高山も残って損害を与えすぎると、陣取らないで素直に撤退していた可能性があるからな。
高山の選択で正解!

326 :人間七七四年:2008/04/13(日) 21:17:58 ID:5SAhL3Iq
小牧長久手で羽柴秀次が家康に補足された際に堀秀政は攻めてきた徳川の一軍を撃破したが
その後さらなる敵軍に包囲される危機が迫っていたので、先陣の援軍要請を無視してほぼ無傷で撤退してしまった。
急を聞いて駆け付けた豊臣の援軍が現れてた時には先陣の池田や森は討ち死に。
戦上手の堀はこんな感じの行動をしてる。
やはり一戦して小勝でも良いからポイントを稼いで一気に撤退するが解答だろう。
秀吉に激怒された秀次が堀を恨んだかどうかは知らんがな!


327 :人間七七四年:2008/04/13(日) 22:19:53 ID:jk3Vh3es
>>321
両方とも残って籠城していても、
両方ともに撤退していても全滅する可能性が高いんじゃないか?
2つに分かれて片方が籠城して時間稼ぎしたから
結果的に高山の撤退が成功したんだと思う。

328 :人間七七四年:2008/04/13(日) 22:21:30 ID:5R3g+BX/
>>321
中川思考の武将
道雪、宗茂、紹雲、家久、義弘、元春、左近、幸村、謙信

高山思考の武将
信長、秀吉、義久、宗麟、隆景、元就、家康、氏康、政宗

329 :人間七七四年:2008/04/13(日) 22:49:44 ID:5SAhL3Iq
>>328
中川思考でなおかつ佐久間ごときレベルなら勝っちゃいそうなメンバーだなw
柴田も敵数を誤認して撤退しそうw
このまま後詰めに敦賀で待ってるよ〜って伝令出して勝手に追撃戦に移りそうだわw
高山思考のメンバーは確かに残っていたら全滅しそうなメンバーだから撤退して後詰め待ちした方がいいな。
まーこの後に秀吉は神速の行軍しちまったわけだが。


330 :人間七七四年:2008/04/13(日) 23:06:10 ID:M5rKbxS9
うろ覚えなんで細部は違うかも。
寓話的だし、信長らしくないので信憑性は低そう。

朝倉氏が滅亡し柴田勝家が越前に入ったころの話。
越前国内で女狩りをする者がおり、勝家の手の者が捕らえ尋問すると
主君信長から越前の美女を集めて連れて来るように命令を受けたという。
越前はまだ平定したばかりで民心もまだ織田家になついておらず、
ここで主君の評判を落とすようなことはまずいと考えた勝家はその者を処刑、
信長には「殿の名を騙り無道を働いた者を処刑しました」とそらとぼけて報告した。
これに信長はぐうの音も出なかったという。



331 :人間七七四年:2008/04/14(月) 00:02:00 ID:kyYFtFzN
>>330
一銭斬りの信長がやるかなぁ……?

332 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:03:51 ID:H4CDA6lw
一銭斬りは政治的意図が大きいから越前なら別にやってもそれほど変ではないと思うな
むしろ、北陸での織田軍の動きを見ると勝家の言動の方が疑問

333 :人間七七四年:2008/04/14(月) 05:08:16 ID:sPRE/2bv
性病が心配だし、素性の分からない女狩りはそうそう
しない気がするがな。

334 :人間七七四年:2008/04/14(月) 05:55:19 ID:VkCeGrOK
信長は女にだらしないというイメージがないから違和感あるな。

335 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:42:23 ID:0x/v80tJ
作り話にしても信長を踏み台にした勝家褒め話って珍しいね

336 :人間七七四年:2008/04/16(水) 23:51:17 ID:7E1xM/5V
秀吉と三成や勘兵衛だったらありそうなんだけどね。

337 :人間七七四年:2008/04/18(金) 02:59:18 ID:n2WOmkCO
有名な話だけどまだ出てないので一つ

黒田官兵衛は謀反を起こした荒木村重を説得するべく、
秀吉に命じられて村重の有岡城へと赴いた
しかし官兵衛は有無言わさずに村重に牢屋に閉じ込められてしまう
有岡城へ説得しにいった官兵衛が行ったきり帰ってこない
このことを知った信長は官兵衛が村重に寝返ったと勘違いし、
人質にとっている官兵衛の息子・松寿丸(のちの長政)処刑するように秀吉に命じる
秀吉は迷った挙句、信長の命令なので従おうとしたが、
竹中半兵衛が独断で信長には松寿丸を処刑したと報告し、密かに匿って
石田正継(三成の父)の元へ隠しておいた

やがて有岡城が織田の軍勢によって落城し、中からやせ細った衰弱した男が出てきた
足に障害を持っており、知っているものが彼が官兵衛であることに気づいた
秀吉は官兵衛が生きていたと知って喜んだが、官兵衛の息子を殺してしまったことに
罪悪感を覚えて素直に喜ぶことができなかった
するとそこに半兵衛が密かに松寿丸を匿っていたという報せが届いた
これに秀吉は自分の面目が立って喜び、官兵衛の方も息子の命を助けてくれた
半兵衛に感謝しても感謝しきれぬ思いを抱いた

しかしその時既にことの功労者である半兵衛は世の人ではなく、
中国攻めの陣中で没していた
官兵衛は息子の恩人である半兵衛に感謝の言葉を直接言えなかったことを深く悲しんだと言う

一方信長は生前の半兵衛が自分に内緒で松寿丸を匿っていたと知ると呵呵大笑した
「さては半兵衛め、またしてもやられたわ」
と呟いたという

半兵衛はその以前にも秀吉に進言して、柴田勝家の軍勢から無断退却させ
信長に反抗したことがあった
半兵衛が官兵衛の息子・松寿丸を匿ったことは
ある意味彼なりの信長への挑戦だったのかもしれない


338 :うりうり:2008/04/18(金) 05:26:34 ID:BWEn9XYL
五ケ条の御書置
これ最強。
今の政治家に読んでもらいたい。

339 :人間七七四年:2008/04/18(金) 08:25:02 ID:H668oxs4
ザビエルが日本にキリスト教の布教に来たときの話。

ザビエルが道端でキリストの教えを説いていると一人の男が質問してきた。
「キリストの教えを信じない不信仰者は死後に地獄へ落ちるそうだが、それなら、去年亡くなった
うちの祖父はキリストの存在自体知らなかったのだから地獄へ落ちてしまうのか?
祖父はとても良い人で周りから尊敬されていたのにおかしいではないか。あなたの説く教えが
それほど素晴らしいものなら、なぜもっと早く来てくれなかったのだ?」
この質問にはさすがのザビエルも返答に困り、後に本国への手紙で、日本において布教するには
論理学の知識が必要である、と報告した。

340 :人間七七四年:2008/04/18(金) 08:40:26 ID:Irm3ufk0
>>339
そいつ、凄いな。

341 :人間七七四年:2008/04/18(金) 11:34:39 ID:/c/bhcs8
>>337
地味に正継の人の善さが伺える話でもあるな。

342 :人間七七四年:2008/04/18(金) 20:21:07 ID:m1X5EycB
>>339
で、そいつが後に創価学会を開いた池田大作とかいうオチじゃなくて?

343 :人間七七四年:2008/04/18(金) 21:17:33 ID:v1tQ0FkT
そして黒田長政は関ヶ原で今こそ正継の恩を返す時と佐和山城に籠城した正継を救い匿ったという。

344 :人間七七四年:2008/04/18(金) 22:51:29 ID:SZKvyQZs
>>339

もしかしてそいつが、西洋に近代哲学をもたらしたんじゃないのか?w
デカルトが登場するまで、西洋人なんて聖書の解釈しかしてなかったような
もんだしさ。

345 :人間七七四年:2008/04/19(土) 00:15:47 ID:tYh2libV
ザビエル「ということは君はホモだな」

346 :人間七七四年:2008/04/19(土) 00:59:28 ID:ChcgRmDQ
>>339
その後宣教師たちは
「私たちが教える前は、あなたたちは神の存在を間違って認識して、信仰していただけです。
だからあなたたちの先祖も救われます。アマテラス=デウス、ブッダ=デウス、まめちしきな」
みたいなノリで日本人を洗脳していったとか・・・

347 :人間七七四年:2008/04/19(土) 01:17:57 ID:5Bb3quh4
ブッダもアラーもキリストの別名であって
みんな同じものだと言ってた宇宙飛行士がいたな。

348 :人間七七四年:2008/04/19(土) 06:55:27 ID:3PLfkouw
ブッダはともかくアラーとキリストなんて元は同じなのに仲わるいよなあ
同族嫌悪ってやつか

349 :人間七七四年:2008/04/19(土) 08:28:20 ID:nBwHh70u
>>348
自己嫌悪かも?

350 :人間七七四年:2008/04/19(土) 19:52:28 ID:/Zoeg4ZK
>>337
黒田長政が関が原後、捕らえられた三成に丁重に接したというのは
幼いころ石田家に匿ってもらったということもあったのかな?

>>337じゃないけど正継の逸話を一つ。

石田家が統治する近江4郡は豊臣時代を通じてもっともよき民政地だった。
太閤に近侍し、日本全国をとびまわりめったに自分の統治地に帰ってこられない三成に代わり、
民政は主として父の正継(隠岐守入道)が担当した。正継は学問があり、
人柄も温和で土地では「藤右衛門どの」とよばれて親しまれた。
正継は農民に対し
「苦情があれば、じかに申し出よ」
と制限つきながら直訴主義をとった。江戸期にもこのようなことは無く
正継は非常によく仁慈をもって、農民の面倒をみていたといえる。
石田家の領地に上坂郷という地があった。
この地には、近江の浅井家に滅ぼされるまで上坂氏という有力な国人衆があった。
正継は上坂氏の零落ぶりを気の毒がり、そのうちの一人を豊臣家に推挙した。
さらには知行地も故郷の上坂郡の一部に設定してやったりもした。
ところが昔、上坂氏に搾取しつづけられていた上坂郡の農民はみなこれを喜ばず、
「いまさら上坂に殿様面して帰ってこられても困る」
と誰もがそっぽを向いた。
ところが、正継はあくまでも面倒見のいい領主であった。
大名でありながら、領民である上坂郡の農民に対し、下世話にも調停者になってわりこんだのである。
文書のなかで正継は
「昔を思えば旧主ではないか。道で出会えば、腰をかがめるだけでよいのだよ」
それだけの礼でよいのだ、上坂氏が昔のように重々しくのしかかって搾り上げるわけではないから礼をつくすだけでいい、ということである。
「でなければ草木も枯れるよ」
と最後に軽妙に付け加えた。


351 :人間七七四年:2008/04/20(日) 23:11:16 ID:DThkshzH
怖っw

352 :人間七七四年:2008/04/22(火) 01:25:48 ID:yrAOp9UW
怖いか?

353 :人間七七四年:2008/04/25(金) 02:37:25 ID:kOsvs7oE
黒田長政 → 石田三成の陣羽織エピソード

しかし、甲州は腹の中で大笑いしてたんじゃね?

354 :人間七七四年:2008/04/26(土) 17:30:30 ID:HXFsGIba
陣羽織エピソードと三成に言い返されたエピソードと二通りなかったっけか

355 :人間七七四年:2008/04/28(月) 23:03:54 ID:7dbiUPZF
山中鹿之助はドMだった・・・

356 :人間七七四年:2008/04/29(火) 00:21:54 ID:DPO+XD2M
ええ!
そうだったの!?
なんちゅうエエ話や〜・・

357 :人間七七四年:2008/05/01(木) 18:39:42 ID:f5qmCC8C
>>337
その後、関ヶ原の戦で、松寿丸⇔長政は竹中半兵衛の息子、重門を
石田方から徳川方に付くよう説得し、共に丸山で陣をとった。
そして両家の良い関係はその後も。。。

358 :人間七七四年:2008/05/02(金) 12:07:40 ID:fwlkkh19
>>337の続き。
竹中半兵衛死後、信長は重門に家督を継がせず(自分の命に背いたからか?)
一家は一時離散する。

>>357の続き。
徳川幕藩体制では5000石の旗本となり、竹中半兵衛の威名により8万石格の待遇を与えられる。
重門の次男から分かれた分家は黒田家家臣となり、幕末では本家と戦う。
この時竹中姓を「岩手」に改めた。
鳥羽伏見の戦いでは本家の重固は陸軍奉行となって総指揮に当たるが、
拙劣な指揮で「半兵衛は一代限り」と言われた。

359 :人間七七四年:2008/05/02(金) 14:15:01 ID:vRTsoegc
斯波氏家臣で何かと仲の悪さが言われる朝倉と織田ですが美濃攻撃を共同して
やったりとそんな時代もあったんですね。

まだそれほど信長が脚光を浴びてない時期、宗滴が「出来るものならあと三年
長生きして信長の行く末を見てみたい」といった話は有名ですが、宗滴とあと
信長の破滅を予見した恵瓊の卓見はなかなかすごいと思う。

360 :人間七七四年:2008/05/02(金) 14:42:43 ID:hWCdIFvS
>>359
信長の破滅を予見した恵瓊の話ってのは後世の創作だって事は有名だよ。

361 :人間七七四年:2008/05/02(金) 14:51:44 ID:G02EFeUr
>>358
その半兵衛の子孫が和泉元弥

362 :人間七七四年:2008/05/02(金) 14:53:27 ID:04mdqQMU
家臣に城を追い出され、暗君のイメージで語られる山名豊国。

江戸時代になって旗本(交代寄合)となり、但馬に領地をもらって帰ってきた。
帰郷した豊国はかつて毛利と結んで謀叛を起こした重臣の武田高信
(結局毛利に使い捨てられて殺された)の息子をはじめ、
かつて自分をひどい目に合わせた旧家臣の子を快く召抱えたという。

363 :人間七七四年:2008/05/04(日) 17:42:18 ID:FAk23FWf
>>358
スレタイ嫁
(゚听)養分イラネ( ゚д゚)、ペッ

364 :人間七七四年:2008/05/04(日) 17:53:07 ID:8gfY2BQu
>>362
人がいいな

365 :人間七七四年:2008/05/05(月) 04:36:14 ID:WDAyC/Qw
>>362
そんな人の良さだから追い出されたんだな

366 :人間七七四年:2008/05/05(月) 10:26:26 ID:V6rgTU/A
水戸藩初代藩主、徳川頼房の家臣に鈴木石見と言う人物がいた。
伊達政宗が江戸城に登城すると、控えの間に石見が居た。政宗が
控えの間に居る間中、じっと政宗を見つめていた。政宗は石見に
近づき訊ねた。
「なぜ俺をじっと見ている?何か言いたい事があるのか?」
石見は答えた。
「最近江戸ではどこかの大名が謀叛を起こす、と噂しております。
そこで大名の方々のお顔を拝見致しましたところ、謀叛を起こす
のはあなた様以外にいません。もし戦になれば真っ先にあなた様
の首をいただこうと、お顔を覚えようとしておりました。」
それを聞くと政宗は大笑いし、石見に言った。
「お前は大層な目利きだ。お前のような、勇ましい武士がいると
なれば、俺もうかうかと謀叛は起こせまい。気に入った、いつで
も俺の所に遊びに来い。お前とはもっと語り合いたい。」
政宗の豪胆さに石見は感じ入り、政宗とは真の友となって様々な
事を語り合ったと言う。


367 :人間七七四年:2008/05/05(月) 10:58:10 ID:Mm1o6uhm
>>363( ゚д゚)、ペッ

368 :人間七七四年:2008/05/05(月) 13:02:21 ID:nhsTflmF
>>365( ゚д゚)、ペッ

369 :人間七七四年:2008/05/05(月) 13:47:09 ID:sHa0RM4P
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?

370 :人間七七四年:2008/05/10(土) 14:25:27 ID:Q1kUKD9u
信長に能数寄を叱られ謹慎していた信忠は、城を抜け出し信雄を誘って伊勢の信孝の城へ行き、
用意させておいた舞台で兄弟3人交代で能を舞い、招待された領民の喝采を浴びた。
このことで信長からのお咎めは一切無かったという。


371 :人間七七四年:2008/05/10(土) 14:41:41 ID:Q1kUKD9u
順番逆になっちゃった

>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、
>>366は子と考えるのが普通。


372 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 23:24:27 ID:gc3XR7nF
>>93絡みで岩屋城ネタ
岩屋城が落城して間もなく、敗戦を知ないまま立花山城から立花宗茂の使いの兵が高橋紹運宛の書状をもって岩屋城へきた。
が、時既に遅く全員玉砕の岩屋城。使いの兵は島津軍に捕らわれ、そのまま従うよう命じられる。
立花宗茂の使いの兵はそれを断りこう言った
「一つだけお願いがあります。その書状を読むのは私の首をとってからにしてください」
その答えに島津の将は心を打たれ、書状を読まずにその兵の縄をほどき、立花山城に無傷で送り返した。

373 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 10:06:54 ID:s/ItF2dT
>>372絡みで立花宗茂ネタ
関が原の戦いで西軍に味方したため、戦後領地を没収され浪人となった
宗茂。彼を見捨てず、虚無僧や物乞いまでして宗茂を支え続けた家臣達。
その主従愛に感動した徳川秀忠は、彼を筑後柳川十一万石の大名として
取り立てた。
かつての領地に返り咲いた宗茂と家臣達は、さっそくかつての家臣を呼び
寄せ、新たな家臣を雇った。たちまち宗茂の屋敷は家臣達であふれかえった。
そこで宗茂が浪人時代から支えてきた家臣達が進言した。
「家臣も増え、今の屋敷では手狭でございます。そこで屋敷をもっと大きく
建て替えて、部屋も廊下も広くいたしましょう。」


374 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 10:25:39 ID:s/ItF2dT
>>373続き
だが宗茂は首を振って言った。
「いや、屋敷は狭いままで良い。」
家臣達は「何故?」と首をかしげた。
宗茂は目に涙を浮かべて言った。
「なぜなら俺が浪人となっても、お前達は俺を見捨てず、
物乞いをしてまで俺を支えてくれた。俺にとってかけがえ
の無い、愛しい家臣だ。もし屋敷を広くすれば、お前達と
こうして顔を合わせる事も減り、疎遠になるだろう。
それは嫌だ!それなら屋敷が狭いほうが、俺は嬉しいのだ。」
家臣達は涙で言葉も出なかった。

375 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 11:34:30 ID:ZvQLYTCp
ぎんぽっぽなんかにゃない逸話だな。

376 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 18:18:31 ID:3w7sYWMn
面白いネタはないの?

377 :人間七七四年:2008/06/18(水) 20:26:48 ID:35ygH+wf
あげ

378 :人間七七四年:2008/06/18(水) 21:57:31 ID:tqERUXi0
>>377

(・∀・)イイ話しだなー

379 :人間七七四年:2008/06/18(水) 23:45:31 ID:bplewm2a
織田信長の弟、信行に双子の弟がいた。弟の名は信高。幼年より病弱で僧となるため寺に入る。信長はこの弱い弟を大層可愛がっていた。この弟こそ後年本能寺で三法師を助けた前田げんいである。

380 :人間七七四年:2008/06/19(木) 00:50:04 ID:BLObJ4RQ
今日、幼稚園の前の道路を舗装してたんだが、
園児を迎えに来た母親が子供に向かって
「ほら、○○、ちゃんといい子に勉強しないとああいう人達みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった下校中の高校生2人が
A:「なぁ、B。皆が便利になる道路作る人と、子供にろくな事吹き込まない大人、
   なるとしたらどっち?」
B:「そら道路作るに決まってるだろw勉強してろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
「僕はあのおじさん達好きだよ。トラック見せてくれたもん」



381 :人間七七四年:2008/06/19(木) 13:52:54 ID:OSAIsIPN
>>380
(・∀・)イイ話しだなー

382 :人間七七四年:2008/06/19(木) 15:23:27 ID:3035ZDN5
>>380
いい話だね。俺は現場で働く人達は好きだ。


383 :人間七七四年:2008/06/19(木) 17:09:57 ID:O7ZtwGh2
戦国じゃないがいい話だな〜

384 :人間七七四年:2008/06/19(木) 17:57:50 ID:XfP/8aL6
いやな二択を迫られても困る

385 :人間七七四年:2008/06/19(木) 18:25:58 ID:G6IsV8A8
今日大坂城に参謁しに行ったんだが、
母親が子供に向かって
「ほら、秀頼、ちゃんといい子に学問しないとああいう武断派みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった高台院と正則が
高台院:「なぁ、。皆が便利になる天下作る家康と、子供にろくな事吹き込まない大人、
   付くとしたらどっち?」
正則:「そら天下作るに決まってるだろw勉強してもろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
秀頼「僕はあのおじさん達好きだよ。虎見せてくれたもん」


かくして加藤清正は東軍に付いた。

386 :人間七七四年:2008/06/19(木) 19:48:31 ID:jIeZNaKm
なるほど、ますます清正嫌いになったぜ。

387 :人間七七四年:2008/06/19(木) 21:56:09 ID:ZSnYL0O2
>>385
何という改悪w

388 :人間七七四年:2008/06/19(木) 22:17:57 ID:dhwKVso/
>>385
(・∀・)イイ話しだなー

389 :人間七七四年:2008/06/20(金) 00:32:07 ID:9YeDq+7i
秀吉の松茸狩りの話って出た?

390 :人間七七四年:2008/06/20(金) 11:33:16 ID:HwpJsyKf
>>389
上に立つ者の気配りの話だね。
宮本伊織(戦国時代じゃないけど)の豆腐の話も好きだ。

391 :人間七七四年:2008/06/20(金) 12:39:06 ID:WVRRZLLz
どちも出てないから教えれ

392 :人間七七四年:2008/06/20(金) 13:10:00 ID:HwpJsyKf
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。

家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。

そこで、彼らは、あちこちから松茸を取り寄せて、
こっそりと山に植えることにした。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。

秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。

すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かが、
植えたものでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。

秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。





393 :人間七七四年:2008/06/20(金) 13:11:58 ID:+v/z8d76
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。

家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。

そこで、彼らは、全裸になり、
こっそりと山に埋まり逸物を出した。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。

秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。

すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かの、
モノでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。

秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。

394 :人間七七四年:2008/06/20(金) 13:29:39 ID:2L0Xtorl
松茸狩りを秀吉は二回も繰り返したのか?
ボケちゃってたんじゃね。

395 :人間七七四年:2008/06/20(金) 13:32:52 ID:HwpJsyKf
宮本伊織=武蔵の養子(兄の子)

15歳で姫路藩(小笠原家)に仕官し、20歳で家老になる。
主家が小倉11万石に転封されてから筆頭家老。

彼は接待・宴席で豆腐料理を出されるとことさら喜んだ。
この噂は藩内はもとより近隣の国にも広まっていった。
そのため伊織がらみの宴席では豆腐がメイン料理となることが多かった。

晩年、使える女中が
「殿様はほんとうに豆腐がお好きなんですねえ」
と言うと、伊織はにこやかに笑って、
「本当に好きなものは他にあるのだが、
政務を司どるものが贅沢好きでは下に対してしめしがつかない。
それに、豆腐好きということにしておけば、余計な気遣いもさせなくて済む」
と言って女中に他言無用と約束させた。


396 :人間七七四年:2008/06/20(金) 14:37:02 ID:CiaSuIHl
全大村益次郎が泣いた

397 :人間七七四年:2008/06/20(金) 14:46:56 ID:4MXeX9CK
伊織に腹いっぱい芋粥を食わせてやりたいな

398 :人間七七四年:2008/06/20(金) 15:07:08 ID:rWhSNuxx
>>395
女中、おもいっくそ他言しとるがなw

399 :人間七七四年:2008/06/20(金) 15:58:07 ID:4MXeX9CK
女中、後の先だな

400 :人間七七四年:2008/06/20(金) 17:11:02 ID:O2sj2jZw
>>398
宴席で喜ぶ伊織……ところがここで女中がネタばらし。
いたたまれずに、恐縮する隣国の家老。「もう伊織殿に豆腐を出したりしないよ!本当さ!」

401 :人間七七四年:2008/06/24(火) 00:07:41 ID:sAyQLnQG
日本にやって来、その風俗や風習を深く学んだフランシスコ・ザビエルが、ヨーロッパのイエズス会本部に
送った手紙

「神父を日本に連れてくる者は、同封のリストにある商品を持ってくれば、大儲けは間違いありません。」

402 :人間七七四年:2008/06/24(火) 08:14:41 ID:pLwcfFln
何がリストアップされてたんだろう・・・

403 :人間七七四年:2008/06/24(火) 21:33:34 ID:hk4CorD1
カステーラ・コンペイトウ・可愛い少年

404 :人間七七四年:2008/06/25(水) 02:39:34 ID:VNfLBS+I
ちんこ

405 :人間七七四年:2008/06/25(水) 06:52:28 ID:CfkIzz58
黒人

406 :人間七七四年:2008/06/25(水) 08:26:21 ID:Q2zU6ZCn
>>401から黒い話になって来たな

407 :冬広:2008/06/25(水) 13:07:41 ID:zaTUmH0H
男のきずなの話

ある戦で前田利家と佐々成政が、二人がかりで稲葉某って豪傑を倒した。
曲がったことの嫌いな二人は、「稲葉に致命傷を与えたのはおめーだろ」って首の譲り合い
を始めるもお互い譲らず、果ては取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。

そこに通りかかった柴田勝家が、「この首いらないの?じゃ、おれが貰う」って言って、唖然
とする二人を尻目に稲葉の首を勝手にもっていってしまった。
そして、二人は不承不承、主君・織田信長の城に帰還した。

すると、柴田が来て「利家・成政、殿がお呼びだぞ」って二人を呼んだ。
二人は「殿が何の用事だろ?」って不審に思いながら拝謁すると、上座に信長・そばには勝家が
ニコニコして座っている。
「そちたち、豪傑稲葉を打ち取ったそうだな。これは手柄である。しかも、その首を譲りあうとは
近年ない奥ゆかしいことだ。これも手柄である。いきさつはすべて勝家から聞いた。そちたちの手柄は
2つあることになるから、2人共に褒美を遣わす」って二人とも褒められた。

以後、2人は信長に一層の忠誠を誓い、粋なはからいをした勝家を兄貴と慕ったという。

408 :人間七七四年:2008/06/25(水) 13:46:19 ID:Fwrhh91j
権六になら掘られてもいい

409 :人間七七四年:2008/06/25(水) 14:05:37 ID:A9rXzuB8
山をまもった話

関ヶ原の伏見城攻撃の時の話。

醍醐寺に石田軍の徴発部隊が、攻城戦に使う木材の伐採にやって来た。しかし醍醐寺領内は豊臣政権により
「山林竹木等守護不入」の権利を確認されていた。当然醍醐寺の側は徴発を拒否。だが石田側は武力に任せ
強引に山林の伐採を開始。醍醐寺側はこの暴挙に、寺の数少ない寺侍たちが出てきて抵抗をしようとするが
多勢に無勢。それどころか醍醐寺への攻撃すら仕掛けてくる始末。このまま醍醐寺の山林は禿山にされるのか。
その時である

醍醐寺領内の村々の半鐘が、一斉に鳴った。
それと同時に武装した村人たちの軍勢が石田軍の部隊を包囲したのである。
形勢は逆転した。石田軍は既に伐採した木材も打ち捨て、ほうほうの体で逃げて行った。

醍醐寺の山林はその後も長く、山里の村々を潤した。
表舞台では語られない、歴史の一コマ。

410 :人間七七四年:2008/06/25(水) 15:05:14 ID:SJQJ4T++
>>407
小牧長久手が悔やまれるな

411 :人間七七四年:2008/06/25(水) 23:28:04 ID:vXzkvdnQ
まあ池田なんだろうけど
としまつでしんさんが佐々と前田に
「おまいら戦場で何やっとるのだ!あ゛〜もおぉ」
このシーンよかったよ

412 :人間七七四年:2008/07/01(火) 10:19:04 ID:1jK2N4rU
戦国の雄として知られる加藤清正
まだ関ヶ原の前肥後を小西と半分こしていた頃
小西といさかいがあり天草に出陣
弓の名手の木山なんとかとぶつかる
木山が得意の由美を使うと清正は「一騎打ちなら正々堂々と太刀で戦わん」と叫びてにもつ槍を捨てた
それを見た木山も弓を捨てくまんとしたその時清正はすぐに槍を拾い木山をつきころした
木山は「おのれ、たばかったな卑怯者め」と泣き言を言いながら絶命をしたが
清正は勝てばよかろうなだーというようなことを言いすて平然としていたという

朝倉宗滴の教えを守った武士の鑑といえるだろう

ちなみにこの話後日談があり木山の息子が復讐と清正を狙い熊本築城の人夫にマジって潜入機械をうかがっていたが
気づいた清正は井戸掘りの作業をさせ一緒に作業をしていた他の人足ともども上から岩を落とし殺したその井戸は今もある
ついでに木山親父を見事討ち取った戦いのときに敵のこもる城に和平の使者を送り
受け入れた敵兵に襲い掛かり皆殺しにした。完全勝利としてやったりと快活に笑ったという

朝倉宗滴の教えを(ry
さすが武士のかがみわが故郷熊本の神様清正公である我らも見習いたいものだ

413 :人間七七四年:2008/07/01(火) 10:21:31 ID:f1JLPO1W
侍の嘘は武略

414 :人間七七四年:2008/07/01(火) 10:45:56 ID:WuA6UoxH
誤字多すぎ

415 :人間七七四年:2008/07/01(火) 13:07:07 ID:lym/e5Mo
まつを非常に愛した利家は12歳で妊娠させた愛深き男であった。

416 :人間七七四年:2008/07/01(火) 19:50:07 ID:4D3OYN/q
数え13歳で出産すること自体がすごく大変だったろうに、
合計で2男9女を生んだまつは、すごい女だな・・・強い女だ。


417 :人間七七四年:2008/07/01(火) 20:37:05 ID:wQjV1Y0I
おまつ様は優良子作りマシーン

418 :人間七七四年:2008/07/01(火) 21:24:57 ID:MDi3ThSK
昔の人間は現代より早熟だったんだろう。人生50年の時代だし

419 :人間七七四年:2008/07/03(木) 14:05:43 ID:NrVxmQhJ
既出かな
義に篤く礼を重んじる蒲生氏郷の話

知行200石の六角子四郎(承禎の子)が秀吉に謁見する時
92万石大名氏郷はかって主従関係だったことから、太刀持ちを務めた。


420 :人間七七四年:2008/07/03(木) 21:35:06 ID:t3anU763
>>412
横手五郎の話じゃないんだよね
横手五郎は怪力なので やはり井戸掘り作業をさせて
岩を落としたがみな受け止めるので 砂で生き埋めにした
その話なら熊本城内の石碑に書いてあったけど

421 :人間七七四年:2008/07/03(木) 22:19:45 ID:QPyJnnLw
横手五郎惟宗は天草合戦で討ち死にした木山弾正惟久の遺児という説があるらしい
しかしこの木山弾正、島津に赤井城を落とされたのが天文13年(1544)で、
討ち死にしたのが天正17年(1589)って同一人物かね

422 :人間七七四年:2008/07/05(土) 12:09:12 ID:MSxhTdI6
関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。

423 :人間七七四年:2008/07/05(土) 12:17:22 ID:2oIztn+T
>>422
家康の、「橋の前で馬を降りる」と、本質的には同じ話だな。

424 :人間七七四年:2008/07/08(火) 14:17:52 ID:iF2xuY9a
可児って猪突猛進の典型な気がしてたんだが違ったのか

425 :☆中山鹿之助☆ ◆.Ooo.qq.q. :2008/07/08(火) 17:18:57 ID:jFqDvhLU
>>422
カッコイイハナシダナー・゚・(ノ∀')・゚・。

426 :人間七七四年:2008/07/08(火) 17:28:45 ID:pnB6AJ3l
>>424
俺はむしろ、司馬遼の「おれは権現」での臆病な才蔵のイメージがあったから、この逸話
はしっくりくるなw

427 :人間七七四年:2008/07/09(水) 02:48:44 ID:Xyz7FeGi
みっちゃんは坂本もろった時に古歌に出てる場所に行ってみたのだ
ところが謡われているような松がない
どうしたのだと聞くと枯れちゃったとのこと
みっちゃんはそりゃいかんここには松があるべきと新たに植えました
それを信長が知り(猿経由だったような)
うぬもたまには面白いことするのると珍しく褒めた
したらばみっちゃんは
いやそんなことないっすよ云々カンヌンといってしまた
信長いつもどおり逆ギレみっちゃんをぼこぼこにしましたとさ
どうやらアドリブがにがてだったようですな

どうもこれも本能寺の遠因の一つらしい

428 :人間七七四年:2008/07/09(水) 03:27:38 ID:VUAyqzJB
信長のエピソードを聞くとそのほとんどが人格破綻者だから困る

429 :人間七七四年:2008/07/09(水) 04:42:46 ID:/xQBFMz1
信長と昌幸のエピソードは、いいぞ!

430 :人間七七四年:2008/07/09(水) 09:46:06 ID:dm3qyj1K
ある時、加藤忠広は
「余は武勇では到底、父・清正には及ばない。もっと、大力の持ち主になりたい」って、家老の飯田覚兵衛
に語った。
忠広を暗君だと思っていた飯田は、主君がめずらしくまともな反省の弁を述べたので、
「大力でないのは生まれつきゆえいたし方ありませぬ。しかし、その分学問に励まれて知将になりなされ」って励ました。

それを聞いた忠広は薄ら笑いを浮かべ、
「大力であれば、戦場で鎧を2重に着込むことができ、命を落とさずにすむだろ。余が大力になりたいと言ったのはそういう
意味じゃ。覚兵衛は何か勘違いしておるのう」と言った。
覚兵衛は、やっぱバカ殿じゃん…と暗澹たる気持ちになったとさ。

431 :人間七七四年:2008/07/09(水) 10:12:32 ID:7CyMyOiZ
関ヶ原のあと家康の元にやって来た朝鮮の使節、家康の家老の胸毛がもしゃもしゃだったことを記録。

432 :人間七七四年:2008/07/09(水) 10:15:38 ID:6GPekp4E
鎧付けている時間が長いと現代の骨折ギブスつけた時のように
毛がもじゃもじゃになるんですね、わかります

433 :人間七七四年:2008/07/09(水) 10:22:03 ID:7CyMyOiZ
戦国時代にやってきたイエズス会士、当時の日本人が小指で鼻をほじっていた事に衝撃を受けわざわざ本国に報告。

「我々は人差し指や中指を使うのに」

434 :人間七七四年:2008/07/09(水) 13:41:10 ID:dm3qyj1K
明智光秀の妻の話

光秀が仕官できずに流浪していたころ、彼の家に客が訪ねてきた。
光秀は客をもてなしたいが、放浪の身で貧しかったので、妻のひろ子に愚痴をこぼした。
ひろ子は
「妻というものは、こういう不意の事態に対する心構えができていまいます。殿はもてなしの
準備に気を使わないで下さい」といって、酒肴を買いに行き、光秀は大いに客をもてなすことが
できた。

客が帰った後に
「そなたのおかげで明智の面目を保つことができたが、あれだけのごちそうを買える金をどこから
工面したのだ?」とひろ子に聞くと
「実は、私の髪を売って金に換えました」と答えて、ひろ子は被っていた頭巾を取った。
なんと、ひろ子の腰まであった自慢の黒髪は無残にも根元から切り取られていたのだ。

光秀は大いに驚き
「いかに落ちぶれたとはいえ、我が妻にそのような思いをさせるとは、自分が情けない。
よき主君に仕え、もう二度とひろ子にこのような思いはさせぬぞ。」と堅く誓いあった。

「 月さびよ 明智が妻の 咄せむ 」
これは、この逸話を詠った、松尾芭蕉の句である。

435 :人間七七四年:2008/07/09(水) 13:50:21 ID:gfSUNhue
光秀は櫛を買ってくるんだろ

436 :人間七七四年:2008/07/09(水) 13:59:18 ID:7CyMyOiZ
織田信長の赤母衣衆として、長篠の合戦などで活躍し猛将として知られ、後に飛騨高山藩の祖となった金森長近。

弟は落語家。

437 :人間七七四年:2008/07/09(水) 14:21:42 ID:dm3qyj1K
口コミの話

織田家の猛将で知られる佐々成政は、越前の郡持大名から越中の国持大名に抜擢された。
佐々は、領地が増えたので新規の家臣の求人募集をした。
なんと、募集要項には「武功自慢求む」とあるのみ。

仕官希望の牢人の面接官には、佐々自らあたり、武功自慢の内容がビックな者はどんどん取り立てた。
しかも、求人1000石の応募者には、1500石で採用。求人500石の応募者には、700石で採用といった具合に
牢人衆に大盤振る舞いをした。

見るに見かねた側近が
「殿が大盤振る舞いをするから、牢人の中にはホラやウソの武功自慢をする不届き者がいます。いいかげ
んな採用はお控えください」と諌めても
「ホラでもなんでも、ワシの手足になる者なのだから、構うまい。それに、武功自慢が三度のメシより好き
何だもん」と一構に気にしない。

果たして、佐々成政のうわさは近隣諸国に広まり、結果的に名のある牢人衆を多数召抱えるころができたとさ。

438 :人間七七四年:2008/07/09(水) 21:02:38 ID:Ws6Dkeqy
佐々は40万国で兵25000と言う話は知っていたが
裏話ってあるものだな

439 :人間七七四年:2008/07/09(水) 21:42:35 ID:7CyMyOiZ
>>438
まあ、野暮だけど、>>434>>437は中国の故事からもってきたお話だよ。

440 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:22:40 ID:wZ74xq1p
福島正則の話
福島正則は粗暴で人を罰することも多かった。あるとき、近習の一人の武士がわずかなことで咎められ、一切食事を与えられず城内の櫓に閉じ込められた。
後日、もう餓死している頃だろうと思って正則が櫓に出向くと、その武士は餓死するどころか、顔色ひとつ衰えていなかった。

441 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:24:03 ID:wZ74xq1p
「さて誰かこっそり飯を運んだな」正則は怒り、その者を捜し出して殺そうとした。すると、一人の茶坊主が死を覚悟して名乗り出てきた。

442 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:25:14 ID:wZ74xq1p
「昔、私は罪を得て死にそうなとき、この方に助けていただきました。その恩に報いるため、飯を運んだのです」これを聞いた正則は目に涙を浮かべ、「お前の志には感心した。人間はそうあるべきだ」といって櫓の武士を許し、茶坊主を報償したという。

443 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:29:05 ID:Da7T3WmI
なんで小出しにするの携帯厨なの?

444 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:54:00 ID:h8vz+p1c
一方正則は家康に媚びた

445 :人間七七四年:2008/07/09(水) 22:56:07 ID:7CyMyOiZ
三河時代の徳川家。
とある法令が守られず、当時徳川の名物と言われた三奉行、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門重次、
どちへんなしの天野康景が会議を開いた。

高力「法令が厳しすぎて守れないのだ。もっと守りやすい法令に改めるべき」
天野「いや、むしろ罰則を厳しくして、法令を徹底させるべきだ」
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがしかる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。

446 :人間七七四年:2008/07/09(水) 23:56:41 ID:dm3qyj1K
>>439
確かに明智妻の話は、北条時頼と佐野の話・蜀漢劉備と狼の肉の話、に似てるな〜とオモタが、更に原典となる
故事はあるんやろね。

447 :人間七七四年:2008/07/10(木) 02:05:30 ID:6R3v8Heb
戦国列強の一角を担った毛利元就
彼の嫡男隆元は、戦国の世には珍しい愛妻家で、側室を持たなかった
次男の吉川元春は、ブスと評判の嫁を貰ったが、やはり側室を置かなかった
そして、なんと三男の小早川隆景もまた、奥さん一筋であった
上の二人は後継ぎが生まれたのでまだしもだが、隆景には生まれなかった
にもかかわらず、側室を置かなかったのである
戦国一、嫁さんを大事にした一族と言えるだろう

448 :人間七七四年:2008/07/10(木) 02:51:01 ID:seV6O5kC
毛利と言えば、その隆元の息子輝元が、秀吉に臣従するため大毛利家当主として初めて上洛すると言う時、
家臣の山内元興に当てた手紙

「銀子100枚でいいから貸してくれないか!?絶対返すから!」

449 :人間七七四年:2008/07/10(木) 12:39:41 ID:QwEeltSe
>>445
いい話つか、それ笑い話だろ

450 :人間七七四年:2008/07/10(木) 12:50:45 ID:FlIi8GSC
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがほる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。

451 :人間七七四年:2008/07/10(木) 12:56:01 ID:e2dWpqn3
既出?
真田昌幸と島田兵四郎

慶長5年(1600年)第2次上田合戦の時のことである。
秀忠の使番である島田兵四郎は,
本陣から攻城中の上田城をはさんだ場所に陣を張っている,
石川隊に連絡をつけなければならなかった。
上田城を迂回していくと大幅に時間を浪費してしまう。
そこで兵四郎は剛胆にも
「」上田城の門の前から城内を通りぬけさせてもらいたいと大声で頼んだ。
その報告を受けた昌幸は興がり、機嫌良く兵四郎に会うと

「後の合戦のために城内をよく見ておくが良い。また戦場ではわしの顔を忘れるなよ。」

と、自らの顔をよく見せたあと、城内を案内して廻った。

452 :人間七七四年:2008/07/10(木) 18:21:55 ID:ZVTe9j0Q
>>445
サクザはその辺の民衆にも読みやすいように
法令の発表の際にはわかりやすい文体で平仮名で書いてたんだよな
甲が乙に〜とかはやらなかったんだよな
単なる鬼ではない
隻眼片足で秀吉のおかん焼き殺そうとしたけどな

453 :人間七七四年:2008/07/10(木) 18:55:46 ID:seV6O5kC
>>452
北条征伐で秀吉が駿府城に入った時も、秀吉の前で家康罵りまくったりw
これを思い出した


秀吉の元に諸侯が集まった時、秀吉がそれぞれの家の家宝や秘蔵の品をたずねてみた。
それぞれ宝剣や茶道具などを自慢し合う中、最大の諸侯である家康は一人黙っていた。

秀吉が「徳川殿はいかなる宝をお持ちか?」と尋ねると、家康は、

「わたくしは、ご存知のとおり先祖代々片田舎におりますれば、そのような宝物は何も持っておりません。
ただ、事起これば自分のために命を捨ててくれる家来が五百騎ほどおります。これが私の宝でございます。」

454 :人間七七四年:2008/07/10(木) 18:58:59 ID:pO1YtQBM
氏政『今日はあの収穫したばかりの新鮮な麦飯に汁かけて喰おうぜ!』
家臣『親方さまの汁なら三回はかけて欲しいぜ♪』
氏康『あぁ君臣が仲睦まじい…これで北条も安泰だ\(^_^)/』
信玄『ワシに学んだとは!北条に離間策は通じぬな。穴どるべからず』

455 :人間七七四年:2008/07/10(木) 19:23:29 ID:567QXLwH
さくざ叱るは天下創世のイベントが面白い

456 :人間七七四年:2008/07/10(木) 20:21:49 ID:uMxE+C22
天下統一を果たした羽柴秀吉は、自分に臣従した大名を呼び寄せ、
舟遊びに興じた。秀吉は饅頭を用意して、船に乗り合わせた大名
達に配った。皆、美味そうに饅頭をほうばる中、長宗我部元親は
饅頭を少しかじって、そのまま紙に包んだ。
それを見咎めた秀吉が訊いた、
「長宗我部、その饅頭が気に入らぬか?」
長宗我部は答えた
「いえ、秀吉様に頂いた貴重な饅頭を、私一人で食べるのはもっ
たい無き事。持ち帰って家臣達と分け合って食べます。」
秀吉は大いに喜び、用意していた饅頭をすべて長宗我部に与えた。

一時は四国全土を席巻し、「土佐の出来人」と謳われた
長宗我部元親。彼ですら戦国の世で生き残るには、こうした心遣い
が必要であったのかもしれない。

457 :人間七七四年:2008/07/10(木) 22:46:18 ID:ZUVezt6V
>>450
さくざwほっちゃいかんだろww

458 :人間七七四年:2008/07/10(木) 22:51:20 ID:seV6O5kC
小学生レベルのネタで笑える人ってうらやましいわ

459 :人間七七四年:2008/07/11(金) 10:18:00 ID:PCi+oieC
うんこと言って笑ってる小学生と一緒だな

460 :人間七七四年:2008/07/11(金) 12:01:29 ID:nm+y5XnB
「のぼうの城」で有名になった秀吉の関東征伐における忍城攻防戦。
あの話には実は続きがある。

交渉の結果無血開城となった忍城、そのことを知らせた三成に対し、秀吉からの返答は

「約束は関係ない。城の者どもは皆殺しにしろ」

だった。
三成はそれに強硬に反対。「我らは天下人たる秀吉様の名をもって約束したのである。天下人の面目のためにも
無血開城を許すべき」との強諫状を秀吉に送りつけた。
秀吉はそれをしぶしぶ認め、結果、忍城は無事無血開城された。

が、

秀吉はこの三成の行為にかなりの不快感を持ち、見せしめのため、秀吉草々頃からの家臣であり
三成を秀吉に推挙した、三成の妻の伯父に当たる、尾藤左衛門尉知宣を、下野那須野ヶ原に於いて斬殺した。

461 :人間七七四年:2008/07/11(金) 13:04:01 ID:rD2d70ZH
うへぇ 「戦国 か な り 悪 い 話」になってる
ま、秀吉の実像を知っている人なら驚かない話ではあるな。

462 :人間七七四年:2008/07/11(金) 13:38:12 ID:jUkSEDN2
大坂の陣で徳川勢が城を囲み始めたころ、
城内で開かれた軍儀で真田信繁が
「敵の準備が整う前に奇襲を掛け、出鼻を挫けば、豊臣に味方するものもさらに増えよう」
という提案に将達も賛成した。藤又兵衛は「では私がそれを仕ろう」と言った。

信繁は自分にまかせろといい、
又兵衛は、「信繁様は一軍の大将なのだからもしものことがあってはまずい」と言い、
ついには喧嘩になってしまったため、城を出ての奇襲は却下となった。

武将として戦功の無い信繁の焦りと自信過剰の又兵衛。
なんとも残念な情けない本当の話。

463 :人間七七四年:2008/07/11(金) 13:46:06 ID:nm+y5XnB
>>462
その頃家康は

自軍の兵たちに自ら、竹束による鉄砲除けのやり方を教え、「最近の若い者は戦のやり方をまるでわかっとらん」と
怒っていた。

464 :人間七七四年:2008/07/11(金) 14:28:25 ID:U8OSaxyE
秀吉話の場合最後に必ず誰か殺すんだなw

465 :人間七七四年:2008/07/11(金) 15:08:44 ID:veEi+yPH
15年も戦争が無けりゃそうなるだろうね

466 :人間七七四年:2008/07/11(金) 15:42:02 ID:/8IbI/UW
昭和13年5月21日、前年に勃発した日中戦争が激化する中。
岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾部落で、
都井睦雄、数え年で22歳が、
ゲートル、猛獣用狩猟用口径12番9連発銃を手にし、
日本刀腰に下げ、匕首2本をポケット入れ、
貝尾部落の電線を切り、部落全体を暗闇にしたうえ、
自分はナショナルランプを胸に、
頭に2本の懐中電灯をさし、村人30人あまりを虐殺した。
まず都井は、一緒の部屋に寝ていた祖母のいねの首を手斧で斬りおとした。
首は約1mほど飛んだ。その上、猟銃を身体に無茶苦茶に撃ち込んだ。
続いて隣家の丹羽イト(47)方に侵入、就寝中のイトに瀕死の重傷を負わせる。
かたわらに寝ていた娘つる代(21)日本刀と猟銃を以って殺害、
続いて寺井好二方に侵入、一家を全滅せしめたうえ、
返り血を浴び悪鬼のごとく荒れ狂い、深い眠りに落ちていた付近民家を片っ端に襲った。
人とは思えぬ野獣のような叫び声を上げ、貝尾部落の住民を戦慄せしめた。
都井はそれから猟銃と日本刀を以って29人をたてつづけに殺害した。
返り血で全身血まみれになり付近の山中を逃げ回った都井睦雄は、
山中で自分の心臓を猟銃を撃ち抜き、自らの命を絶った。

      「阿部定に負けんような、どえらい事してやる」

467 :人間七七四年:2008/07/11(金) 15:48:21 ID:qjLtY+6O
Y   Y
(・∀・) <こらえてつかぁさい

468 :人間七七四年:2008/07/11(金) 15:53:27 ID:RQ4Wx2V7
「ちょっといい話」以外のカキコが増えて、ちょっと荒れてきたね

469 :人間七七四年:2008/07/11(金) 15:58:46 ID:nm+y5XnB
関東征伐の時のお話をもう一つ

前田利家が秩父寄居の鉢形城をとりかこむと、封鎖された城側は戦意を失い降伏。無血開城された。
この、無駄な血を流さない鮮やかな戦果に利家も喜んでいると、早速秀吉から書状が届いた。
「こんなに早く書状が来るなんて、関白様もお喜びか!」と、書状を開くと、そこには

『誰が勝手に城兵の命を助けて良いと言った?』


この書状にハッスルした利家公、八王子城攻略で高名な皆殺しをやってのけました。

470 :人間七七四年:2008/07/11(金) 19:10:44 ID:PCi+oieC
>>466
スレタイ読めよ
つか、板違い

471 :人間七七四年:2008/07/11(金) 19:39:37 ID:nm+y5XnB
今度は本当に良い話

三成の奉行に平塚越中守という者がいた。世に知られた武士であったので、彼が浪人していた時
徳川家康も仕官を誘ったが

「家康公はケチなので嫌でござる」

と言い、気前の良い石田三成の元に使えた。
やがて関ヶ原が起こり、平塚は落ちのびる最中生け捕りにされた。
かつての事を覚えていた家康は引き出された平塚に「わしの誘いを断り三成に使え、この様か」と嫌味を言う。
それに平塚は「何を言うか!徳川殿とてかつては今川に人質にされ、戸田にさらわれ織田に売られたような身で
あったではないか!」と家康を散々に罵り、「さあ、早く首をはねよ!」と啖呵をきった。

それを聞いて家康はにやりと笑い
「さても憎い奴だ。お前のような奴に一瞬しか苦しまない斬首はもったいない。生かして世の苦しみを味あわせよ」
といい、縄を解き召し放してしまった。

左右の者たちが「何故あのような無礼なものを!これでは処罰になりませぬ!」と抗議すると
家康は、「あ奴は見所のある奴だが、苦労が足りぬ。苦労して人を磨けば、わしの息子達の家臣にしたいほどの、
良い武士になるであろう。そう見込んだから、命を助けたのだ。」といった。


この平塚越中守の名が、紀伊家初代、徳川頼宣の家臣の中に現れるのは、この暫く後の話である。

472 :人間七七四年:2008/07/12(土) 00:16:12 ID:iKrK589Q
天正9(1581)年7月、織田信長、何を思ったか地元の盆踊りの余興に、安土城にイルミネーションを取り付けると宣言。
家臣一同その作業にてんやわんやの目に合うも、提灯業者大いに潤う。

473 :人間七七四年:2008/07/12(土) 00:27:52 ID:iKrK589Q
天正18年(1590年)、石田三成、佐和山城を造るも、お金が足りなくて壁が未塗装のままになる。
それを指摘されると「うるせー俺の城は実戦向きなんだよ」と、良くわからない言い訳をする。

474 :人間七七四年:2008/07/12(土) 01:18:13 ID:iKrK589Q
文明三年(1476年)伊勢新九郎、幕府に出張に出される。ついでにお父さんを亡くしたばかりの甥っ子を慰める。
長享元年(1487年)伊勢新九郎、幕府にまた出張に出される。ついでに甥っ子がピンチだったので助ける。
永正元年(1501年)伊勢新九郎、甥っ子と鎌倉観光を楽しむ。「こいつも成長したなあ」と、しみじみする。
永正二年(1505年)伊勢新九郎、甥っ子の嫁の世話をする。京都の名家のお嬢様だ。
永正十三年(1516年)伊勢新九郎、伊豆三島大社に参拝し、甥っ子の戦が上手く行ったことを神様に感謝する。
でも恥ずかしいので甥っ子には内緒だ。(約500年後、気の利かない地元の史家にばらされる)

475 :人間七七四年:2008/07/12(土) 02:52:34 ID:jmDXDfNF
>>472
瀬戸てんやわんや

476 :人間七七四年:2008/07/12(土) 11:04:47 ID:iKrK589Q
正宗三連発

・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し

「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」

と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。忠澄もとっさにひっぱたき返す。
→そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、島津家久を呼んで茶会を企画。余興として能でもしようと思い立ち、喜多七太夫の所に
「役者貸せ」と言いに行くも、七太夫「あいにくその日はみんな予定が埋まってまして…」
これに激怒した政宗「来ないと言うのなら、お前ら全員斬り殺す!」と、堂々のジェノサイド宣言。政宗は本気だ。
困った七太夫、島津家久に泣き付く。訳を聞いて途方にくれた家久、友達の立花宗茂や寺沢広高と相談の結果、

「いたたたたたた?あれ?急に、おなかが、痛、いたたたたたた、急におなかが痛くなったよー、これじゃ茶会は無理、
残念だけど延期するしかないなあーいたたたたた(棒読み)」

と、不登校の小学生みたいな言い訳をして、五日間の延期に成功。細川忠興やっぱり呆れる。

477 :人間七七四年:2008/07/12(土) 12:05:31 ID:CCki6Kvx
>>476
なんというDQNw

478 :人間七七四年:2008/07/12(土) 13:10:20 ID:wM2GQ6nA
細川忠興のようなDQNに呆れられるところが笑いどころか?

479 :人間七七四年:2008/07/12(土) 14:14:36 ID:jmDXDfNF
それ以外ないだろ

480 :人間七七四年:2008/07/12(土) 14:31:52 ID:o3th/Art
http://www.nicovideo.jp/watch/sm166929

481 :人間七七四年:2008/07/12(土) 17:07:17 ID:BowFtQy6
>>476
島津家久ってとこで笑った

西国無双のDQN忠恒様さえも途方に暮れる役回りにしてしまう
政宗おそるべし

482 :人間七七四年:2008/07/12(土) 17:34:24 ID:iKrK589Q
秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙

『鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、
父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。

その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」

483 :人間七七四年:2008/07/12(土) 22:09:30 ID:1LXiI71w
今度はDQN自慢スレになってるw

>>474
なんかの日記のガイドラインですか
>>482
それは「ちょっといい話し」というより「泣ける話し」のような。

484 :人間七七四年:2008/07/13(日) 00:41:09 ID:+yWH91Rb
毛利輝元が始めて上洛した時のお話

朝廷への参内を認められ、参議に就任。毛利家始まって以来の殿上人である。
御所を出たのは夜中の10時。だが輝元うれしさのあまり、付き添いの小早川隆景引っ張って
豊臣秀長のところに「参議になったよ!」報告に駆けつける。が、当然既に門は閉められており、
門番から「もう遅いんで明日来てもらえますか?」とたしなめられる。

隆景、ひどく恥ずかしい思いをする。

485 :人間七七四年:2008/07/13(日) 15:31:50 ID:+yWH91Rb
信長が上洛した時の事

信長は将軍の新邸や御所の新築をするため、各地から資材を集め、かつての室町幕府の政庁、花の御所が
あった場所からも石材をどんどん搬入させた。それを見た京都の市民、御所の女房言葉で、団子の事を
「いしいし」と呼んだ事から、「これがホントの花より団子か」と、信長、変な感心をされる。

486 :人間七七四年:2008/07/14(月) 06:37:58 ID:SqmWSjTB
>>460
三成って良くも悪くも正義感強すぎたんだな

487 :人間七七四年:2008/07/14(月) 10:10:15 ID:6awfvRt+
>>486
ちなみに、三成は伯父を殺されたのが相当堪えたのか、この後の奥州征伐では、秀吉に言われたとおり、
九戸などで「城兵の命は助けると約束して降伏させる→皆殺し(女子供含む)」をやって、秀吉からの信頼を
回復します。

488 :人間七七四年:2008/07/14(月) 12:17:55 ID:hxHDCHEz
>>487
九戸の乱に三成は立ち会ってなかったと思うが

489 :人間七七四年:2008/07/14(月) 12:43:48 ID:6awfvRt+
>>488
ああ、そうだ。ごめん勘違い。蒲生氏郷と三成を逆に覚えてた。

490 :人間七七四年:2008/07/14(月) 13:50:43 ID:INEJa3iz
木村重成(秀頼の乳兄弟)

大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。
 この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、
 敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。
 俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」



491 :人間七七四年:2008/07/14(月) 21:08:57 ID:6awfvRt+
秀吉の北条征伐を受ける北条氏

領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
ただし

「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。

492 :人間七七四年:2008/07/15(火) 01:19:32 ID:AlKY6CLr
細川忠興が隠居した頃のお話。

土井利勝のところに秀忠と家光が御成りになるという話を聞いた忠興、利勝のところに贈り物をした。
幕府の筆頭人として世をときめく土井利勝は、しかし、己の身を慎み、大名たちからの贈り物は一切受け取らない男だった。
この時も、「私は大名からの贈り物は一切受け取っておりません」と断る利勝に、使者は、
「主人が申すには、とにかく見るだけ見てほしい、と言っております」とのこと。
利勝が何かと思って開封するとそれは、よく贈られる高額な品物ではなく、忠興自らが目利きした、ありふれた感じの
掛け物や香台などの道具類だった。

「これは…?」

ふと、何かを悟った利勝、なんとその贈り物を、そのまま受け取った。

そして御成りの日、御成りの間には絵の類が一切飾られず、床の間には鳥の子紙の貼付壁の前に、
忠興の送った道具類だけがさりげなく置かれていた。それは高価なものではないが、一つ一つの品の確かさといい、
全体の調和といい、素晴らしいものだった。そしてその飾りつけは、忠興の審美眼の高さをさらに強調していた。
幕府の芸術監督である小堀遠州も、ただただ感心したと言う。


後でその話を聞いた忠興、「利勝は芸術と言うものを良くわかっている」と、喜んだ。

493 :人間七七四年:2008/07/15(火) 15:31:10 ID:0oBXTggl
>>491
なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…

494 :人間七七四年:2008/07/15(火) 17:13:31 ID:FFDJDiu9
>>491
それはなにか?暗に「お前らは逃げろ」ってことか?
なんかツンデレ

495 :人間七七四年:2008/07/15(火) 17:22:38 ID:AlKY6CLr
>>494
ちがうよ。「見苦しい格好で戦場出られると敵から笑われて恥ずかしいから」って言う理由。
さすが「装束の北条」の面目w

496 :人間七七四年:2008/07/15(火) 20:30:05 ID:AlKY6CLr
将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、

「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」



一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。

497 :人間七七四年:2008/07/16(水) 01:38:03 ID:jrnwjRYY
信長が上洛した頃の事

京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、
義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。

だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと
怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆
信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、
どうか、考え直していただきたい」

さもなくば、

「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」


これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。

498 :人間七七四年:2008/07/16(水) 05:51:30 ID:6d2eLwz4
オチが家康系だな
信長系のオチだと本当に腹切らせたとかなりそう
秀吉系のオチなら後で美濃衆の縁者を処刑したってなるのは確実

499 :人間七七四年:2008/07/16(水) 11:10:33 ID:wbYBbw2U
>>498 100点

500 :人間七七四年:2008/07/16(水) 12:40:57 ID:d+m9FLXM
>>496
そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点

501 :人間七七四年:2008/07/16(水) 17:44:50 ID:Jh04Gc8R
>>497
それは言継卿記に出てくる壷事件の事なんだろうな。
美濃国人の佐藤が岐阜に滞在していた言継卿に語った話として出てくる。

502 :人間七七四年:2008/07/16(水) 20:12:32 ID:wbYBbw2U
〈戦国武将は幽霊を怖がらない話〉
とある秀吉が攻め取った城で幽霊が出ると騒ぎになっていた
多くの者が討ち死にした場所ではよくある話です
夜になると先の城主が恐ろしい形相で城内を歩き回っているそうで
城の女達は祟りを恐れ浅野長政に相談しました
長政は早速御祓いをしたのですが一向に効果が無く秀吉に報告したのです
長政:毎晩先の城主○○が城内を歩き回っておるようです
秀吉:何を申しておるのだ、○○はとうにこの秀吉が討ち果たしておるわ
長政:それが亡霊となって徘徊されておるようで、いかがいたしましょう?
秀吉:そはまことか?アハハこれは近頃無い楽しい話じゃ
長政:相手は亡霊ですぞ、御祓いも意味無くどの様な災いがあるか
秀吉:あ奴この秀吉にたて付くから成仏出来ぬのじゃ、こんな楽しい事があるか
秀吉:わしに逆らうと成仏出来ぬ様になるぞ、と世に広めよ
長政:はぁ・・・
「秀吉が大はしゃぎした夜から幽霊は出なくなったそうです」

○○の名前忘れてしまったスマソ

503 :人間七七四年:2008/07/16(水) 20:16:01 ID:jrnwjRYY
>>502
秀吉は信長の霊に脅かされて小便ちびりましたがなw

504 :人間七七四年:2008/07/16(水) 20:35:44 ID:jrnwjRYY
秀吉と言えばこんな話

後の関白秀次の父、三好武蔵野守は自分の髭が自慢で、
ある人から「こんな立派な髭は日本では見た事がない。舶来物の髭ですな」
と言われ大いに得意になった。
そこで、会う人会う人に自分の髭を「どうでござるこの髭、ここだけの話、舶来ではなく日本産の髭でござるよwww」
と、吹聴してまわっていたそうな。



秀吉、自分の一族の将来に深刻な不安を感じる。

505 :人間七七四年:2008/07/17(木) 00:55:18 ID:tjjOvyw7
>>502
別所長治かな?

506 :人間七七四年:2008/07/17(木) 01:37:17 ID:MUg3pPyl
別所と吉川経家(こいつは本当にいい迷惑でした。本来の城主じゃないのに)、清水は
成仏してる気がする。辞世とか死に際見たら(3人中だと別所かなぁ?)


507 :人間七七四年:2008/07/17(木) 10:14:01 ID:Hx6YqQ5M
士分(上にいけばいくほど)の者が、どんな理由にしろ死後に「うらめしや系の」怨霊化
というのは不名誉この上ないことだろ

508 :人間七七四年:2008/07/17(木) 10:58:52 ID:zfOtEsuw
よく聞く平氏や秀頼たちは・・・やっぱり武家というより公家化したからか?

509 :人間七七四年:2008/07/17(木) 11:54:19 ID:4Rtj3R4Y
大谷みたいにすぱっと殺るタイプはあり?

510 :人間七七四年:2008/07/17(木) 18:30:59 ID:aEbMU9HC
あいつは金タマ蹴り潰されて死んだだけで大谷関係ないっす

511 :人間七七四年:2008/07/17(木) 18:42:35 ID:q86cL6uf
蒲生氏郷が危篤に陥り、明日をも知れぬ状況になったときの事。

城に詰めている家臣の一人が「ああ、若様のためにも、せめて殿があと3年生きてくれれば…」と、言うと
それを聞いた同僚がポツリと

「高価な毒薬さえ手に入れられれば…」

その場にいた家臣一同「何でだよ!」と総ツッコミ
そう言った本人は「ホラ、高価な毒薬は3年たって人を殺すと言うじゃないか」

病床の氏郷、自分を心配する家臣への感謝と、自身の家臣選びの目利きへの疑問の、二つの気持ちを同時に抱く。

512 :人間七七四年:2008/07/18(金) 17:13:41 ID:KzaGCBJB
槍試合の話

ある時、信長が家来に対して「槍の柄は長いのと、短いのとどっちが有利か」と質問した。
この質問に対して、上島主水は「短いのが有利」、羽柴秀吉は「長いのが有利」と答えた。
双方の言い分を聞いた信長は、
「双方に足軽50人を付けて、3日間の猶予をやる。4日目に両者で模擬戦をやって、どっちの言い分が正しいか確かめよう」
と言った。
主水は、早速50人の足軽を集めて、短い槍で長い槍に打ち勝つ方法を伝授し、朝から晩まで猛特訓をした。
他方秀吉は、集まった足軽50人と飲めや歌えやの宴会三昧で、一向に稽古をしなかった。

そして、4日目の模擬戦当日となった。
馬場の東西に主水の短槍足軽50人と、秀吉の長槍足軽50人が陣を作る。
試合開始の太鼓が鳴るや否や、秀吉隊は素早く3隊に分散して主水隊に襲い掛かり、リーチが大きい長槍を振るって敵をなぎ倒し
突き伏せて、勢いに圧倒された主水隊の足軽は猛特訓で身につけた槍術を使う間もなく勝負は決してしまった。

試合後に信長は
「個人戦なら主水の短槍が有利であろう。しかし、集団戦なら秀吉の長槍が有利である。個人戦で勝つ工夫をした主水も集団戦で勝つ工夫
をした秀吉も、双方の心がけはあっぱれである」と言って、双方に褒美を与えたとさ。

513 :人間七七四年:2008/07/19(土) 00:36:53 ID:xajQCAlt
秀吉が太閤と呼ばれていた頃

当時秀吉の御伽衆の中に、二徳という者がいた。
かれがいつも調子のいい事を言うのをこにくらしく思っていた秀吉は、悪戯をしかけてみた。
二徳を呼び出すと「今日は非常に立派な鶴を献上された。これを生き造りにしてお前に食わせてやろう」と言う。
そんな気持ちの悪いもの食わされてはたまらない、と思った二徳

「わたくしは、愛宕権現に願をかけておりますので、ただいま生ものを食う事ができません」と言った

「なんじゃと?いい加減な事を言うと釜茹でにするぞ?一体何の願をかけておるのじゃ?」

「太閤殿下の事で」「わしの?」「はい。殿下が臆病になられますように、と願をかけております」

わしを臆病にするとは何事か!と、言い出しそうな秀吉に二徳は、「殿下はあまりに命知らずでありまして、
戦場でも鉄砲などにお構いなくどんどん進んでいってしまいます。もし鉄砲の弾に当たってお果てになられたら、
私はどうしたらいいいのか…。それゆえに、臆病になられますようにと、精進し権現様に祈っておるのです」

秀吉はこの答えを気に入り、二徳をほめ、褒美をとらせた。秀吉の悪戯を見事に切り替えしたお話。

514 :人間七七四年:2008/07/19(土) 00:39:33 ID:ZyON3uCE
秀吉って御伽衆を侍らしていたのは有名だがとんち野郎も好みだったのかな
有名な吉四六さんも秀吉に絡んだ逸話がなかったっけ?

515 :人間七七四年:2008/07/19(土) 02:29:03 ID:3l4HsHeK
>>514
ちょっと調べてみたが秀吉の御伽衆でとんち話だと曽呂利新左衛門か。


あるとき、秀吉が新左衛門に褒美をとらせることになりました。

秀 吉 :「新左衛門、何でも褒美のものをとらせよう。何がよいか?」
新左衛門 :「はい、それでは米粒をいただきとうございます。
 今日から将棋盤の目の数だけの日数、毎日いただきとうございます。」
秀 吉 :「どのくらいほしいのじゃ?」
新左衛門 :「はい、今日は1粒、明日は2粒で結構でございます。
 毎日その前の日の2倍の米粒をいただきとうございます。」
秀 吉 :「米粒だけでよいとは、おまえはなんと謙虚なやつじゃ。
 その願い確かにかなえようぞ。」
新左衛門 :「ははっ。ありががたき幸せ。」
家 臣 :「秀吉様、たいへんでございます。」
秀 吉 :「どうした。」
家 臣 :「81日も褒美をあげれば、国が潰れてしまいます。」
秀 吉 :「なんと言うことじゃ。早く新座衛門ここへ呼んでこい。」
新左衛門 :「秀吉様、どうされたのでしょうか。」
秀 吉 :「そなたには、参った。褒美を他のものに替えてくれんか。」
新左衛門 :「承知いたしました。」

インドの古代象棋の説話でもあったよなぁ、これ。

516 :人間七七四年:2008/07/19(土) 04:02:59 ID:upL91i52
>>512
秀吉のプロバカンダのせいで
>試合後に信長は
こっからしたしられてないよね
神智の太閤様に逆らった旧態依然の愚物としてし描かれてない(名前もまず出ない)
信長がはちゃんと双方みてて偉いな

517 :人間七七四年:2008/07/19(土) 05:19:59 ID:L97ruCNa
うむ、気持ちはわかるが少々落ち着け

518 :人間七七四年:2008/07/19(土) 11:36:38 ID:ujPURHeI
>>516
この逸話は絵本太閤記から引用したが、意見の対立する争点について、とりあえず両者に証明の機会を与えるって
パターンの逸話は、1次史料である信長公記にも3つほどある。
信長って独裁者みたいなイメージもあるけど、それ以前に科学的実証主義者でもあるわけだ。

519 :人間七七四年:2008/07/19(土) 14:00:28 ID:xajQCAlt
細川幽斎が家老の松井を夕食に誘った際の事

何があったか松井の到着が送れて、せっかくの料理が出すに出せない。
料理人が「今日のメインディッシュに用意した塩鯛が、焼けすぎてしまいます!」と愚痴を言う。
それを聞いて幽斎は一句

来ぬ人を まつ井の浦の夕めしに 焼き塩鯛のみをこがしつつ

おなかがすいてイライラしていたご相伴一同、これにはどっと笑って場の雰囲気も一気に良くなったとか。
幽斎のインテリ文化人らしいお話。
(定家の「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」のパロディ)

520 :人間七七四年:2008/07/19(土) 23:06:19 ID:ZyON3uCE
>>519
いい話ではあるんだけど
同伴衆もそれに見合う教養がないと座が和まないと思われ

・・・
ま、戦国〜江戸初期じゃ武将レベルはこれが普通だったんでしょうか。
秀吉の子飼いはこのレベルに達してるか怪しそうなのがいるがw

521 :人間七七四年:2008/07/20(日) 01:48:35 ID:JYeJ6fnx
慶長年間の事

京の綾小路で、ある家の女房が屋根の吹き替えをしていたところ、足を滑らせて下に落ち、
運の悪いことに、ちょうどその落下地点に隣の家の女房がおり、下敷きになった隣の家の女房は
首の骨を折って死んでしまった。
これに怒った、死んだ女房の夫は「うちの妻を殺すためにわざと屋根から落ちたのだ!」と言いたて
京都所司代、板倉伊賀守訴えた。

訴訟を聞いた板倉は

「よしわかった。では、隣の家の女房をお前の妻がいた場所に置き、お主は同じように屋根から落ち、
憎い女を殺すがよい」

男は「そんな事をしたら自分が下手をすれば死んでしまう」と、訴訟を引っ込めた。

522 :人間七七四年:2008/07/20(日) 10:35:04 ID:0NerwLrv
成功すれば女房の仇を討てるし失敗すれば女房のところに行けて
どっちに転んでもうまい話じゃないかこれは。

523 :人間七七四年:2008/07/20(日) 11:28:45 ID:69QXqq/h
>>522

いやいや、落下して頭と頭をぶつけ
ショックで心が入れ替わるパターン

524 :人間七七四年:2008/07/20(日) 12:17:23 ID:JYeJ6fnx
明智光秀の「愛宕百韻」でも有名な、連歌師の里村紹巴の屋敷に、烏丸卿をはじめ多くの公家が
連歌会をしに集まった。先に庭をぶらぶらしていると、桃や柿の木の下に、弓矢を持たせた人形が
いくつも置いてある。公家たちが「これは何ぞや?」と尋ねると、紹巴は「成った実を荒らす、トンビ除けでございます」
と言う。

それを聞いた、連歌の腕前では紹巴のライバルの烏丸卿

「いやいや、トンビではなく、カラス除けではないのかな?」

紹巴師匠、一本取られる。

525 :人間七七四年:2008/07/20(日) 12:49:16 ID:E75Eeo1K
むう、どこがいいのか解らんのが
悔しいぜ

526 :人間七七四年:2008/07/20(日) 12:56:18 ID:c7QmXgz3
>>525
からすま卿

527 :人間七七四年:2008/07/20(日) 13:03:08 ID:E75Eeo1K
>>526
それだと嫌味か皮肉を言ったようにしか
見えんのだわ


528 :人間七七四年:2008/07/20(日) 14:09:16 ID:f9+sE7vw
自虐ギャグの一種じゃね?
連歌会に顔出すぐらいだから決定的なほど仲が悪いわけでもなかろうし

529 :人間七七四年:2008/07/20(日) 17:45:49 ID:IcuAKWbl
細川幽斎が歌道に目覚めた話

藤孝は若いころは、
「歌詠みなどは公家児女がやることで、武士なら恥ずかしくてやってられない」
と見向きもしなかった。

ある時、敵将を追っていたが、途中で見失いあとへ引き返そうとすると、藤孝の供の一人の侍が馬の口
を押さえて、「いま少し追撃するべきです!」と進言した。
藤孝は首を横に振って
「長路、すでに人馬も疲れて追いつくことが困難だし、そもそも敵はすでに遠くに逃げてしまっただろう。」
と言った。
すると、その侍が、
「歌の心を持って考えてみまするに、
『君はまだ遠くには行かじ わが袖の 涙もいまだ冷ややかならねば』
という古歌があります。いま、敵の乗り捨てた馬をなでてみますと、鞍がまだ温かですから、
敵はそう遠くへは逃げておりますまい。」という。

藤孝はそれを聞いて感心し、侍の助言どおりに追って行くと、まもなく敵に追いついて、敵将を
捕虜にするという戦功をたてることができた。

それ以来、藤孝は歌道を好み、ついに歌道の達人になったという。

530 :人間七七四年:2008/07/20(日) 19:42:06 ID:JYeJ6fnx
信長の、ある年の元旦の事

大広間に雑煮の膳が並べられたのを見ていると、よりにもよって信長の膳だけ、箸が片方だけしか置いていないのを
発見。

「これは、どういうことだ?」

見る見るうちに機嫌が悪化する信長、硬直する家臣一同、凍てつく空気、その時である、
末席にいた、当時まだ木下藤吉郎と呼ばれた秀吉が進み出た

「やあやあ!これはめでたい!上様が今年から、諸国を片はしに取られると言う吉兆でございますぞ!
ああ、めでたやめでたや!」

信長、機嫌を直す。家臣一同、秀吉に深く深く感謝する。

531 :人間七七四年:2008/07/20(日) 21:12:35 ID:JYeJ6fnx
信長の、また別の年の元旦の事

正月のご挨拶に諸大名が出仕してみると、信長の機嫌がまたえらく悪い。

「昨夜、このような夢を見た

どこかへの出陣で、具足をつけて馬に乗ったところ、その馬の足が四本とも突然折れて、
わしは地面に投げ出された。これはいかなる兆しであるか?」

一同、それは凶兆だろうと思うが、そんな事を言えば大変な事になると思い押し黙る。
その沈黙に、ますます機嫌の悪くなっていく信長。硬直する諸大名。凍りつく大広間。その時である。
またも木下藤吉郎進み出て

「やあやあ!これはめでたい!その夢はすなわち、合戦に出るたびに勝ち(徒歩)武者の武名をお上げになる
お告げでございますぞ!いやはや千秋万歳千秋万歳!」

信長、機嫌を直す。諸大名再び秀吉に深く感謝する。

532 :人間七七四年:2008/07/20(日) 21:52:20 ID:qCnkLbV+
前田家三代目藩主、前田利常の話。

前田家には源義経の愛妾、静御前が使ったといわれのある薙刀を家宝としていた。
ある時、徳川幕府より使いがきた。
「我が徳川家も、静御前の薙刀を所蔵しておる。前田家の薙刀は、贋物ではない
か?」
前田家の家臣達は困った。こちらが本物と言えば、幕府の機嫌を損ねる。だがこち
らが贋物と言えば前田家の面目が潰れる。
だが前田利常は、幕府の使者に笑って答えた。
「静御前は勇敢な女だった。義経のために、何度も戦った。その静御前の薙刀が、
一本のはずがあろうか。両家の薙刀は、いずれも本物である。」
その答えに、使者も家臣達も手を打って喜んだ。

533 :人間七七四年:2008/07/20(日) 23:13:45 ID:KkKvrnNm
>>532
俺にとってこのレスの“いい話”といえる部分は、利常の言い訳によって
前田家臣だけでなく徳川幕府側の使者までもが気をよくし喜んだことだと思う

最初から前田家にいちゃもんをつけるつもりでなかった、
争いをけしかけるつもりでなかったということが好感を抱かせる

534 :人間七七四年:2008/07/21(月) 01:04:53 ID:OOwZN2h0
義仲の巴じゃなくて、義経の静?>薙刀

535 :人間七七四年:2008/07/21(月) 01:16:44 ID:lWN0SkMs
俺も薙刀使いの勇敢な女性と言えば木曽義仲の巴御前だと思う
義経の静御前は白拍子のイメージが強すぎて薙刀なんてとてもとても

536 :人間七七四年:2008/07/21(月) 01:33:01 ID:D7XUG4/E
巴のまちがいでしょ。
あまり歴史を知らない職人が作ったんだろうから。
場所が悪かったね(笑)

537 :人間七七四年:2008/07/21(月) 01:46:20 ID:+Rkb0OTe
原典をたどれもしないような奴が、「歴史を知らない」とか言ってるのって
噴飯ものもいい所だなw

538 :人間七七四年:2008/07/21(月) 02:06:48 ID:hCwRn/Fh
薙刀持ち出す静御前(の伝承)といえば幸若なんかじゃ有名だと思ってたんだけど……

539 :人間七七四年:2008/07/21(月) 03:02:48 ID:Uw2FX4Oi
巴を模倣した創作物に真実を求めるなんてここの住人もたかが知れてるな

540 :人間七七四年:2008/07/21(月) 03:19:42 ID:OOwZN2h0
敵をばっさばっさ斬り捨てた静の薙刀ですなんて自慢したらプギャーされるだけじゃん
koeiから源平無双でも出たのかと思って調べちまったよ
夏だな

541 :人間七七四年:2008/07/21(月) 04:30:24 ID:qOC5KNy6
静御前が長刀持って戦ったなんて話ねーだろw

542 :人間七七四年:2008/07/21(月) 07:27:18 ID:Ok6H5Gst
静は鼓をポンポンと打ったんだよなww

543 :人間七七四年:2008/07/21(月) 07:40:19 ID:yZZwlGub
お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ。
こう言った話は、その変遷の課程も面白いんだよ。地域、地方で特色が出たりな。
歴史ってのは、そんな感じで楽しむもんだ。
まあ、日本の歴史教育は正解以外は全て誤り、って感じだから仕方無いけどね。


544 :人間七七四年:2008/07/21(月) 07:46:12 ID:lWN0SkMs
>お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ

それは承知の上ですが、なにか?

545 :人間七七四年:2008/07/21(月) 08:00:08 ID:+Rkb0OTe
>>544
承知の上で馬鹿な書き込みをしていたのなら救いようが無いな。

546 :人間七七四年:2008/07/21(月) 09:48:18 ID:zVBDwMmJ
巴御前も静御前も長刀の名手だよ。今でも長刀は男物を静型、女物を巴型というぐらい。
全くの出鱈目でもなければ、巴→静に変わっていった話でもない。

547 :543:2008/07/21(月) 09:51:30 ID:yZZwlGub
>>546
そう言うレスが有り難いです。勉強になります。

548 :人間七七四年:2008/07/21(月) 12:49:08 ID:UMrtEbwD
逸話が作られた江戸時代では
静御前=薙刀っていうイメージだったんだろう。
当時の歌舞伎や浄瑠璃、書籍を見ても
そういう所はけっこういい加減だよ。
(鎌倉武士が月代だったり、旗本みたいな恰好してたり)
逸話は後の時代に作られる事が多かったし
当時の感覚がベースになるから
その辺をくみ取ってあげようよ。


549 :人間七七四年:2008/07/21(月) 15:01:32 ID:OOwZN2h0
>>546
吾妻鏡にそんな記述はない
静が薙刀の名手っていう根拠はなに?

550 :人間七七四年:2008/07/21(月) 16:40:42 ID:Tr9Hto16
>>534-537,540-542
この辺のレスが>>546によって一蹴されて逆プギャーになっててワラタ

551 :人間七七四年:2008/07/21(月) 17:21:11 ID:OOwZN2h0
何て資料に薙刀振るったって載ってんだよ
資料名出せ

552 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:22:30 ID:xD7fbnCn
静御前は白拍子であり戦場に出たことなど一度もありませんが?

553 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:31:41 ID:+Rkb0OTe
「文脈」の読めない馬鹿がワラワラいるな

554 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:38:19 ID:6/fw3t8q
そーだそーだ悔しかたらソース出してみろよソースをよ簡単なんだろやってミリ?

555 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:42:41 ID:xP0+yu99
あくまでも江戸時代の歌舞伎やらの影響で、静→長刀になっただけだろうけど
長刀の名手ではなかったと証明するのも不可能だよな。
悪魔の証明ってやつ?

556 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:47:35 ID:+Rkb0OTe
>>554
山本博文の『加賀繁盛記 史料で読む藩主たちの攻防』に、そのエピソード出てるぞ。

557 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:52:58 ID:xP0+yu99
静が義経のために戦った可能性が少しでもありそうなのは
堀川夜討の時と西国行きの船が難破してから吉野で別れるまでの
逃亡中の間ぐらいかな。

558 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:54:21 ID:YNDj5C3/
史実じゃないことでいちいち揉める意味なくね?
逸話自体あるんなら別にいい。
反応せずにスルーしろよ…

559 :人間七七四年:2008/07/21(月) 19:56:57 ID:+Rkb0OTe
夏休みなんだねえ。

560 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:42:14 ID:+Rkb0OTe
足利義輝が将軍になった頃のお話。

ある初老の僧が、大変有能で気が利くので、義輝が「還俗して侍としてわしに仕えないか?」と言う。
しかしその僧は、

「わたくしは、8つ9つの頃に出家いたしまして、それから一心不乱に修行をし、ようやくこの齢になって
仏の道の何たるかが解るようになりました。もはや俗事に関わる気はございませぬ」

と、断った。
一同これに感じ入り、将軍はさらに仕官を勧める。そこで根負けしたこの僧は

「わたくしは無理ですが、私の息子ならば追い使って頂けますかと…」


義輝「…」
幕臣一同「…」

義輝「息子って…養子?」
僧「いいえ?実子。」
義輝「お前何歳のときに出家したって言った?」
僧「8つ9つ」
義輝「…」

僧「あ」

561 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:47:25 ID:qOC5KNy6
>>546
巴御前の対として名前が出ただけでは?
実際、静御前が長刀を手にしていたなんて史料あるの?

>>550
なんでまったく史料を示されていない話を、あっさり信じちゃうのかね。

562 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:48:20 ID:+Rkb0OTe
>>561
君、読解力ゼロだろ。

563 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:52:52 ID:qOC5KNy6
白拍子は男装で歌舞を披露するから、男型とかけた遊び心に過ぎないんじゃないの?
静御前が長刀に通じてたやら、実際に戦ったなんて話あるのかね。

564 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:54:19 ID:qOC5KNy6
>>562
お前ほどじゃないよ勝手に
>義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ
なんて解釈してる方がどうかしてる。

565 :人間七七四年:2008/07/21(月) 20:58:27 ID:qOC5KNy6
そんな主張するなら、その伝わった長刀にそういう注釈がついた物があるのか?
誰もそう解釈した事実がないものを、2chで勝手に当然であるがごとく書いて、
語学力がどうだの同調しない相手は、史料も理論もなく、ハナから間違い扱い。
どっちがレベル低いんだか。

566 :人間七七四年:2008/07/21(月) 21:06:38 ID:UMrtEbwD
史実に基づくなら、静御前が薙刀を持った事はないと思う。
ただ、薙刀術が流行した江戸時代において
静御前は男型として名前が使われる位
一般のイメージとして薙刀になじみがあった。
逸話を作った人間もその時代を生きた人間だったので
「家宝の静御前の薙刀です」とするのは至極当然。

そもそも各藩に伝わる逸話は、後になってから
作られたモノが多いので、史実、史実と言うのは野暮な話。

567 :人間七七四年:2008/07/21(月) 21:20:47 ID:xP0+yu99
静が長刀の名手なわけないだろって文句は前田家に言えよw

568 :人間七七四年:2008/07/21(月) 21:21:51 ID:xtDrDUqr
>>565さん
あなたの主張も理解できますが、>>532の話の重要な所は、
前田常利の頓智のきいた対応の良さであり、彼が言った
薙刀の由来等は、また別の考証をすべきです。
少なくとも、このスレで行う議論では無いと思います。
また、以前にも書かれているように、逸話や伝承、寓話等の
話に、ソースとか徹底した理論考証とか必要でしょうか?
それならそれで、別にスレを立てて議論すべきと思います。
お気を悪くされたらすみません。

569 :人間七七四年:2008/07/21(月) 21:33:37 ID:xP0+yu99
利常が「静が長刀を持ったなんて史料はありません。両方偽物です」と答えればよかったんだな。

570 :546:2008/07/21(月) 21:55:58 ID:zVBDwMmJ
申し訳ない、全く自分の勘違いです。
正直>>536とか>>540-542の言い方が目に余ったんで、
沈静化してやれと思っていかにも偉そうに書いてしまった。
馬鹿は俺1人なんで、この話題はもうこの辺でお願いします。

571 :人間七七四年:2008/07/22(火) 00:08:11 ID:MKtq69Fr
もうどっちだtっていいだろww
今までだって信憑性は??な話あったのになんでこれだけ噛みついてるんだよ

572 :人間七七四年:2008/07/22(火) 00:14:51 ID:HPOjLDMd
>>571
つまり、夏休みって事だろ。

573 :人間七七四年:2008/07/22(火) 01:09:19 ID:y6vZgg4n
逸話に史実かどうかなんて求めてたらこのスレ続かんだろ
俺としては優れた逸話であれば、極論、レスする人間が創作したものでさえ可と思うわけだが

574 :人間七七四年:2008/07/22(火) 02:01:37 ID:HPOjLDMd
>>573
一応、最低でも明治以前の文献にあるものに、準拠したものでないと
取り止めがなくなってどうしようもなくなると思うぞ。

歴史小説からエピソード引っ張ってこられてはさすがにたまらん。

575 :人間七七四年:2008/07/22(火) 02:24:54 ID:y6vZgg4n
ああ、悪い。俺は別に出典は要求しなくてもいいんじゃないか?ってことを言いたかっただけ。
荒れるようなネタを投下された時だけは別だが。
どの辺まで許容するのかはスレ基準を設ければいいんじゃないか?

576 :人間七七四年:2008/07/22(火) 02:58:51 ID:y6vZgg4n
連投すまん、どうせ書き込んだんだから、1つくらい書いていこ。

奥州の独眼竜・伊達政宗には重臣後藤信康から献上された「五島」という愛馬がいた。
大坂夏の陣に出陣する折、政宗は五島に向かって言った。
「お前ももう歳だ。此度の出陣は長旅になるであろうから、留守を命じる」
政宗にしてみれば愛馬を気遣ったつもりであったが、
五島にしてみれば長年共に戦場を駆けてきた主人に留守を命じられたことは甚だ悲しいことであった。
もはや役に立たぬ身なればと、五島はその夜のうちに仙台城の崖から飛び降りて自殺してしまった。
政宗はその話を聞くとひどく心を痛め、五島の死んだ地に墓と神社を建立し、手厚く葬ったという。
※神社は現存する。


ま、一説には、死んだのは後藤信康自身とも言われているらしいが・・・・・・こういうオチだったら政宗らしいなw

577 :人間七七四年:2008/07/22(火) 03:25:45 ID:Itl1le1K
吾妻鏡すら知らない無教養なゆとりのホラか

578 :人間七七四年:2008/07/22(火) 04:25:58 ID:A61+beeF
事態を沈静化しようとして嘘書いて
火に油を注いじまった男がいたんです

なにぃ〜?やっちまったなぁ!

男は黙って男は黙って太閤記!男は黙って太閤記!

在りもしない橋の下で籐吉郎が寝ているよぉ



579 :人間七七四年:2008/07/22(火) 04:48:51 ID:vmvEjo+D
あのコンビ杵持ってないほう必要ないよね

580 :人間七七四年:2008/07/22(火) 05:10:08 ID:vmvEjo+D
仲が良かった小早川隆景と黒田如水
隆景の「おまいは頭がよすぎるから即決で後悔するやろ?俺は前ほど頭が良くないから
後悔しなくて済むんだぜ?」や隆景没後に如水の「これでこの国から賢人は一人もいなくなった」などは
有名だが実は隆景は「こいつ俺との友情はともかく俺がいなくなたらなにするかわからん」と思っていたらしく
「如水が休息求めてきても俺の領内で絶対ヤスませちゃだめ」と遺言したという
(ちなみにお兄ちゃんの吉川元春の死が早くなったのは如水のせい。これも有名だが)
私情にとらわれず人を見る目があったんだね

死に際には同じころ病気で死にかけてた弟元清とどっちが先にくたばるか勝負しようぜ?とかもやたった
結果は2カ月弱の差で隆景の勝ち
この時期に重鎮が死にまくってなければ毛利の運命も変わったかもしれぬ

581 :人間七七四年:2008/07/22(火) 10:00:56 ID:UU1nkhLE
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/

582 :人間七七四年:2008/07/22(火) 17:57:05 ID:2Ts8X6uJ
>>581
「へえ、その頃って静が長刀の名手ってイメージがあったんだね。
やっぱり歌舞伎の影響があるのかな。」
などど軽く受け流せず、史実が気になって仕方ない人にはそのスレに行ってもらおう。
ここは逸話の信憑性を議論するスレじゃないし。

583 :人間七七四年:2008/07/23(水) 15:06:13 ID:6Sp4iF06
薙刀厨しつこい

584 :人間七七四年:2008/07/24(木) 23:20:27 ID:dJY864Qr
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
       (ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´:::  :::: |;;;;;彡|
        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
.    く  い    Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   な. た     >; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
   ┃ ふ     フヽ ::\ : ミー―― "ノ , ':::: //:   |
   ┃ う      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // 口    (: |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.  を    (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |


585 :人間七七四年:2008/07/24(木) 23:23:36 ID:B0SwHMm5
  そだ  |------、`⌒ー--、
  れが  |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
  が   |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
  い   |ヽヽー、彡彡ノノノ}  に
  い   |ヾヾヾヾヾヽ彡彡}  や
  !!    /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ    ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄   lノ/l | |
ヾヾ   "  : : !、  `  lイノ l| |
 >l゙、    ー、,'ソ     /.|}、 l| |
:.lヽ ヽ   ー_ ‐-‐ァ'  /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ     二"  /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\     /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:

586 :人間七七四年:2008/07/25(金) 19:45:48 ID:v5dv92iE
訓練された男色家たちの集まる比叡山。そこで、「雪のようだ」と形容される、ショタ系の稚児の集まる
北谷のファンと、「花のようだ」と形容される、セクシー系の稚児の集まる南谷のファンが、好きが高じて
お互いを罵り始め大論争、ついに比叡山全山が二派に別れ、武器を持ち出しての戦騒ぎになった。
これにあわてた比叡山指導部、西三条逍遥院を呼んで和解を仲介してもらう。

逍遥院「雪も花も、どっちもうつくしいじゃないか」と、みつをみたいな説得。
これに何故か納得した双方、兵を引く。

587 :人間七七四年:2008/07/25(金) 22:53:11 ID:vZXrVNwj
のちにnbngに放火壊滅させられる割には暇そうな比叡山w

588 :人間七七四年:2008/07/26(土) 01:06:54 ID:b8hmuUF0
>>587
こんな状態だから何の遠慮も、躊躇もなく焼かれたんじゃないかw

589 :人間七七四年:2008/07/26(土) 04:16:25 ID:3924AfUh
信長好みのガチムチ系がいれば焼かれなかったのに・・・

590 :人間七七四年:2008/07/27(日) 14:11:58 ID:bxkD3ohp
その息子の信雄は信孝と一緒に高野聖をひっ捕らえて処刑する現場に立ち会っていたが、
一人好みの少年がいたので助命して信孝に嘲笑されたという。

591 :人間七七四年:2008/07/27(日) 14:27:32 ID:6ipNAtdL
>>586-890

おまいら、信玄公の下へ帰って来い
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1185534039/


592 :人間七七四年:2008/07/27(日) 19:23:56 ID:O9CAkoCd
信長が京の東寺の近くを移動していた時の事

疲れていたのか、馬上でこくりこくりと居眠りしてしまった。それを近習が起こすと、
信長は「ぬ、寝て負ったか。ここはどこだ?」と尋ねた。
近習が「右手が六条、前は東福寺になります」

すると信長「…なるほそ、それで前の寺は白壁か」
近習「は?それは一体?」

信長「豆腐食う寺(東福寺)」


*当時、豆腐の事を「おかべ・白壁」と呼んだ。
何が凄いって創作か実話かは別として、信長の逸話で、こんなものが本当に残っているのが凄いw

593 :人間七七四年:2008/07/27(日) 22:48:24 ID:b7/BU+qz
信長公を月山酋長スレ(別名「昭和の駄洒落研究所」)に連行することに決定しますたw

594 :人間七七四年:2008/07/28(月) 04:49:30 ID:RuJ8J0Si
信長だったら起こした時点で近習の首はねてそうだが

595 :人間七七四年:2008/07/28(月) 11:52:37 ID:azRLB6Q4
>>594
講談やドラマ見すぎじゃねーのw

596 :人間七七四年:2008/07/28(月) 13:49:28 ID:RxWeJBh4
ノブは冷酷だけど筋の通った奴だから。

597 :人間七七四年:2008/07/28(月) 14:48:16 ID:h+huUjrq
筋の通ったノブの話

信長の父である信秀は病気が重くなり、ついには危篤状態になった。
信長は僧侶たちを集めて
「父の病が重くなったが、そなたたちの祈祷で直せるか?」と聞いた。
僧侶らは
「我々が念仏を唱えれば、神仏のご加護できっと信秀様の病は快方に向かいましょう」と答える。
それを聞いた信長は、
「ワシは神仏の加護など信じないが、お前たちがそこまでいうなら、その言い分が本当かどうかためして見よ」
と命じた。
僧侶たちは信秀快癒のために念仏を唱えるが、念仏の甲斐なく信秀は死去した。

信秀死後に信長は再度僧侶を集め、
「お前たちは神仏の加護で父の病が治せるといったが、父は死んだではないか。つまり、お前たちはうそ偽りを
述べたことになるぞ!」
と激怒して、僧侶たちをお堂に閉じ込めて火を付けて、僧侶たちを皆殺しにしましたとさ。

598 :人間七七四年:2008/07/28(月) 16:18:23 ID:eMyUUJ81
実証主義的ではあるが、無神論的ではないな。

599 :人間七七四年:2008/07/28(月) 20:36:45 ID:ScVwZfWo
孫策と于吉だの。

600 :人間七七四年:2008/07/29(火) 21:12:26 ID:TZYCZPTg
>>597
俺が読んだ逸話では
もうちょっと最後が皮肉屋っぽかったな

「此度の件ではまことに残念であった。
 だがそなたらには今一度の機会を
与えようと思う。
 まことに神仏の加護があるなら
助けに来てくれるよう心の底から
祈るがいい」

って、お堂に火をつけて外から
見守ったとか


601 :人間七七四年:2008/07/30(水) 12:15:03 ID:VUZ13N/K
毛利元就と大友義鎮が、九州で戦いを繰り広げていた頃のお話。

筑前において、永禄十二年五月の戦いで毛利が勝利を収め、
大友方の城である立花城は孤立。毛利方による開城交渉が始まった。
毛利方の使者、吉見正頼は、城方に対し誠意を持って説得し、篭城していた全ての人々を、
毛利家の責任において、大友方の陣まで送り届けると約束した。
開城後これの約束はきちんと実行され、立花城の守将であった立花親続、田北鑑益は
これに感銘を受けた。

ところが事態は急変する

山陰において尼子勝久が、周防において大内輝弘が毛利に対し立ち上がったのだ。
急遽引き上げる毛利勢。その混乱の中、立花城を摂取した部隊は取り残され、今度は
「毛利方」の立花城が、大友勢の中に孤立した。
先の戦で毛利に手ひどくやられた大友の諸将は、当然のごとく復讐戦をさけぶ。大友の大軍に、
立花城に篭る毛利方が血祭りに上げられるのは時間の問題であった。その時である。

「待たれよ」

そう言ったのは、先の立花城の守将、立花親続と田北鑑益であった。

「我らは先の敗軍の将である。このような事をいうのはおこがましいとは思う。だが、聞いていただきたい。
彼等毛利方は、我々と取り決めた開城条件を全て守り、篭城の諸衆を皆、無事にお味方の陣にまで送り届けた。
いったん城を占拠すれば、そのような約束は無視出来たにもかかわらず、である。彼らは信義を守ったのだ。

さて、ここで我が方が、情勢が有利になったという理由だけで、彼らを殲滅せしめれば、一体、大友の信義は
どうなる?卑怯者よ、それでも武士かと、天下の笑いものになるのではないのか?」


大友義鎮は力攻めから、交渉による開城に方針を転換。
やがて毛利方もその提案を受け入れ、彼らもまた、大友家の責任において、無事毛利陣まで送り届けられた。
その交渉の任に当たったのは、先の立花城城代、立花親続、田北鑑益の二人であった。

602 :人間七七四年:2008/07/30(水) 12:20:28 ID:lquSRyPC
>>600
それだ!ウロ覚えスマソ。

603 :人間七七四年:2008/07/30(水) 12:26:50 ID:VUZ13N/K
601の続き

そのときの毛利の守将が、無事帰国した後出した謝礼の手紙に、田北が出した返事

「なあに、戦の習いでござるよ」

604 :人間七七四年:2008/07/30(水) 12:46:07 ID:MdEAsCtg
なあに、かえって免疫力がつく

605 :人間七七四年:2008/07/30(水) 13:36:58 ID:zjELSoi7
直江兼続の話。

信玄が岡田堅桃斎という高名な歌詠みを謙信のもとへ使者に送った。
謙信はこの名を知っていたので、「越の長浜」という名所へ案内し、酒宴などを催した。
堅桃斎は連れて来た童に投げ輪をさせるなどして、一日遊びつくして甲斐へ戻った。

1月ほどして信玄から「越の長浜の丈尺はどれほどでござろう?」という手紙が来た。
謙信はその地の奉行に測量を命じた。
その時、奉行の下役の若い美丈夫が
「武田殿のご依頼ならば測量は不要でござる。
 先月殿と遊びに参った歌詠みが、投げ輪でしっかりと計っていかれました」と言った。
謙信は堅桃斎の曲者ぶりを見破っていた若者に感心して小姓とし、与六兼続と名乗らせた。

〜ここまでは知略に優れる彼の若きころの逸話として有名〜


で、この話には無理がある。
生まれたのが1560年。小姓になったのが1564年。
わずか4歳で奉行の下役とは・・・・・ありえない・・・・残念





606 :人間七七四年:2008/07/30(水) 18:41:47 ID:COKc/+Xw
豪勇の木山弾正、外戚の天草伊豆守に恩返し     いい話だ!



肥後赤井の城主木山弾正は豪勇をもって聞こえた武将であったが、島津の北上によって城を失い、
外戚の故をもって天草伊豆守に迎えられ、客将として本戸城にこもった。

天正17年、たまたま宇土築城の加勢をめぐって、天草の諸将は小西行長と対立し、ついに行長の天草攻めとなった。
行長は豊臣秀吉に上訴し、加藤清正の応援を得て、まず志岐城を攻めた。弾正は兵500を率いて志岐へ向かい、仏木坂に清正を迎えた。
単騎敵将清正を求めて、敵中深く突入し一騎打ちをいどみ、清正を組み敷き、まさに首級を挙げんとした時、
主君危うしと駆けつけた自分の家来の誤った槍にかかり、豪勇並ぶ者もない弾正も遂に戦場の露と消えたのである。
http://www.geocities.jp/amakusa_tanken/kiyamadanzyou.htm

607 :人間七七四年:2008/07/31(木) 01:08:40 ID:qK6BraY+
直江兼続、後世の人のために、経験から得たものを訓戒として書物にあらわした。
その本の一節

「おしっこした時泡が立たない日は、大変な事が起こる。気をつけろ。」

608 :人間七七四年:2008/07/31(木) 09:16:14 ID:/pNTMpgN
兼続といえば
「四季農戒書」が真っ先に浮かぶんだが
………これは違うなw

609 :人間七七四年:2008/08/01(金) 01:35:17 ID:R/HRy/la
続・直江兼続公の残した書物に見える、後世の皆様へのいい教訓。


「死ぬ気でやれば、案外何とかなる。」

610 :人間七七四年:2008/08/01(金) 06:00:24 ID:5GW9Vz3W
なんとかなったから言えるんだよ
なんとかならなかった奴は死んでるんだから後世に言葉残せねーもん
そりゃ努力とか頑張れとか賛美されるわ
ダメだった奴は一切記録に残らない
地面に落下するときは力抜くと怪我しないってのとおなじ
なんとかなった奴らの数億倍の死ぬ気で頑張ってもなんとかならなかった連中は
あの世で「頑張れば何とかなるなんてうそやんねー」って言いあってるわ

611 :人間七七四年:2008/08/01(金) 09:04:13 ID:dYMuOgRx
いい話だなw

612 :人間七七四年:2008/08/01(金) 09:56:31 ID:eE1R9eK6
直江の「何とかなる」の許容範囲はすげー広いなw

613 :人間七七四年:2008/08/02(土) 00:21:49 ID:erG7e+Q9
結果論だが、なんとかなってない気がするよw

614 :人間七七四年:2008/08/02(土) 09:27:06 ID:QwgH301c
結果的に30万石残ったんだからなんとかなって…ないな

615 :人間七七四年:2008/08/02(土) 10:04:46 ID:/ux0/23l
直江個人でみればなんとかなってる
上杉家としては…

むしろ鷹山あたりが言うべき言葉では

616 :人間七七四年:2008/08/02(土) 12:27:24 ID:8pYxIbDr
直江兼続公の、後世への教訓シリーズ

「毒薬の入った膳を出されると


俺は涙目になる
持ってきた奴も涙目になる
みんな涙目になる

だから、わかる。」

617 :人間七七四年:2008/08/02(土) 12:43:09 ID:8+4he+Ff
お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)

大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、
 梅に言い聞かせて置いた。)

重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。

時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。





618 :人間七七四年:2008/08/03(日) 01:07:31 ID:VpzyPFrf
>>616
直江兼続公はもしかして馬鹿なんじゃ・・・

619 :人間七七四年:2008/08/03(日) 01:39:54 ID:oswDDz1E
>>618
本宮ひろしとか島本和彦とか板垣恵介みたいな
勢いとはったりが真髄の漫画家に直江兼続公の生涯を描かせたら
面白いかも、と思った。

620 :人間七七四年:2008/08/03(日) 02:10:50 ID:q28NPdom
>>619
島本と本宮を馬鹿にするな!

621 :人間七七四年:2008/08/03(日) 02:23:47 ID:oswDDz1E
馬鹿になんかしてないよ??

622 :人間七七四年:2008/08/03(日) 07:36:12 ID:qi3I4RE/
板垣はないわ、
めちゃくちゃつまらなそう。

623 :人間七七四年:2008/08/03(日) 09:20:54 ID:lWTQVjSw
>>618
天下を取るには知恵が足りないと秀吉には評されてる

624 :人間七七四年:2008/08/03(日) 09:29:16 ID:MNdZi/hQ
便乗して農戒書より兼続公のデオドラントに関する教え

たしなみのない女房はあそこの手入れが悪くて臭い
しかも臭いことに気付かず男に向かう

美人でもわきがや口臭のある女房は近所迷惑だ

625 :人間七七四年:2008/08/03(日) 13:07:29 ID:yhAuYTru
兼続はどっちかというと内政に天才を感じる。
120万から30万石になった時、家臣をできるだけ解雇しないで
なんとか生活が立ち行くようにした手段は鷹山が手本にしたというから、
ま、なんだ、来年がたのしみだな。

>>617
重綱の戦ぶりを見て、娘を託せるのはこの男しかいないと
矢文で重綱に娘との婚姻を頼んだという説もある。
あの真田に認められたのだ、という感激が六文銭の家紋への変更となったんだろう。
伊達家きっての美男子で当時29歳、於梅も悪い気はしなかったと思うな。

626 :人間七七四年:2008/08/03(日) 13:10:33 ID:9d/1mrz5
>>625
まあ、根本的に何とかなっていなくて、その場しのぎの世界に過ぎなかったから、
鷹山の時代にあんな大規模な改革にいたるわけだけどなー。

627 :人間七七四年:2008/08/03(日) 16:10:10 ID:hX+Cea4o
>>617>>625
え? 片倉家の家紋って六文銭になったの?
主君政宗から九曜紋を拝領してるのに変えるはずないと思うんだが・・・。
重長が梅と同時に保護した大八の家紋じゃないか?
大八は信繁の次男で梅と同時に片倉家に保護され、片倉守信と名乗ってる。
確か息子の代で真田に復姓してたような・・・。

まぁ何にせよ幕府から信繁の血筋を守りぬいた片倉家は立派だな。

628 :人間七七四年:2008/08/03(日) 16:41:32 ID:A4pf/qQT
>>627
ヒント

このスレは真偽を議論しない

629 :人間七七四年:2008/08/03(日) 16:46:57 ID:9d/1mrz5
六文戦は替紋であって、家紋を変更したわけじゃないだろ

630 :人間七七四年:2008/08/03(日) 17:15:03 ID:9d/1mrz5
真田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見て驚いたというのは、二男・守信の家系じゃないの。

631 :人間七七四年:2008/08/03(日) 18:02:58 ID:F1013wgW
重綱って生まれたら殺せって父親に言われるは
政宗とは衆道関係で家臣の前でも接吻しあったほどなのに
小早川秀秋に頼まれた政宗が1度秀秋の相手してやれよとか
小早川の家臣と交換しても良いよって政宗が言ってたりと可哀相なんだがw

632 :人間七七四年:2008/08/04(月) 13:11:47 ID:WvCC6Y05
片倉家はもとは真田と同じ出身地。そんなことも息子・娘を託した理由の一つか。
助かったもう一人の娘「あくり」は徳川の家臣・滝川一積の養女となって、蒲生郷善に嫁ぐが、
敵の娘を幕府の許しも無く婚姻させるとは!といって一積が改易させられる。
(本田正純には報告許可を得てあった)
於梅のことはお咎め無しなのにww
本田正純には他にも「許可を得ていたのに」改易というのがあったな。


633 :人間七七四年:2008/08/04(月) 14:20:42 ID:SoF3ALnS
待て、これは正純の罠だってとこか

634 :人間七七四年:2008/08/04(月) 16:16:08 ID:hXZuCpFx
>>633
正純じゃなくて土井利勝だろ。

635 :人間七七四年:2008/08/04(月) 20:10:37 ID:uqvSSQ7p
待て、これは利勝の罠だってとこか

636 :人間七七四年:2008/08/05(火) 19:33:03 ID:ABtOf6Ki
いい話というか、長野業正のちょっと面白い話を見つけたので張り

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/08(土) 21:56:37 ID:i4ZXIU7M
業正の娘たちはいずれも美女揃いだったので先を争って縁談の申し入れがあったそうだ。
あまりの人気ぶりに業正も生産が追いつかず娘を貰えなかった豪族が反抗したりして上州戦略に支障を来たした。
あと10人娘がいれば信玄に箕輪城とられずに済んだのに惜しい。

637 :人間七七四年:2008/08/05(火) 20:44:34 ID:Bisuc0Cm
さすが在原業平の末裔だ

638 :人間七七四年:2008/08/05(火) 23:47:17 ID:/v/TPvAG
じゃあ、業正はものすごく顔立ちが整ってたのかもしれんな
というか豪族どもはどんだけ美人の嫁が欲しかったんだw

639 :人間七七四年:2008/08/06(水) 09:46:15 ID:xM69f+Ww
政略に有効でかつ美女だったら言う事なしだしw

640 :人間七七四年:2008/08/06(水) 12:16:37 ID:ufKHF8s9
>>636
あと10人いればって、12人も嫁がせてんだよ。
徳川家斉みたいにやること無くて子作りマシーンならともかく、ふつう無理だよなwww

641 :人間七七四年:2008/08/06(水) 12:22:13 ID:rL17nwz+
関東管領家の下で上野を実質支えてきた長野家
国人衆にしてみれば少々のぶさいくでも婚姻関係になりたいだろう
ましてや美女だなんてサイコーすぎる!

もらえなかった国人衆がふてくされるのもしょうがないな


642 :人間七七四年:2008/08/06(水) 15:16:23 ID:nLUX6M+q
あれはでないのかな?
秀吉の松下の話
有名だけどねw

643 :人間七七四年:2008/08/06(水) 15:26:21 ID:NJ3H6Vx/
日本史板、死んだの?


644 :人間七七四年:2008/08/06(水) 15:30:48 ID:7uvutoS3
>>607

爆笑


645 :人間七七四年:2008/08/06(水) 20:46:56 ID:eC0470DG
てすと

646 :人間七七四年:2008/08/06(水) 22:02:33 ID:YKcMesN4






宣教師達の日本人拉致を
総理大臣の立場にあった秀吉が激しく憤った事

647 :人間七七四年:2008/08/06(水) 22:05:48 ID:qvqpOVFF
>>646
中途半端で「現実的」な対応しか、取ってないけどな>秀吉

648 :人間七七四年:2008/08/06(水) 23:37:50 ID:zsxLtZ3i
伊達政宗の瓢箪から駒話はまだ?

649 :人間七七四年:2008/08/07(木) 02:22:12 ID:9lSxK57Z
大坂冬の陣の折、和睦が決まると、その条件として大阪城の外堀が埋められ始めた。
そんな中、暇を持て余した大名たちは「香合わせ」に興じていた。
そこへ通りかかった伊達政宗は面白そうだと早速これに参加します。

大名たちは各々、弓、鞍などを賭けましたが、どういうわけか政宗は腰に下げていたひとつの瓢箪を景品としました。
周りは皆、「奥州の大大名ともあろう者が・・・」と、心のうちに蔑み、当然それを取ろうという者は現れません。
結局、その瓢箪は一番最後まで残り、旗本の一人が取ることで勝負は終わりました。

ところが、お開きとなり、皆が立ち上がったその時、政宗は瓢箪を取った旗本にこう言ったのです。
「瓢箪から駒という諺の通り、ほれ駒が出たぞ」
旗本が政宗の指差す方を見ると、そこには政宗が先程まで乗っていた名馬があるではありませんか。
こうして旗本は政宗の馬を豪華な飾りと共に譲り受けたのです。
初めは蔑んで笑っていた大名たちも、この時になってようやく政宗の意を悟り、大変悔しがったといいます。


という話だが・・・スレにあってんのか?

650 :人間七七四年:2008/08/07(木) 02:39:29 ID:hWZmnnHa
前田利家とその妻、松のお話

守銭奴の気のあった前田利家、家臣を雇うのもそこそこに、蓄財に励んでいた。
ところが、佐々成政との戦が迫った時、兵も将も足りないことが露となった。
このとき松は怒りくるって、

「だから、銭をためるよりも前に、その銭で侍を雇えと言ったでしょう!
こうなったら、あなたの貯めた銭に槍を持たせて戦に行きなさい!」と、銭櫃とともに館から追い出したとか。

しかし、こんな痛い目に合っても、利家の蓄財癖は直らなかったそうです。

651 :人間七七四年:2008/08/07(木) 08:38:45 ID:kUOUQm5O
なんだ?利家の貯蓄は家康や如水と違って目的のない貯蓄だったのか?

652 :人間七七四年:2008/08/07(木) 18:58:16 ID:V1/O6rhV
関が原と言う、いざというときに前田家は徳川へ献金しますた。

653 :人間七七四年:2008/08/07(木) 22:21:03 ID:/z9m4R/m
つまり利家自身は死ぬまでため続けてただけか

654 :人間七七四年:2008/08/08(金) 14:36:17 ID:1ImAM3hh
死ぬまぎわに経理担当の部下にこれまでの蓄財のねぎらいと
それにともなう不正な帳簿が死後に発覚すると部下に迷惑かけるので
自分の棺桶に入れて証拠隠滅するように指示してなかったっけ

655 :人間七七四年:2008/08/08(金) 15:05:37 ID:wZkuI7Qn
>>654
金融マフィアみたいな死に様だな・

656 :人間七七四年:2008/08/11(月) 21:04:13 ID:ewA72rmA
関白であった頃の豊臣秀次と、遊行上人との会話

秀次、上人に向かって

「上人は 霞の衣 きりの数珠 あまけはなれぬそら念仏かな」

すると上人

「水鳥は 水に入りても 羽も濡れず 海の魚とて汐に染まばや」


これは秀次が「上人はそのような尊いお方なのに、女っ気が耐えない(あまけはなれぬ)のはいかがなものか?」
と、和歌で諭したのに対し、上人が「環境や外観がどうであろうと、大切なのは心の純潔であります」と同様に返したもの。
秀次の教養と洒落っ気の伺える逸話。

ちなみに秀吉はこれを、さっぱり理解できず、「そんなまどろっこしい話し方をするな」と叱ったとか。

657 :人間七七四年:2008/08/11(月) 23:42:32 ID:ewA72rmA
戦国初期、大内義興が在京していた頃、京で彼が密通していた女への恋文を、侍女がよりにもよって間違って、
当時京に上がってきていた、彼の北の方に届けてしまう。
北の方は勿論これに激怒し、義興を追求。それに窮して義興は、彼女をなだめるためにもなんのかんので
帰国する事になり、それによって、彼の存在で安定していた畿内の政情はまたもや乱れる事になったとかw

658 :人間七七四年:2008/08/12(火) 00:27:12 ID:uxnuT1zV
面白いが別にいい話では無いぞw

659 :人間七七四年:2008/08/12(火) 03:32:49 ID:3QPS8PCl
   /.   ノ、i.|i     、、         ヽ
  i    | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ        |
  |   i 、ヽ_ヽ、_i  , / `__,;―'彡-i     |
  i  ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' /    .|
   iイ | |' ;'((   ,;/ '~ ゛   ̄`;)" c ミ     i.
   .i i.| ' ,||  i| ._ _-i    ||:i   | r-、  ヽ、   /    /   /  | _|_ ― // ̄7l l _|_
   丿 `| ((  _゛_i__`'    (( ;   ノ// i |ヽi. _/|  _/|    /   |  |  ― / \/    |  ―――
  /    i ||  i` - -、` i    ノノ  'i /ヽ | ヽ     |    |  /    |   丿 _/  /     丿
  'ノ  .. i ))  '--、_`7   ((   , 'i ノノ  ヽ
 ノ     Y  `--  "    ))  ノ ""i    ヽ
      ノヽ、       ノノ  _/   i     \
     /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;"  ,/ヽ、    ヾヽ

660 :人間七七四年:2008/08/12(火) 03:56:07 ID:/prcwaau
>>656
一見していい話だけど、女性への情欲は内の心から沸き起こるもんで、
それに支配されてるっちゅうことはお前の羽はびしょびしょだしお前の魚はしょっぱいじゃないかと思う。

661 :人間七七四年:2008/08/12(火) 07:13:45 ID:0By7/lLV
四国で泥沼の争いをした長曽我部信親と十河存保
二人とも仙石秀久のせいで戸次川の戦いで戦死する
十河は九州仕置きの後改易
長曽我部は関ヶ原の後改易

でもそれから30年後に再び仙石と十河と長曽我部が共に味方として戦うときが来たんだな
十河存保の息子の十河存秀と仇敵長曽我部家の元大名長曽我部盛親
さらには憎き仙石秀久の次男仙石秀範

三人とも大阪の陣で大阪方について、そろって死んだ

人の縁の不思議な話

662 :人間七七四年:2008/08/12(火) 07:30:17 ID:0By7/lLV
1619年
福島正則は広島城の石垣の無断修築の理由で所領召し上げの上、信州川中島に左遷される。
もっとも本人は確かに届出を出したんだが幕府が知らぬといってる以上届かなかったのだろう。

正則の家臣は憤慨したらしい。
それは、福島正則が1600年小山の陣で真っ先に家康についたから今日の徳川家があるんだ。
だからこの待遇はあんまりじゃないか、というものだったとか。

それに対し正則は特に怒ることもなくこういった。

「弓は敵がいるときこそ役に立つが平和の世になると袋に入れて蔵にしまう、最早それは必要がないからな。
つまりわしは弓なのだ。
乱世のときは清洲やら広島やらで戦いのために必要とされるが、
それが終わると川中島の蔵に片付けられる。それは仕方のないことなのさ」

663 :人間七七四年:2008/08/12(火) 21:44:12 ID:T9R1ehmp
潔いよな 徳川の榊原とかの晩年に通じるような爽やかさ

664 :人間七七四年:2008/08/13(水) 09:14:33 ID:jwL0GYAw
単に信用されてなかっただけだろうけどな。

665 :人間七七四年:2008/08/13(水) 10:20:14 ID:vW+GxY4d
>>664

だろうな、黒田なんて2代目の時家老の栗山大膳が徳川に訴える
お家騒動起こしたけど先代の功績なんかで実質お咎めなしだったもんな

666 :人間七七四年:2008/08/13(水) 10:44:27 ID:RzlQpoBw
つーか福島は、単純に、本多正純と土井利勝の政争に巻き込まれただけの話だからなあ。
弓とか何とか、特に関係ない。

667 :人間七七四年:2008/08/13(水) 12:47:48 ID:jZ/5Wl2g
海外からも勇気を持って闘いぬこうとみなさんに緊急応援メッセージが届いてます!
http://www.youtube.com/watch?v=-IUSZyjiYuY

【マスコミ】 毎日新聞、「毎日jp」の閉鎖を検討…変態報道の反発を受け★11
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1218587736/
「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1218507887/
毎日新聞が小額で日本で少女を買春する方法を紹介
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1214808695/
【毎日新聞・変態報道】電凸のすさまじい破壊力
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217987915/
【論説】 「毎日新聞『変態報道』騒動…"第四権力"として好き放題のマスコミだが、ネットにより力関係に変化が」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216165783/
【携帯】NTTドコモ、iチャネルの情報提供元を「毎日新聞」から変更。不買運動も影響か?
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217066032/
【新聞・調査】“非常事態”「毎日」が前年比10万部減少
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217044009/
【毎日・変態報道】“就活生を脱がす企画も”「毎日」系企業が出す「エロ雑誌」が過激すぎる
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217170773/
【毎日・変態報道】『のまねこ事件』より大事に!毎日新聞は“全国の女性を敵に回した”
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216091386/
【毎日・変態報道】 WaiWai記事をまとめた書籍の第3弾、講談社の子会社から各国に向けて発売予定
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215573523/
【裁判】スーパー前で老人にひじ打ちして死亡させる 元毎日新聞販売店従業員(25)に懲役5年判決…茨城
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217598110/
【毎日・変態報道】ひろゆき氏「『厳重な処分』なのに社長に昇進って何なの?」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216025307/
「押し紙」率7割!老舗販売店経営者が直言「毎日新聞は癌末期」
http://news.livedoor.com/article/detail/3394103/

668 :人間七七四年:2008/08/14(木) 19:32:43 ID:n/CYgwtO
太閤検地の行われていた頃の話

薩摩島津家は未だ君主権が弱く、秀吉の求めるとおりの検地など実行したら
反発を受け、何が起こるか解らない。

「とても無理だ」

と、検地の責任者である石田三成に書状で泣きついた。そこで三成、

「ならば、村の数だけ調べてよこしなさい。石高はこちらで適当に数字を作るから」

と、温情あふれる返答。
これには島津家、および後世の書類偽装役人、大いに感銘を受ける。

669 :人間七七四年:2008/08/14(木) 20:00:58 ID:4xoZcDaX
自分は疑われている、信頼されてない、トップの争いのとばっちりを受けた、
だから改易された

それじゃかっこわるいから

確かに用無しだから捨てられた、でも昔は必要とされていたんだ!

って思い込みたくなるのが人情

670 :人間七七四年:2008/08/14(木) 21:59:10 ID:cJRY175C
>>668
そしてその適当に作った数字が
その当時の実質的な石高約40万石を遙かに越える60万石だったのですね
さすが三成、秀吉の懐刀といわれるだけありますね


671 :人間七七四年:2008/08/14(木) 23:06:15 ID:4xoZcDaX
滝川一益が上野厩橋にいたころのはなし

ある日一益が何人かの家臣と亭で休憩をしてると周囲を警戒しながら餌を食べている鶴を見つけた。

しかしもう少し近くを見てみるとその鶴の周囲にじゃれあい、好き勝手に餌を啄ばんでいる沢山の雀がいるのを見つけた。

昔の自分と今の自分を比べた一益は家臣たちに呟いた。
「あの鶴はまるで私、大勢の雀は家来である貴様らのようだ」
「大名ともなればあの鶴と同じく一時として安心できるときはない、心配してばかりだ。
だが貴様ら雀はあのように自由気ままな暮らしが出来る」
「貴様らは鶴を羨んだり、また、鶴になろうなんて思わず、今の雀の楽しみを楽しみ給え」

晩年、一益は雀に戻ったわけだが実は幸せだったのかもしれない。


672 :人間七七四年:2008/08/15(金) 00:58:32 ID:KjR19Lpm
ある時茶会に招かれた長宗我部元親が、秀吉から貰ったまんじゅうを一口だけかじって持ち帰ろうとした。
秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
※一説には、それを聞いて感じいった秀吉が用意したまんじゅうを全部元親にやったとも言われている。

これは元親が家臣を思いやる一面を持っていたことを読み取れるエピソードである。

秀吉は四国征伐後は元親を土佐一国に封じた。
だが二歳下の元親を憎からず思い、嫡男信親を亡くした折には弔問し涙を流したという。それにより元親も多少の慰めは得ている。

成上がってきた自身と、土佐一郡から身を興した地方の大名である元親と、何か通じるものがあると思っていたのかもしれない。

(既出かもしれませんが…)


673 :人間七七四年:2008/08/15(金) 05:13:47 ID:B/ytWoGF
( ;∀;)イイハナシバカリダナー

674 :人間七七四年:2008/08/15(金) 05:19:13 ID:x4HorWIb
>>672
>秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
このエピソード、正直、毒殺が怖かったんじゃないかと疑っている。

675 :人間七七四年:2008/08/15(金) 12:02:49 ID:EG1VjCK4
秀吉は毒殺より帰り道で襲わせると思う

676 :人間七七四年:2008/08/15(金) 12:15:05 ID:uALgp32Y
>>674
おぬしがそう思うのはかまわないが
せっかくスレタイ通りにかかれた
いい話なんだから、わざわざ
水を差さないでほしいな


677 :人間七七四年:2008/08/15(金) 12:56:30 ID:4NVzWqIG
加藤清正が京都に来た際福島政則と茶を飲むことになった。
茶室で部屋掃除をしていた二人の近衆がふざけて暴れて壁に穴を空けてしまった。
速めに着いた加藤は二人から事情を聞き不問として帰した。
福島が来ると真っ先穴を見つけ
「なんだこの穴は?」
っと不機嫌になった。
加藤が事情を説明すると
「なぜその二人を切り捨てない」
と怒った。加藤は呆れて
「お前は戦はできても仁愛の欠片もない日本一人使いが出来ない奴だ。
若者達を成敗してどうする?子孫の事を思えば逆をとられよ」
と呆れられた。

678 :人間七七四年:2008/08/15(金) 14:34:11 ID:KVBHsnmJ
毛利元就が、息子小早川隆景に当てた手紙

「その家の主人が家臣を殺す事は、手足を切るようなもので最悪の行為です。
これ以上悪いことはありません。
一般に家臣を殺す事は、その主人に器量がないためで、器量のある主人は
家臣を殺すような真似はしません。
よくよく、心得て置いてください。」

実はこの手紙、元就が、家臣の中での最大勢力だった井上一族を粛清したすぐ後に書かれたものである。
無論隆景もその事は充分に知っている。その上で、元就は自身の苦悩と自戒を篭め、この手紙を書いたのであろう。

679 :人間七七四年:2008/08/15(金) 16:12:29 ID:VNn7FGvB
>>678
これは深イイ話だなぁ。
「お父さんを見習うな」
っていうことを伝えたかったのだろう。優秀な息子が育つわけだなぁ。

680 :人間七七四年:2008/08/15(金) 19:09:36 ID:l9DQSad/
>>677
清正は部下に優しいから好きだな
まあ猛将だから優しいだけじゃないんだろうけどさ
親分肌なのがいいよね それにしても彼の配下はやんちゃなのが多いなw
茶器割って開き直る小姓とか

681 :人間七七四年:2008/08/15(金) 23:45:00 ID:eOgIQDwc
立花道雪は軍律違反には非常に厳しいけれど、
本当に部下思いだから好きだ。
上司にしたい武将No.1だな。


682 :人間七七四年:2008/08/16(土) 00:44:08 ID:JuFABJ3e
佐竹義重の配下に、浜野正杞と言う侍がいた。彼は天正12年(1583年)の沼尻の合戦で武功を上げ、
義重は政杞に、直々に戦功をたたえた書状を与えた。

時は過ぎて関ヶ原合戦のあと、佐竹家は出羽に国替えとなった。この頃政杞は既に老齢で、
「もうお供も出来ません」と、佐竹義宣から暇を取り、下総で帰農した。やがてこの地で死ぬが、
その時
「何かの役に立つ事もあるだろう」
と、義重の書状だけは後に残した。しかし、彼には娘一人しかおらず、この娘は結局嫁に入り、
浜野の家名は断絶した。

その下総に、新たに水野忠光が領主として入ってきた。彼は、どこかからかこの義重の書状の話しを知り、
「鬼義重と呼ばれたほどの武将の筆、是非拝見したい」と、自ら娘の嫁ぎ先にまで出向き書状を見た。
これによりその書状は有名になり、佐竹義宣まで父親の文章を見るために、参勤交代の折わざわざ立ち寄った。

そうして、沼尻の合戦からおよそ100年後、元禄11年(1698年)の佐竹藩の家臣名簿に、浜野久兵衛という名前が現れる。
浜野家は、佐竹藩において再興されたのだ。

侍の命がけの武功とは、子々孫々にまで影響を与えるものだ、と言うお話。

683 :人間七七四年:2008/08/16(土) 05:51:20 ID:MbkgHhMr
( ;∀;)イイハナシダナー

684 :人間七七四年:2008/08/16(土) 07:01:51 ID:ynOi68BW
(;∀;)いいスレだなぁ

685 :人間七七四年:2008/08/16(土) 14:33:18 ID:ht+w5s3g
久兵衛は娘の子?

686 :人間七七四年:2008/08/16(土) 15:35:33 ID:BsNM4bOW
>>680
心構えのない部下には容赦なかったと思うけど。

687 :人間七七四年:2008/08/16(土) 16:31:41 ID:JuFABJ3e
>>685
娘の子の血筋

688 :人間七七四年:2008/08/17(日) 12:56:15 ID:H3zmpaat
心構えのない部下に優しいってのは優しいんじゃなくバカだろ

689 :人間七七四年:2008/08/17(日) 21:45:44 ID:lREbt1cO
茶の湯の大嫌いな若侍がいた。
あんなものは武士の嗜む物ではない、と、いつも高言していた。
それを聞いた悪友の一人が、「しかし、お前の義兄は茶の湯好きとして有名ではないか」
と、ケチをつける。痛いところを突かれた若侍、「軟弱な義兄を懲らしめねばならぬ」と、義兄、中川清兵衛の屋敷に
忍び込み、彼自慢の茶の湯釜を盗み出した。
せっかく盗んだ茶の湯釜である、これで一つ茶の湯の真似事でもしてみよう、と、悪友たちに囃され、彼も
一通りやってみた。

「これは…以外に面白いものではないか?」

真似事をしているうちにふと、若侍の中に、そんな感情がわいてきた。


この若侍、後に天下一茶の湯宗匠、古田織部と呼ばれることになる。

690 :人間七七四年:2008/08/17(日) 21:47:33 ID:ZF46RlkB
 若き頃、半身不随となった立花道雪は身の回りの事を
専ら小姓達に任せていた。皆、道雪に見込まれた若達で
あった。
 ある時、道雪の屋敷に客が来た。接客は道雪の小姓達
が担当していた。その小姓の一人が緊張のあまり、客の
膳を取り落とし、料理を座にぶちまけてしまった。時は
戦国である。粗相のひとつで戦になる世である。詫びて
腹を切ろうとする小姓を道雪は制し、客に言った。
「私の家臣が粗相を致し、誠に申し訳ない。だが彼は、
ひとたび戦となれば、体の動かぬ私のかわりに、真っ先に
敵に向かって行く、勇敢な奴です。戦の粗相なら致し方な
いが、接客の粗相は主人の責です。どうかお許しくだされ。」
道雪の小姓達も一同に進み出て、「お許しくだされ。」と
平伏した。
これを見た客は、立花主従の絆に深く感動し、粗相を許した。


 後年、道雪は死を陣中にて迎える。最期の命令は
「私の遺骸に甲冑を着せ、敵陣に向けてこの地に埋めよ。もし
この命に背けば、悪霊となって祟る。」であった。
だが家臣達は道雪の遺骸を敵地に捨て置き、逃げる事など出来
ない。皆は決めた。
「道雪様は皆で領地にお運びしよう。もし祟りがあって、道雪
様が枕元に立たれるなら、喜んで腹を切ろう。道雪様に見届け
て頂けるなら、これほどの幸せは無い。」

 生涯三十七度の戦を戦い抜き、主君大友家を支え続けた道雪。
彼が守り抜いたのは大友家だけではなく、戦国の世に稀に見る、
主従の絆であった。
その絆は彼が薫育した愛息、立花宗茂に受け継がれていくのである。


691 :人間七七四年:2008/08/17(日) 21:50:09 ID:552cM3GS
>>690
ちょ、マジ泣きしたんだがwwww

692 :人間七七四年:2008/08/17(日) 22:10:26 ID:YkujUi/d
>>690
男子たるものかくありたいものだ。

693 :人間七七四年:2008/08/17(日) 22:52:44 ID:eSAH8351
もうさ、戦国の主従関係は、衆道の絡みがあって
アー!な関係だったからなかなか泣けない。
もう、部下に愛され、部下を愛し、これ全部衆道だろー

衆道バンザイ!

694 :人間七七四年:2008/08/18(月) 13:37:18 ID:T+VQEqRd
>>374
泣いた。・゚・(ノД‘)・゚・。

695 :( ;‘e‘)チャーニィたん ◆charny.4eA :2008/08/18(月) 23:41:07 ID:4SLctSGw
( ;‘e‘)( ;‘e‘)<俺が戦国時代に産まれていたら間違いなく歌で戦国の世を終わらせてた

696 :人間七七四年:2008/08/19(火) 19:59:50 ID:KzCpknPn
ホゲ〜ってヤツか

697 :人間七七四年:2008/08/19(火) 20:45:57 ID:KPH//XjI
いや、ボエ〜だろ

698 :人間七七四年:2008/08/19(火) 22:59:49 ID:vjF5/6YL
ジャイアントかよ>(Ю:】

699 :人間七七四年:2008/08/20(水) 05:15:27 ID:vlut3PMW
>>690
だいぶ前にゆづか正成が描いた読み切り思い出した
牛小屋メンバーの描くオッサンのカッコ良さは異常

700 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:25:41 ID:vAyBjRy1
小堀遠州と細川忠興は共に、世に文化人大名として認識されていたが、忠興は遠州のことを
酷く嫌っていた。かつて二条城で二人が出会ったとき、挨拶しようとした遠州を忠興は無視して
通り過ぎたこともあった。「遠州の茶道は武士のたしなむものではない」
忠興はそのように思っていたらしい。

その、遠州に危機が訪れた。
かれは幕府の依頼で五機内の天領の管理を任されていたのだが、あるときそこに、幕府の財政調査が入り、
遠州管理下での財務が、大幅な赤字に陥っていることが判明した。
「遠州は責任を取って切腹させられる」「小堀家もお取り潰しか」
遠州には、大名幕臣にも多くの弟子や友人がいたが、事は幕府天領の問題。幕府を恐れ、誰も、遠州のために
動けずにいた。

このとき、一人の大名が声をあげた。
細川忠興である。

「遠州は名高き数寄者である。このような過失により彼を滅亡させてしまっては、天下の名器を失うと同じではないか」

そしてかれは、すぐさま遠州に一千両を届けた。
これを聞いた遠州の友人、知人、そして茶の道を嗜む多くの者たちが、忠興に続けと、次々と遠州に寄付を申し出た。
たちまちのうちにその金額は借財の倍にもなり、遠州は無事、この危機を乗り切った。小堀家は、改易を免れた。

感激し、感謝の念を伝えた遠州だが、、忠興はそれ以後も以前と同じく、遠州の芸術を断固として認めなかったという。

701 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:41:47 ID:hSFS7ypL
ツンデレw

702 :人間七七四年:2008/08/20(水) 20:48:36 ID:pXv+Q8mT
>>690
立花道雪は部下との
強い絆を物語る逸話が多いね(峻烈なところもあるけど)。
以下、蛇足ながら自分が知っているちょっと
違う逸話を(「武田信玄のリーダー学」に載っていた)。

戦場で手柄が立てられず、意気消沈している部下に対し道雪曰く、

「戦場の手柄は運に大きく左右されるものだ。
そなたの武勇のほどはこの道雪が誰よりも知っている。
わしのような不具者が今日まで生きてこられたのも
そなたの忠義あればこそじゃ。決して急いてはならぬ。
つまらぬ功を焦って討ち死にするなど愚の骨頂。
命を大切にし、長生きして、いつまでもちんば(原文ママ)の
道雪を守ってほしい」

その道雪の日頃の口癖(同じく武田信玄のリーダー学」より)

「もともと弱い兵などいない。もしいるとすれば、
それはその兵の長所を見抜けていないだけであり、
長所を見抜けぬ大将がいけない」

戦国の世にあって、肢体不自由という究極のハンデを
背負いながら猛将として名を馳せた道雪。
自身が深い苦悩を抱え、そして克服したからこそ、
「不具の自分にはお前たちが頼りだ」と
さらりと言えてしまうのだろうか。


703 :人間七七四年:2008/08/20(水) 21:09:15 ID:U4Y1zlL1
>>700
忠興かっこいいじゃんw

704 :人間七七四年:2008/08/20(水) 22:15:03 ID:2qKAOkeh
>>700



その話後日談があるんですよね。


ある日建設中の二条城の御幸御殿に家光の命で下見にやって来た忠興と息子の忠利。

作事奉行の遠州は後ろの方に下がってうやうやしく腰を低くかがめっぱなしでつき従っていた

そんな遠州を忠興はガン無視、忠利が注意を促してもしらんぷり
結局一言も声をかける事なく検分終了。

後で忠利が「父上は小堀遠州をお忘れなさいましたか」と咎めると、
忠興は腰を低く屈めた遠州の真似をしながら
「それは袴腰を背うちにあてたる男か」と嘲笑った。
どうも遠州の卑屈な態度が忠興の気に触ったようです。


遠州を芸術家としては買っていた忠興も人間的には嫌いだったって事でしょうか。
遠州の逸話を調べると大抵上にはへつらい下に威張る俗物って話ばかりで自分もこの人は嫌いです。


705 :人間七七四年:2008/08/20(水) 22:31:58 ID:vAyBjRy1
>>704
うーん、個人的にはもうちょっと複雑な、たとえば茶碗について、自分はどうしても気に入らないけど、世間的に
名品と呼ばれ大切にされるのは解る、ってのと同じような感覚なんじゃないかな?と、考えます。

706 :人間七七四年:2008/08/21(木) 01:15:41 ID:8nj9Q1lL
伊達政宗の老臣鬼庭良直は、1585年に葦名・佐竹連合軍との人取橋の合戦で3倍の相手に奮戦するも
岩城氏家臣の窪田十郎に討ち取られた。

のち十郎は捕らえられ、良直の息子綱元の元に引き出された。
父の仇とばかりに十郎は処刑されるかと思いきや、綱元は十郎を恨んではいないと言い、
「捕虜を斬るのは士道に反する」と、十郎を釈放した。
十郎はこれに感じ入り、綱元の家臣になっている。

707 :人間七七四年:2008/08/21(木) 16:35:23 ID:63KWg4k+
立花道雪、宗茂の家臣団、由布惟信(雪下)の話が上の方にあったので小野和泉出しちゃう。
守銭奴と呼ばれ周りからも煙たがられ更に家臣からも嫌われ賄賂を貰いまくる和泉

度重なる戦にて立花家に財政難がやがて訪れる、2度目の朝鮮出兵時立花家には戦に参加
出来る戦費などない、戦に参加できないことは当然御家の危機でありまた恥である。
そんな時小野和泉は守銭奴と呼ばれながらも貯蓄していた全ての財を立花家のために提供
和泉は周りから何を言われようと立花家のため悪役を買っていた、これを知った家臣達
は小野和泉こそ誠の忠臣と崇めたと言う。

708 :人間七七四年:2008/08/21(木) 17:16:59 ID:nA3clidC
あるとき織田信長が、千利休に「何でも好きなものを一つやろう」と言った。

知っての通り、信長は茶器の収集家として有名であり、おそらく利休も、その信長のコレクションの中から
どれかを望むであろう、と、信長も考えていた。ところが利休は

「上様の、正宗の脇差をいただきたい」

「茶器ではなく、脇差じゃと?」

「はい。茶器ならば、上様は名物をたくさん持っておいでになりましょうが、
この利休には、名物を発見する目がございます。
とすれば、武将が持つ名物といえば刀剣。名に聞こえた信長公の正宗の脇差、是非所望したくございます。」

こうして利休はその脇差を拝領し、それは「宗易正宗」の名で、世に有名になった。

そのしばらく後のこと

利休は、その脇差の拵えを、本阿弥光徳の所に頼みに行った。その時一緒に、古い鞘も持ってきて、
「これは随分前に、町でたまたま見つけたものでして、なかなか結構なものだと思っています。
手に入れてからずっと手元に置いていたのですが、この脇差の拵えを、これで作っていただきたい」

本阿弥家の人々はあきれた。脇差は天下の正宗、しかも信長公より拝領の逸品である。それを、
どこのものともわからない町買いの古鞘に合わせるとは。
第一、町で見つけたような古鞘を秘蔵するような人間は滅多に居るまい。さても変わったお人だ。
そんな話をしている時に、分家筋の光二(有名な本阿弥光悦の父)が現れた。その話を聞き、古鞘を見た。
光二は唸るように言った。

「これは、かつて私が、名刀鳥喰国次にあわせて拵えた鞘だ!」

早速、光二がその鞘を、正宗にあわせて仕立て直した。やがて刀を取りに来た利休は、その出来栄えの見事さに
感嘆し、また光二も、利休の眼力に、深く感じ入った。
頼む人も達人。頼まれた人も達人、であったわけだ。

そして、「宗易正宗」はその鞘とともに、さらに天下に名高く喧伝されたという。
本阿弥家の記録に残るお話。

709 :人間七七四年:2008/08/21(木) 17:24:23 ID:63KWg4k+
小野和泉2
立花家改易になり加藤清正預かりになった宗茂と家臣団
清正家臣団に馬鹿にされ憤りを感じ宗茂は浪人となりこれに従う雪下と家臣団
雪下たちとは違い残る和泉、宗茂へ路銀を渡す、家臣団達からは非難の声も多々
残った和泉は、清正家臣団から馬鹿にされる毎日、自分を馬鹿にされても気にならない
和泉であったが、宗茂を馬鹿にするものが出てきた。
ある日宗茂と清正の比較話が出た時、和泉は無数に傷がある体を宴で見せ一つ一つ説明した。
傷の説明と約70枚の感状を見せると清正家臣団は問う「あなた程の人は家臣団に何人いる?」
和泉は「私程度は家臣団の中では、はいて捨てるほどおります」と言うと清正家臣団は驚いたと言う。
清正家臣団は2度と宗茂を馬鹿にしなかったと言う。
また、浪人となり食うにも困った宗茂に仕送りをしていた程、我が身を捨てて忠を貫いた。
和泉は立花家再興を見ずに没する(悲)

710 :人間七七四年:2008/08/21(木) 19:12:53 ID:5pjFeWJ9
>>709
時代も国も違うけど、
三国志の魏の曹丕と
、呉の孫権の使者の
やりとりで似たエピソード
があったような気がする


711 :人間七七四年:2008/08/21(木) 19:30:58 ID:YIAHXffg
>>707
吉村貫一郎みたいでかっこいい

712 :人間七七四年:2008/08/21(木) 19:41:34 ID:UsAFcNuI
>>704−705
人間である以上贔屓目が入るから
「こいつ嫌いやなぁ・・でも作品は認めるぜ」ってのはなかなか難しいことですよ
細川忠興を擁護する気はないんだけど

713 :人間七七四年:2008/08/21(木) 21:32:25 ID:YUlSpdyI
最上義光三連

1.最上家の鮭延家臣に、裸亥之助というものがいた。あまりに太っていたため、あう甲冑がなく
裸で走り回るためそう呼ばれていた。
義光はこれを聞いて「いくら太っているからって、ブタ(亥)はないだろ、ブタは…
今日からは 武 太 之 助 って呼びなさい、なんちて♪」
と寒いオヤジギャグをかました。

2.庄内地方を上杉と争った最上だったが、結果的に外交で敗北、
庄内は上杉家のものとなった。しかし年貢とりたてが厳しく、一揆があいつぐ。
そんな中、池田讃岐という武士が一揆に加わり逃亡、最上領に逃亡し鮭延に
助けを求め匿われた。彼は天下のお尋ね者となったため、悪次郎と名乗った。
悪次郎は現地を開墾、治水灌漑をおこなった。住民はそれを感謝し、地名を
悪次郎に変えた。明治以降、あくどいイメージなので地名を変えるように行政指導が
あったが、住民は悪次郎という地名を守り抜き、現代まで残っている。

3.秀吉政権以降、由利十二党が最上配下となった。義光はとりまとめに苦労していたが、
あるとき十二党のものに「大井五郎という暴れん坊に困っているので殺して欲しい」と頼まれた。
義光はなんとかして五郎を山形城に呼び出して暗殺しようとした。
しかし、現れた五郎が鮭をまるごと平らげ、あまりに大食いなのを見てすっかり気に入り、
「あのー、わし本当はお前のこと殺そうとしてたんだよねー。
でもなんか気に入ったから殺さないからね? 何か困ったことあったらいつでもおいで」
とたくさんお土産を渡して家まで無事に帰した。

714 :人間七七四年:2008/08/22(金) 13:22:14 ID:PYV53LA1
小野和泉補足
宗茂を馬鹿にされたところを簡単にしてしまったので伝わらないかも
和泉は、清正家臣団から「我が主は戦場で相手方の首級を幾つもあげてるし一番槍もあるが
和泉殿の主は如何だったのか?」(山路や木山打ちの話)との問いに

和泉は体にある67(だったかな?)のうち上半身の40箇所近い傷跡を見せた(鉄砲傷5箇所、致命傷傷あり)
その瞬間に宴の席が凍りついた。そこに傷の説明をする清正家臣団が「もういい夜が明けてしまう」と
口を開いたところに和泉の問いが...
和泉は「我が主を戦場で奮わせることがないように努めたがそなた達は主が奮戦してる時に
何処にいた!」(よく覚えてない)と問うと清正家臣団は黙ったままだったと言う。

和泉の奮戦話で驚いたのは、両足に鉄砲を受け野に伏したまま采を振るった
しかもその戦いに勝ってしまう←こんな武将は聞いたことないかも凄い

また、この和泉を誘ったのが上の方に書かれてた雪下こと由布惟信
惟信は自分の石高を切り分けてまで和泉の採用を道雪へ懇願した目を持つ名将

715 :人間七七四年:2008/08/22(金) 22:56:18 ID:aOuId1Tw
>>707の話だけみると岡左内みたいだね。

716 :人間七七四年:2008/08/25(月) 00:00:19 ID:B9t2JU0x
関ヶ原の決戦によって、西軍に属していた上田宗箇は牢人となった。

しかし、ほどなく家康から罪を許され、宗箇は浅野家に、1万石で仕える事となった。しかし、古田織部の
高弟でもあった宗箇は、武将としてではなく、茶堂として召抱えられた。これは、新たに大領の主となった
浅野幸長が、当時の上流社交の基本である茶道の基礎を、浅野家に打ち立てるために、宗箇のその方面の
才能を必要としたためであったが、それは、浅野家のほかの家臣からの嫉妬と嘲笑を買うことにもなった。
彼らは、

「我が殿はさすがに大身である。茶坊主を万石でかかえるとは。」と、あからさまに宗箇を侮蔑した。

幸長は「気にするな。一旦事あらば大いに働いてくれ」と、宗箇に脇差を与え、我慢するよう言った。
宗箇は「そのときは、この脇差に必ず、血をつけてご恩に報いましょう」と誓った。
浅野家の家中の者たちはそれをも「茶坊主が血をつけようとは。鼠の血か猫の血か」と、さらに嘲った。

やがて、大阪の陣が起こる

和泉国樫井で陣を張っていた浅野家は、大阪より、、勇将、塙団右衛門の部隊が接近との報を聞き、
一旦退却の方針を取った。が、宗箇は
「ならばわしは隠居する。隠居ならば軍令を守る義務は無い。」と、自分の部隊だけそこに残った。
やがて、やってきた塙の軍勢に踊りかかった宗箇の部隊は、先ず団右衛門の胸を槍で一突きに突いて
重傷を負わせ、さらに一気呵成に攻め立て、塙の部隊の武将の一人の首を、先の脇差にて取った。
この攻撃に、大阪方は壊乱した。彼はここにて、浅野家随一の戦功を立てたのだ。
自らの働きを持って、武将、上田宗箇は、自身の面目を保ったと言えよう。


戦後、宗箇は、浅野家家中一同の前で
「さてさて、ここにお集まりのお侍衆の中で、この茶坊主よりも手柄を上げた方はいらっしゃるかな?」
とやって、さらに家中の憎しみを買ったのは、まあ、これはご愛嬌w

717 :人間七七四年:2008/08/25(月) 00:32:53 ID:PZIS9tjA
最後が余計だw

718 :人間七七四年:2008/08/25(月) 07:55:54 ID:h4fKZp6z
相当頭にきてたんだろうなw

719 :人間七七四年:2008/08/25(月) 08:01:15 ID:WsVaOkwp
明らかに最後の戦乱だったから他の家臣どもは負けっぱなしで終えなければならなかったと。
やりきれんだろうなぁw

720 :人間七七四年:2008/08/25(月) 09:22:54 ID:tavsRvmU
>>713
キーワードは「鮭」だな

721 :人間七七四年:2008/08/25(月) 10:32:48 ID:LGuGJ92p
>>713
warata

722 :人間七七四年:2008/08/25(月) 13:54:58 ID:HCXDF2aH
「お金を軽蔑していた直江兼続」
聚楽第に諸大名が集まったとき、伊達政宗が金貨を皆に見せていた。
まだ貨幣が珍しかった時代である。兼続は得意顔の政宗から扇で受け取ると、
その上でポンポンと羽根突きのように弾ませた。
政宗が「手にとって見られよ」と言うと、
「謙信公の頃から采配を振るったこの手に、卑しいものを持っては汚れます」
と応えた。
兼続の葬式、主君の景勝から銀50枚(350万円)、将軍秀忠からは銀70枚(500万円)の香典が下された。
本人は嫌っていたが、できるヤツには金は集まるものだ。

723 :人間七七四年:2008/08/25(月) 14:11:51 ID:fYwVtBmJ
そのエピソードは金の話しだっけ?、伊達にへつらわない直江兼続は立派でしたって話しじゃなかった?

724 :人間七七四年:2008/08/25(月) 14:42:29 ID:HCXDF2aH
へつらう必要はまったくないだろ?
主君の景勝は5大老、自分は秀吉から陪臣の身ながら30万石をもらった。
政宗よりも兼続のほうが秀吉の覚えもメデタイ。

もうイッパツ金の話。
安土城に「御幸御殿」が完成し、新年会も兼ねた、見物会が催された。
事前に「礼銭100文(5000円)を持参するように」というお触れがでていた。
当日受付には、なんと信長自ら立ち、入場料を受け取った。
ふだん見られない信長の顔を間近で見られるのと、狩野永徳の名画、金作りの調度品などを、
拝見できるのが100文では安い。
それよりも、信長の喜びを隠せない心境が垣間見えてなんとなくイイな。

725 :人間七七四年:2008/08/25(月) 15:53:30 ID:+tITRkdY
違う、違う
羨ましかったけど、伊達家に嫌味を言っただけ
当時の上杉家は、伊達家とは違い財政面で上杉ほど困っていなかった。
上杉家はそれこそ財政難で金銭の工面に追われており、正宗も意地悪で金を
見せびらかしていたと言われている。

それとは別に当時の金は大変不衛生で疫病対策のため身分の高いものは触れたがらなかった
しかも兼続が言った一言が各方面に伝わりデフレの原因になったんじゃなかった?

726 :人間七七四年:2008/08/25(月) 16:08:55 ID:osrG6mSd
冷酷な兼続のエピソード好きなんだが
天地人ではこういうのも取り入れてくれるのかね。

727 :人間七七四年:2008/08/25(月) 16:28:28 ID:vmPiHxL9
会津や仙道まで召し上げされて家臣団への褒賞にすら事欠く伊達が見栄を張っただけだよ。
当時の上杉は秀吉に上洛免除され、大阪城や伏見城を手本に広島城と同規模の城を築くよう期待されてた。
佐竹も新城の築城協力の為に会津に派兵したし。

728 :人間七七四年:2008/08/25(月) 16:31:48 ID:57A4j0Cm
>>722
>>724
その大判をセンスでポイっと投げて政宗に返したとかっていう逸話だよな?
この逸話聞いて兼続って立派だなぁと思う人っているんだろうか…
あと関係ないが30万石ってのは与力含めての数で、直江領はもっと少ない

729 :人間七七四年:2008/08/25(月) 17:23:05 ID:n9/skD07
その逸話は政宗はもちろん大判を手にとっていた諸将に対して無礼に思える





730 :人間七七四年:2008/08/25(月) 17:43:42 ID:oExGPRp3
英雄

731 :人間七七四年:2008/08/25(月) 18:03:32 ID:vmPiHxL9
成金秀吉が金狂いだし、平家の末期のように贅や奢に流れて頼朝以来の武家の気風を忘れがちな中での一服の清涼剤だろう。
むしろ謙信以来の遺風に諸将も唸り感じいったと言える。

732 :人間七七四年:2008/08/25(月) 18:07:20 ID:OrfSqKYQ
>>722の逸話みたいに、政宗と兼続の仲が悪かったって逸話は他にもあるよね。
確か大阪城(だったかな?)の廊下で初めてすれ違った時、政宗が兼続に
「上杉の家臣が、大名の自分に会釈もしないのは無礼にも程がある。まさか俺の顔を忘れたか!」
兼続は「これは失礼致した。あなたとは戦場で何度もお会いしたが、いつも逃げて行く後ろ姿しか
拝見したことが無かった物で。まさか伊達様とは思わず大変失礼致した。」とやり返した。

本当に仲が悪いつーか…兼続の矜持も相当な物だったんだろうな。

733 :人間七七四年:2008/08/25(月) 18:27:47 ID:CCZtRgXJ
謙信なんて守銭奴に近いじゃん。金のために今川北条と結んだ武田への経済制裁も
とっとと破るような武将。

734 :人間七七四年:2008/08/25(月) 18:41:40 ID:5viugfyz
信濃に帰してやるとした上で信濃の武将を大量に抱えてる謙信が
真っ先に信濃を逼迫させるような政策取れる訳なくね。
越後から信濃に通じる塩の道は元信濃領主に治めさせて守らせてんのに。

735 :人間七七四年:2008/08/25(月) 18:52:54 ID:57A4j0Cm
まぁ好意的に解釈すれば>>731のように、
上杉家や自分自身への誇りみたいなものを表すエピソードになるんだろうけどねぇ
>>732の逸話を聞くと
「いやいやww政宗だったら初対面でも分かるだろw」と思ってしまう

どっちにせよ、イイ話というよりは、直江の品格に傷が付きそうな逸話だが

736 :人間七七四年:2008/08/25(月) 19:17:55 ID:DOndinbp
誰も逆らえない政宗にギャフンと言わせたと言う意味で作られた逸話だね。
でもこんな作り話を基に人物の善し悪しを論じても始まらんなw

737 :人間七七四年:2008/08/25(月) 20:04:46 ID:DyC6og4U
>>724
スケッチブックもって並んだらなんか描いてくれそうだ

738 :人間七七四年:2008/08/25(月) 20:32:52 ID:vmPiHxL9
ちょっといい話スレにまで
兼続貶しの荒らし基地外が登場したらしいな。

739 :人間七七四年:2008/08/25(月) 20:38:34 ID:cztn1+k8
>>725
むしろ秀吉が生きてた時代だったら
上杉は佐渡金山抱えて金がガバガバ取れてた時代じゃねーの?
景勝が秀吉に献上した大判は全国の6割を占めて
伊達を余裕で引き離して全国トップだったと思うが。
なんで金産出量トップの国のNO.2が
大判を羨ましがらなきゃいけないんだ?

740 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:10:32 ID:WUPV3f2O
>>725
金そのものを披露したんじゃなくて、当時はまだ大判・小判とか
そんなに造られてなかったから、「私が考案した大判でござる!」
って感じのお披露目だったと思われる。

741 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:25:38 ID:cztn1+k8
はあ、1598年に上杉家は大判2000枚強を出してるんだけど。
直江の無礼な行動を誰も何も言わなかったあたり
上杉家相手に政宗pgrって空気だったんじゃねーの。

742 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:35:10 ID:CCZtRgXJ
他所でやろうぜ

743 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:46:51 ID:fYwVtBmJ
俺が最初に変な質問して荒れちゃったみたいでごめんなさい

744 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:51:58 ID:ljKR4QoO
>>738
粘着伊達厨じゃねw

745 :人間七七四年:2008/08/25(月) 22:01:27 ID:wXE9e13M
じゃあここはネタを投下する 直江つながりで対戦相手の最上ネタ。

最上家中鮭延秀綱配下に、に鳥海勘兵衛という若い侍がいた。
彼はある日、義光の奥方に仕える侍女に一目惚れしてしまい、ひそかに
恋文をやりとりするようになった。ところがある日、これが発覚し義光は激怒、
二人は死罪を言いつけられた。
これを聞きつけた鮭延秀綱は義光を諫め、勘兵衛がいかに勇敢か、過去の武功を説いたところ、
義光は二人を許し、勘兵衛に侍女を妻としてめあわせた。

これからおよそ半年後、長谷堂合戦で鮭延秀綱は志村光安とともに、
城の防衛にあたった。鮭延勢奇襲の際、あやうい秀綱を若武者が救い、
討ち死にした。鳥海勘兵衛であった。
彼の遺書には主君への感謝と、妻と過ごした日々の喜びが綴られ、
「この御礼には命をもって報いるしかない」と記されていた。
勘兵衛の妻は、夫の葬儀が終わると自害しあとを追った。
二人が夫婦であったのは、僅か半年ほどであった。

戦後、鮭延秀綱は義光にこの遺書を見せた。義光は号泣し、
かつて勘兵衛夫妻を罰しようとしたことを恥じて、手厚く弔ったという。

746 :人間七七四年:2008/08/25(月) 22:03:23 ID:57A4j0Cm
>>738
あれぐらいで貶められたとかw
さっさと巣に帰れ

747 :人間七七四年:2008/08/25(月) 22:13:37 ID:ljKR4QoO
直江厨は被害者面が得意だからねー
ちょっと批判されただけでうるさいうるさいw

748 :人間七七四年:2008/08/25(月) 23:17:13 ID:5viugfyz
つまり大判の話は伊達の大判自慢にイラッと来ても
金を持ってなければ羨ましい故の負け惜しみみたいで中々言いづらい空気の中、
唯一伊達を超える金を抱える上杉の家宰だけが堂々とpgrして
陪臣ごときにpgrされた伊達に皆スッキリという話か。

749 :人間七七四年:2008/08/25(月) 23:19:48 ID:69bLGVeA
>>722の話は政宗も品が無い。
兼続も芯の強さは見せたが、侮辱的な言葉を吐いて礼節や品格に欠けた受け答えだな。
当時政宗はまだ二十代、兼続も三十代と青年武将同士らしいエピソードだね。

750 :人間七七四年:2008/08/25(月) 23:21:32 ID:Cw2LkE+y
>>745
鮭延秀綱、このスレで出番多いなw

751 :人間七七四年:2008/08/25(月) 23:51:26 ID:byq4RTz9
そもそも>>722>>732が「ちょっといい話」ではないと思うのはオレだけか?
むしろ「ちょっととんがった話」、「ちょっと嫌味な話」だと思うんだけど

752 :人間七七四年:2008/08/26(火) 00:35:41 ID:ttDF3EWe
毛利隆元が急死したのは、41歳の若さであった。

落胆する父元就に、厳島より一通の文章が届いた。彼が死ぬ八ヶ月前に、厳島神社に奉納していった物だという。
それには、こう書かれていた

「どうか、父を長生きさせてください。もし、父に巳歳の災難が降りかかると言うのであれば、どうぞ、私を身代わりにしてください。」

元就は、あふれる涙を抑える事ができなかった、と言う。

753 :人間七七四年:2008/08/26(火) 01:09:22 ID:EY/9yNZD
>>745
もっと鮭の話をくれ

754 :人間七七四年:2008/08/26(火) 02:43:46 ID:NKr2CleZ
>>752
隆元は望み通り父の身代わりになったのですね
いい話だな〜(;U;)

755 :人間七七四年:2008/08/26(火) 04:09:44 ID:WWmN0/t2
生かされた元就の方はたまらなかっただろうけどね・・・

隆元が死んだ1563年の毛利の事情はどうだったのか、
元就でなければ乗り切れない局面だったのか、
戦国にわかの俺にはわからない

756 :人間七七四年:2008/08/26(火) 09:28:54 ID:EdN5C6P5
尼子の家臣を謀略で切り崩してる真っ最中だな。
尼子との抗争長引いて大友にちょっかい出されたらやばい状況かな

757 :人間七七四年:2008/08/26(火) 11:14:00 ID:9Pi+BKu3
鮭話では死後に家臣が寺建てたエピソードがあったな
誰か文章上手い人まとめてくれ

758 :人間七七四年:2008/08/26(火) 21:06:53 ID:73X+dYWH
あいよあいよー 鮭いくよー 鮭話ファイナル

最上家は二代目藩主急死後、義光の孫・義俊が幼弱であるとして
義光の四男・義忠をかつぎあげる動きがあった
これの中心であったのが鮭延である
しかしこの動きが幕府に叛くものとされ、改易の憂き目にあう…

鮭延は幕府の土井利勝に気に入られたのか、古河に預けられ
五千石の身分となった
土井は優秀な官吏ではあったが武勇に功績がなく、そのため
武勇の誉れ高い鮭延を買ったのではとも言われている
ちなみに彼は長谷堂合戦では志村光安と並び活躍している
しかし鮭延は一切の政治から身をひき、五千石すべてを最上家から
己を慕ってついてきた家臣に分け与えた
また、改易の原因を作ったのを恥じたのか、鮭延家を意図的に断絶させた
彼の死後、その徳を慕った家臣は鮭延寺を建立し、彼をしのんだという

鮭オマケ
鮭延の主君・最上義光はあまりに鮭が好きなので、
「おまえは鮭喰らいたくて海とったろ」と後世言われたらしい
それは本当かどうかわからないが、家臣宛に
「鮭トンクスw 食べてみたけどマジウマー」と手紙を書いているので、好きだったのは確か

759 :人間七七四年:2008/08/26(火) 22:53:43 ID:bFEclT/R
もう俺の中では最上家のイメージが鮭で定着してしまった

760 :人間七七四年:2008/08/26(火) 23:12:57 ID:Gf9PZXeg
そういえばやはり最上から流れてきた山野辺義忠をひらった水戸徳川家
水戸黄門こと水戸光圀も鮭中毒患者、特に鮭皮マニアだったらしい。

761 :人間七七四年:2008/08/27(水) 09:13:35 ID:miiNU08i
シャケが大好きなんてきっと熊さんとも仲良しだったんだろうなw

762 :人間七七四年:2008/08/27(水) 13:39:17 ID:VvhdqxeB
鮭といえば

毛利秀就が江戸城に登城した時、弁当のおかずに鮭の切り身入れてたら、
一緒に登城していた諸侯達が

「やや!その珍しいものは何ですか!?」

と、集まり、一口味見させてくだされと言って来て、秀就も人がいいから
どうぞどうぞと食べさせちゃったら、「おお!これは美味じゃ!」とみんなでパク付きはじめ、最終的に
秀就、自分の分が無くなった。ってお話が。

763 :人間七七四年:2008/08/27(水) 14:04:54 ID:hhWi3jzq
かわいいなw

764 :人間七七四年:2008/08/27(水) 14:45:22 ID:aTdWlCvn
それ新手の虐めじゃないか?w

765 :人間七七四年:2008/08/27(水) 14:55:52 ID:WpZrE5MP
食い気の話から無骨者の話。
関が原の合戦で小早川秀秋が4時間も悩んで、あげく大砲を打ち込まれて決心した、
という話が通説になっているが・・・

一番備を勤めた松野主馬、裏切りのことは極秘ゆえ事前に知らされてはいなかった。
そこに「西軍を攻撃せよ」命令が届く。
彼は激怒して「最初から東軍に属するならともかく、今に至って裏切るなど、そのような軍法はない」
と自軍をガッチリ固め、味方に対して壁をを作った。
小早川軍の動きを封じてしまったのだ。
再三の説得にも応じず時間は過ぎていく。
「主君の命を聞かないことこそ裏切りだ」と言われ、
それならばと自軍を引き連れて戦場を去って行ってしまった。
それでやっと小早川軍は動くことができた。

戦後小早川家を出奔したが田中吉政に3万石で召抱えられ、
晩年は本多能登守から500石を給され道栄と名のり安楽に余生を送る。


766 :人間七七四年:2008/08/27(水) 17:50:13 ID:R12uRgM5
>>762
さてや、秀就。
翌日は自らも食すまいと、鮭一匹を持ち込み候。
それが今日のちゃんちゃん焼きになったそうな――

という逸話はない。

767 :人間七七四年:2008/08/27(水) 20:38:59 ID:PoBnvWko
鮭の関わる話はいいなぁ

768 :人間七七四年:2008/08/28(木) 03:53:46 ID:didd8zyL
ここは良い鮭スレですね

769 :人間七七四年:2008/08/28(木) 04:02:56 ID:O/sOkD9k
長谷堂で家臣一同全力で防衛した最上の強さってのは
義光の良臣に男惚れする性格にもあるんだよな。
こういうところで謀略暗殺義光の汚名が少しでも払拭されるのは素直にうれしい。
義光は漢が漢に惚れる良い主人だけど
あんまり家臣を厚遇しすぎたのか
家臣に禄を与えすぎて最上直轄領少なかったんだよな。

770 :人間七七四年:2008/08/28(木) 06:16:44 ID:w2vsN6NG
蠣崎あたりでイイ話しない?

771 :人間七七四年:2008/08/28(木) 10:02:41 ID:8IRMi1FP
蠣崎季広が息子の天才丸(のちの松前慶広)が
豊臣の直大名になった時に
「わしは長年檜山館の家来だったがお前は晴れて天下の将軍(本当にこう表現してる)の
直臣になったんだな」と喜びながら天才丸(のちのry)に拝礼したことと
はるか未来で現当主が陸軍「上等兵」として人知れず戦死したぐらいしか逸話がない気がする・・・

772 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:22:01 ID:uP49F0F9
蠣崎・・・・ちょっといい話・・・か?
●秀吉に謁見した際、徳川家康に褒められた綿入れをその場で家康に献上し、
 蝦夷支配のための強力なコネを作った。(太閤の後は徳川だという先見性)
●アイヌから「鮭」を詐欺まがいの交換レートで大量に搾取した。
●九戸征伐で、率いたアイヌ部隊の毒矢の威力が凄まじく、諸大名を震えあがらせた。

函館の役所とか図書館ならなにかありそうだが
地元の人、なんかある??



773 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:23:01 ID:N4rc0YbF
秀吉のいい話

天下人となった秀吉は、恩も忘れて織田家をないがしろにしている。
権力って凄いな、と思わせるいい話でした。

774 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:40:00 ID:G4pZJsX6
秀吉は調べれば調べるほど、陰惨な話が多いからなあ。自分の過去を知っている人間への処遇とか。
何でこんな男が天下を取れたのだろう?って思うことがある。

775 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:43:01 ID:fVKmKb7M
そういう自分の本質をうまく包み隠すことができたからじゃないかな

776 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:45:32 ID:K3VUeCKK
蛎崎(松前)は江戸期になってからの政策が無茶苦茶だからな
白人諸国が経営した南アメリカアフリカインド東南アジアと比べても
遜色ないくらいにえぐすぎる

777 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:50:18 ID:KB7FEz5B
>>767
鮭を食わされて具合を悪くした元春の話は?

778 :人間七七四年:2008/08/28(木) 13:53:12 ID:uP49F0F9
松下嘉兵衛が、徳川家で知行300石という 話を聞き、
ただちに遠江に1万3000石を与えた のは、プロパガンダなんだな、多分。



779 :人間七七四年:2008/08/28(木) 14:12:44 ID:CM7rQDHW
鮭か…川でとれるし単調になりやすい戦兵糧の中で
鮭好き武将はかなりいたとおも

780 :人間七七四年:2008/08/28(木) 16:42:42 ID:KB7FEz5B
鮭って九州でとれるの?江の川あたりは遡上するときく。
九州征伐において如水が手料理したということは昔は九州でもとれていたのだろう。



781 :人間七七四年:2008/08/28(木) 19:02:43 ID:6aJtz8L/
肴は鮭のなますを所望いたす!

782 :人間七七四年:2008/08/28(木) 19:23:15 ID:X8Yhpdwu
戦国ちょっといい(鮭の)話

783 :人間七七四年:2008/08/28(木) 20:10:27 ID:7NHpwo7s
>>769
謀略暗殺は別に戦国じゃ当たり前の話なんだけど、何故か義光は冷酷なイメージにされるのね。
どっちかって言うとむしろ、開墾したり水運整備したり寺社保護したり、領民に暖かい政治姿勢だったんだが。
命懸の開墾を計画した家臣に対し、全面的バックアップするとか、
改易後、酒田の商人に二君に仕えずと言わせたりね。

ああそうそう、ウィキによると義光は五千石程度の暮らしだったとか。
五十七万石なのに君主が五千石とかアリエナス

784 :人間七七四年:2008/08/28(木) 20:28:04 ID:pbbWu028
>>783
そんだけ清貧だったからこそ、たまに食べるタンパク質=鮭がうまかったんだろうなw

785 :人間七七四年:2008/08/28(木) 20:35:59 ID:g7rQe0/x
アイヌの人が着てる陣羽織みたいな服って
鮭の皮使ってなかったけか

786 :人間七七四年:2008/08/28(木) 20:47:54 ID:K3VUeCKK
>>785
陣羽織ってのは正装で日本からの綿繍か清の蝦夷錦
普段着は樹皮衣が主で獣皮衣や魚皮衣も地域によっては着てる感じだったはず

787 :人間七七四年:2008/08/28(木) 21:54:14 ID:Z6zoIXZY
>>780
サケは今だと日本海側は福岡県まで、太平洋側は利根川あたりまでのぼってくるよ。
でも高知とか徳島でもたまに獲れる。
北海道だけでカナダの三倍のサケが川に上ってくるらしい・・・
そういえば何年か前、最上川でバカでかいキングサーモンが獲れたことがあったなw

788 :人間七七四年:2008/08/28(木) 23:33:32 ID:CM7rQDHW
鮭って結構なご馳走だったんだな
勉強になった

789 :人間七七四年:2008/08/29(金) 00:54:52 ID:9D2T8Gri
>>780
福岡に鮭神社があるらしい

790 :人間七七四年:2008/08/29(金) 11:26:04 ID:UMiFod8h
鮭の皮を靴にしていたそうだ
チェプケリというらしい

791 :人間七七四年:2008/08/29(金) 11:38:19 ID:Mq6scP6Q
>>790
美味しそうな靴ですな


792 :人間七七四年:2008/08/29(金) 12:58:48 ID:91xkn9dO
>>791
塩味もしみてて

793 :人間七七四年:2008/08/29(金) 14:24:04 ID:LZQYPXp2
ふと思ったが、「戦国ちょっと悪い話」のスレも、立てたほうがいいかもな。

794 :久秀:2008/08/29(金) 15:52:08 ID:4wWGFuRJ
私は以前、長慶様に冬康様が謀反を企てた時、凄く辛い報告ではあるが、うそ偽りなく報告しました。

795 :人間七七四年:2008/08/29(金) 17:39:04 ID:bV7HMKDq
>>793
戦国DQN話のほうがいいかもね

796 :人間七七四年:2008/08/29(金) 19:13:51 ID:GiJK2fpH
>>793

立てて、立てて!

797 :人間七七四年:2008/08/29(金) 19:30:11 ID:WNSJqYAG
どういう需要に対応してるんだそのスレは

798 :人間七七四年:2008/08/29(金) 20:00:42 ID:LZQYPXp2
>>797
このスレでたまに、戦国大名のあくどい所業書く人いるじゃん。そう言う人用にあったほうがいいかなあと。

799 :人間七七四年:2008/08/29(金) 20:19:34 ID:LZQYPXp2
そんなわけで立ててみた

戦国ちょっと悪い話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/

800 :人間七七四年:2008/08/29(金) 20:25:21 ID:GiJK2fpH
>>799

乙です。

801 :人間七七四年:2008/08/29(金) 23:08:23 ID:4VQ44jZH
今更だが逸話スレにしたらいい話だったんじゃないのか?

802 :人間七七四年:2008/08/29(金) 23:15:16 ID:I9XL9r+p
>>801
黙ってもらおうか

803 :人間七七四年:2008/08/30(土) 02:02:43 ID:bQqgPH4s
800にして核心を

804 :人間七七四年:2008/08/30(土) 02:04:45 ID:YOJDVcFh
>>801
逸話スレだと、このスレとかぶっちゃうんじゃね?

805 :人間七七四年:2008/08/30(土) 02:31:37 ID:ovwOyXhG
これが必要悪というヤツですか
でも史実は史実な訳だしまあいいんじゃないですかね

806 :人間七七四年:2008/08/30(土) 10:32:11 ID:g1VXCmJV
徳川家もしくは徳川家臣のいい話があったら聞きたい

807 :人間七七四年:2008/08/30(土) 12:18:38 ID:YOJDVcFh
>>806
過去スレにいくつか出てるじゃん。

808 :人間七七四年:2008/08/30(土) 12:51:56 ID:k13OsBMO
>>806
本多忠勝が娘婿の真田信之が父と弟の助命嘆願した時、強く取りなしたとかなんとか。
大久保長安は、武田家臣だった時の恩を忘れず、信玄の娘の信松院(松姫)の暮らしを支援したそうな。

809 :人間七七四年:2008/08/30(土) 16:51:56 ID:mtJEhULH
だがそれが大久保が謀反を企んでいたという口実の一つとなって一族が滅ぼされたという。

810 :人間七七四年:2008/08/30(土) 18:05:59 ID:pc+O0ghU
キモヲタ長政一択だろjk

811 :人間七七四年:2008/08/30(土) 18:07:05 ID:pc+O0ghU
誤爆っした

812 :人間七七四年:2008/08/30(土) 18:43:09 ID:tNzXIThI
何の話題か何となく把握したw

813 :人間七七四年:2008/08/30(土) 18:52:21 ID:k13OsBMO
>>809
キレイに終わらせてるんだから、いらないオチつけんなw

814 :人間七七四年:2008/08/31(日) 09:53:11 ID:O/WsQd19
謀略家と言われる連中は領民にとっては名君ってケース結構多い気がするな。

815 :人間七七四年:2008/08/31(日) 13:49:42 ID:AkpVdDD0
文亀年間の頃、九条政基がその所領である、和泉国、日根庄に下向していた頃の話。

和泉守護と九条家は、その領地の境界を争っていた。ある時、日根庄内の入山田村の住人二人が、
和泉守護細川氏の家臣によって拉致されると言う事件が起こった。

政基はすぐに、家臣の塩野兵庫助を、守護の滞在する堺へと派遣した。
くどくどと言い訳をする守護側に、塩野はこう言い放った

「所領問題に気に入らないことがあるのなら、それは百姓の責任ではない、和泉細川家と我が九条家の問題である。
九条家の家来である私が今ここにいる。私を拘束し、かわりに百姓を開放しなさい!」

同じ頃京では、政基の工作により、細川の本家である京兆家から「九条家は報復として、和泉細川家の
係累を人質に取るといい。我々も協力する。」との言質を取った。和泉細川家は追い込まれた。

結局、守護側は何も出来ず、拉致した百姓を開放した。

当時は公家であっても、地下の領民のためにすら、これだけのことをした、と言うお話。

816 :人間七七四年:2008/08/31(日) 14:39:30 ID:T0WBPrV4
( ;∀;) イイハナシダナー

817 :人間七七四年:2008/08/31(日) 16:19:37 ID:kvfRK2ya
九州や四国や利根川以南のは鮭ではなくて
サクラマス(山女の降海型)かサツキマス(アマゴの降海型)
じゃなかったのか?
富山の鱒の鮨なんかはサクラマスだし
長良川名物はサツキマスだし

818 :人間七七四年:2008/08/31(日) 18:27:39 ID:GWTH4TzR
>>814
インテリだからむしろ
民を大事にするメリットを意識している、ということなのかな
当てずっぽうだけど

>>815
ここまで体も張って、面倒な立ち回りもするなんて・・・イイハナシダナー

819 :人間七七四年:2008/08/31(日) 19:06:12 ID:vgn8GgQ/
↓え? 公家って画像やzipの催促以外にも仕事してたの?と思ったやつ



820 :人間七七四年:2008/08/31(日) 20:15:53 ID:hCXKI+sJ
給食で、自分は豆パンは好きじゃないけど、だからといって大嫌いな細川くんには絶対あげたくない、みたいな。
そんな面子の問題。

821 :人間七七四年:2008/08/31(日) 22:07:17 ID:bOd7dXa1
豆パンうまいじゃん

822 :人間七七四年:2008/08/31(日) 22:29:11 ID:AkpVdDD0
ちなみにこの後、守護方が入山田村に襲撃をかけるという噂が立ったときの、九条政基の言葉

「守護が私に対して武力で攻撃すれば、入山田を含む九条家由緒の五ヶ村が、昔のように九条家領に
なってしまうことは目に見えているではないか。

私とともに討ち死にする者たちには気の毒だが、私が討ち死にこそ、幕府の処断によって九条家領が
回復される絶好の機会となる。私はむしろ、それを望んでいると言っていいくらいだ。

このようなことは、馬鹿でもわかる話だ。」

823 :人間七七四年:2008/09/01(月) 01:10:44 ID:OqZOmtq7
寺を守る話

永禄四年(1561)、武田信玄が上州に侵入してきた。
当地の大寺である長年寺は戦乱に巻き込まれることを恐れ、僧、受連は信玄から、
「予の軍勢がこの寺で略奪や暴力、破壊行為などの狼藉を行うことを禁止する」との制札を手に入れた。

が、戦乱は長引き、長年寺周辺も無事ではすまない状況になってきた。
寺に住んでいた200人あまりの僧俗に、受連は「このままでは危険である。皆、避難するように」と言った。
僧の一人が「しかし、我々がここから避難してしまえば、この寺は軍勢にどうされるか…」

受連「私が、守るよ」

彼は一人この寺に残った。戦禍は、たちまち長年寺に襲い掛かってきた。武田の足軽たちが
あるいは食物を、あるいは資材を、あるいは金銭を奪いに、長年寺に押しかけてきたのだ、そのたびに
受連は一人門前に立ち、戦場で荒くれている軍兵を前に、制札を掲げた。

「ここは保護された場所である!」

ある時は刀で脅され、ある時は暴行を受け、ある時は着ているものを身包みはがされたこともあったと言う。

やがて上州の情勢が落ち着く。避難していたものたちが、長年寺に帰ってきた。
そこには、

かわらぬ長年寺の姿と、痩せこけ、体中に傷を負いながらも、門前に立ち彼らを迎え入れる、受連の笑顔があった。

824 :人間七七四年:2008/09/01(月) 01:34:43 ID:1hH+R0Zj
これはいい話だ

825 :人間七七四年:2008/09/01(月) 02:09:49 ID:A5W0CLpW
ホントにいいボウズは違うね

826 :人間七七四年:2008/09/01(月) 02:21:36 ID:9kfSACql
やべえ、めっちゃいい話だ

827 :人間七七四年:2008/09/01(月) 02:27:11 ID:+Ags8dIv
暴行ってのは掘られたと考えていいのか?

828 :人間七七四年:2008/09/01(月) 06:41:55 ID:t8ppktj7
すぐに性的なモノネタにする人って
うんこうんこしょんべんじゃーで大爆笑してる小学生に見えるから
そう思っちゃうのは個人の自由だし生まれ持った発想のくせとしてしょうがないとしても
人前ではそういうこと言わないほうがいいとおもうよ?
コメディアンでもない限りメリットのないバカにされかたで笑われるだろうし

829 :人間七七四年:2008/09/01(月) 13:53:52 ID:ridcVTZ3
何で怒ってんのこの人? 女なの?

830 :人間七七四年:2008/09/01(月) 14:04:23 ID:B120HDp+
逆だろ
腐女子のアホをバカにしたかったんだろ

831 :人間七七四年:2008/09/01(月) 14:23:41 ID:6EdMc/94
拙者女だけどウンコネタ好きでござる

832 :フリーザ様 ◆LYPInvIoiQ :2008/09/01(月) 17:13:21 ID:rPSxkFHq
>>818
敵味方の区別がはっきりしてるんでしょう。
ある種ボーダー型の人格障害っぽい人もいるが

833 :人間七七四年:2008/09/01(月) 22:14:37 ID:fAL4m92t
ちょっと流れが悪くなったから、鮭を差し入れるお!

最上家臣・北楯大学が大堰を工事していたときの話。
ある日、工事作業員が大騒ぎしているのをききつけ、大学が現場に駆けつけたところ、
金銀のびっしりつまった壷があった。
どうしようかとまどう彼らに大学は言った。
「おまえたちの心がけがいいから、こういうこともあるのだな。とっておけ。
そういえばこのあたりの城主が、落城のときに埋蔵金を残したらしいぞ?」
皆は大慌てであたりを掘り進んだところ、次々を埋蔵金が出てくる。
こうした幸運もあってか、工事は予定よりずっと早く終わった。

実はこの壷…偶然ではない。夜中に大学と家臣たちが現場にこっそり埋めて、
わざと見つかるようにしていたのだった。
大学の親切心と機転のおはなし。


ちなみに大学は最上側で鮭がとれると、最上義光に献上していました。
義光はとても喜んで、彼にもいろいろプレゼントをあげたそうです。
義光が大学を大事にしたのは確かですが、さすがに鮭のせいではないかなと…たぶん

834 :人間七七四年:2008/09/01(月) 22:35:20 ID:hbA9Q5Os
鮭!鮭!

835 :人間七七四年:2008/09/01(月) 23:46:30 ID:bHiIscEa
鮭話は和むな
鮭は日本を平和にする魚だな

836 :人間七七四年:2008/09/02(火) 00:06:21 ID:gUjOvRnb
>>817
鮭とサクラマスは重複して分布してるよ
全部鮭の仲間だけどね

鮭=シロザケは北海道から太平洋側は利根川まで、日本海側は福岡まで
サクラマスは北海道から太平洋側は神奈川まで、日本海側全域、九州南部まで
サツキマスは太平洋側神奈川から大分の一部まで

837 :人間七七四年:2008/09/02(火) 00:33:32 ID:hGBAUmey
酒の話に劣らずおおいのね>鮭の話

838 :人間七七四年:2008/09/02(火) 09:00:12 ID:V63xJhSo
最上家は鮭で保たれていたのか


839 :人間七七四年:2008/09/02(火) 09:10:30 ID:5cxj1FlC
避けがたい魅力があったんだろうな・・・・
さーもんあらん。

840 :人間七七四年:2008/09/02(火) 10:12:47 ID:zu2BqwZz
誰か>>839をひったてい!

841 :人間七七四年:2008/09/02(火) 13:06:49 ID:9BS4l9y+
さーもんどうむようだ!
>>839よ、おとなしくお縄を頂戴しろ!

842 :人間七七四年:2008/09/02(火) 14:28:03 ID:fKGuDll/
>>839>>841に朝敵の宣旨が下されました

843 :人間七七四年:2008/09/02(火) 18:34:09 ID:rzFcpMRr
いくらなんでもサケの駄洒落だけで朝敵にするのはどうかと思うのだが・・

844 :人間七七四年:2008/09/02(火) 19:40:33 ID:5guRsVTz
お前らふじゃけるのもいい加減にしろ

845 :人間七七四年:2008/09/02(火) 20:15:00 ID:crBXjLyk
いやいや、鮭となればしゃけては通れん道なるぞ

846 :人間七七四年:2008/09/02(火) 20:18:27 ID:K8F46CFm
なんか、最上家って今まで思ってたイメージより
ずっといい感じだな、なごむわ


847 :人間七七四年:2008/09/02(火) 21:02:02 ID:IZkUsmRE
ちなみに義光の鮭中毒は山形市公認です
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=66153

848 :人間七七四年:2008/09/03(水) 02:32:22 ID:ih8VIv8T
明応七年八月、今の静岡県南方海中を震源とする大地震が起こった。

推定されるマグニチュードは8.2〜8.4.阪神、淡路大震災の、数十倍の規模であった。
この地震は房総半島から東海、紀伊半島にいたる地域に、大津波を起こした。
伊豆半島も大きな被害を受けた。が、伊豆を預かる堀越公方の政庁は、この災害になんら具体的な
救済を行わなかった。伊豆の地には多くの死体が放置され、被災し、苦しむ人々が溢れた。

その時である

海上に、多くの船舶が現れた。まっすぐこちらに向かってくる。
「海賊か?」
住民たちは逃げようとした。しかしどこに?堀越公方の政庁は、自分たちを助けてくれない。
そうこうしているうちに、船は接岸し、侍たちが上陸してきた。
たくさんの医師を伴って。

侍たちは早速炊き出しをし、医師たちは被災した家々を回り、病人、けが人の治療をし、薬を調合した。
多くの命が、救われた。

この船を率いてきた大将も、いっしょにかゆを配り、病人を看病した。
この男の名は、伊勢宗瑞。後に北条早雲と呼ばれる武将である。

849 :人間七七四年:2008/09/03(水) 03:12:18 ID:RGznkm6T
阪神の際の山口組を真っ先に思い出した俺は…

850 :人間七七四年:2008/09/03(水) 05:29:15 ID:eT2pQ3oU


851 :人間七七四年:2008/09/03(水) 06:03:53 ID:KMlxUZtq
>>848は信憑性はないんだが、なんか人の弱みに付け入る創価学会を連想した。
奴らお見舞いとか大好きだからなw

852 :人間七七四年:2008/09/03(水) 06:52:09 ID:4UlUAbTe
なんで素直に好意でやったと思えないのか・・・w

853 :人間七七四年:2008/09/03(水) 06:54:22 ID:PrbyFGJi
だって早雲だぜ?w

854 :人間七七四年:2008/09/03(水) 09:25:39 ID:pZnGoihf
目的は人身掌握にあるだろが、それの何が悪いんだい?
正しいありかたじゃないの

855 :人間七七四年:2008/09/03(水) 09:56:54 ID:SJtoyB9h
人々は救われ早雲にも実利がある

最高の形だよな。
これが前田利家なら救援物資売りに来るぜ

856 :人間七七四年:2008/09/03(水) 10:11:32 ID:apumvUhL
前田叩きの流れか

857 :人間七七四年:2008/09/03(水) 10:15:16 ID:7BYsnQNV
人心は掌握してもいいが
人身はあまり掌握しすぎない方がいいw

まあ、徳川家康をして、領民が前領主の徳を慕うので治めにくい、と言わせた後北条の初代だし、そういう逸話もスレタイに合ってるからいいじゃん


858 :人間七七四年:2008/09/03(水) 12:53:17 ID:RGznkm6T
こういう話を真っ直ぐに受け止められないほど
俺たち汚れちまったのかなぁ




とか言ってみる

859 :人間七七四年:2008/09/03(水) 13:28:20 ID:W3hoAJfH
薄汚れた俺たちに残された、たった一つの真実は鮭

860 :人間七七四年:2008/09/03(水) 16:37:08 ID:NVGcmZPt
>>848
なんか泣けてきた

861 :人間七七四年:2008/09/03(水) 23:03:44 ID:7Yy5uT8T
堀越公方って存在意義皆無だな。

862 :人間七七四年:2008/09/04(木) 05:40:02 ID:WSPeQpVf
しかし茶々丸はいまやヒロイン31人の漫画のヒロインの一人に・・・

863 :人間七七四年:2008/09/04(木) 10:11:25 ID:1NHg0sgh
>>447
遅レスだけど、側室持たなかったのは立場的に無理だったからでは

・隆元
大内義隆の養女という当時毛利が臣従していた大内家から嫁をもらってる以上、側室なんて持てない
・元春
講談ベースに考えるなら、熊谷家との絆を考えた打算でブスを嫁にしてるから、
わざわざ側室を迎えて熊谷家との仲を微妙になんかしない
・隆景
二つに別れた小早川家を統一する為の結婚だったから、側室なんて持てない

まあそれを抜きにしても嫁さんを大事にしてるのは事実だろうけど

864 :人間七七四年:2008/09/04(木) 14:17:57 ID:6PKkhzKZ
隆景の場合は微妙だけどなあ。

嫁さんに会う時は常に正装して、主君に対するかの如き振る舞いだったとか聞くぜ。
そんなよそよそしい夫婦関係なら、そら子の一人も出来んわ。

865 :人間七七四年:2008/09/04(木) 15:16:45 ID:+zwxPN6T
>>863
元春の嫁さんは、本当はブスじゃなかったんだが・・・・・
後家さんになってしまって、親父が心配していたところへ元春の求婚で、感謝感激した。
というんであって、時代が経つにつれていつのまにやらブスということになってしまった。

866 :人間七七四年:2008/09/04(木) 16:28:51 ID:+y/K+54o
未亡人か・・・・・・。













ゴクリ

867 :人間七七四年:2008/09/04(木) 16:28:57 ID:1NHg0sgh
>>865
だから講談ベースに考えるなら、と前置きした

868 :人間七七四年:2008/09/04(木) 16:50:57 ID:8NBH9hcu
元就は他の女にもどんどんはらませる絶倫だったけどな。

869 :人間七七四年:2008/09/04(木) 22:55:08 ID:duZbFBCJ
そんな父親を見て何か思うところでもあったんだろうな

870 :人間七七四年:2008/09/05(金) 08:44:32 ID:vp7tvVLA
人数より、質がよけりゃなぁ。子供とか孫とか、早死にしすぎ。
結果、関ヶ原で中途半端なことして、アレだからなぁ。

871 :人間七七四年:2008/09/05(金) 10:08:37 ID:YaJgxsYk
能力的には子の質はかなり良かったと思うがな。
元清が隆景と同時期に死んじゃわなければなぁ。

872 :人間七七四年:2008/09/05(金) 12:01:37 ID:5JzlzxVs
ただ元就に関しては正室が亡くなるまでは側室はいない
もっともそれが性格的になのか、たかが1国人に過ぎなかったゆえなのかは不明

873 :人間七七四年:2008/09/05(金) 15:05:24 ID:pkMeJIpz
海老をすくい上げた話

天正十四年三月
徳川家康と北条氏政・氏直親子が伊豆にて、同盟締結のための会見を行った。
一同が集まって先ずは酒宴、と言う時、家康の宿老である酒井忠次、「余興に」と、
お得意の踊り、「海老すくい」を舞い始めた。
これは今で言う泥鰌すくいのようなもので、相当滑稽な踊りだったそうな。
これに一座大爆笑。その和やかな空気のまま。徳川と北条の同盟は、無事締結された。

締結直後に、北条側から酒井に向かって一言

「立派な海老がすくえましたなあ」

874 :人間七七四年:2008/09/05(金) 15:21:22 ID:IYcLe+69
自分で言うかww

その後徳川家は北条という海老を捨て
豊臣という鯛につきましたとさ

875 :人間七七四年:2008/09/05(金) 15:35:45 ID:HuQOVOej
最後の台詞だけ目に入って下ネタかと思った…

876 :人間七七四年:2008/09/05(金) 15:40:59 ID:pkMeJIpz
>>874
海老=同盟締結の事だよ。
ついでに言えばこの同盟のおかげで、家康は小牧長久手の対決に至るための、後顧の憂いが無くなったし、
北条も北関東戦略に集中できたし、と、双方に大きなメリットがあった。

あと、家康は関東征伐のぎりぎりの段階まで、北条に豊臣につくように説得しているわけで、しかも
氏直は、命を助けられ、早死にして果たせなかったが、「家康の婿」として、豊臣政権化で大名として
復活するはずだった。

この同盟は、かなり強固だったと言っていい。

877 :人間七七四年:2008/09/05(金) 15:59:56 ID:IYcLe+69
だから俺と同盟組めてよかったですねってことだろ?

878 :人間七七四年:2008/09/05(金) 16:11:03 ID:pkMeJIpz
>>877
んーっと、きちんと説明するとね?

徳川と北条はそれまで甲斐や信州をめぐって敵対関係にあり、実際に戦闘も行われているわけ。
それが色々な情勢の変化で、和平、同盟、と言う方向に行ったのだけど、ちょっと前まで戦火を交えていた
両家だから、当然反対派も存在し、会見の進め方次第ではどうなるか解らない、って状況でもあったわけ。

そこで忠次の海老すくいで、会談の雰囲気が良くなって、すんなりと同盟締結に持って行けた。

それについて北条側からも、ある意味感謝の念をこめて発言されたのが、
「立派な海老がすくえましたなあ」
って言葉なのよ。

879 :人間七七四年:2008/09/05(金) 16:40:03 ID:5nKgkDIO
なんかこの流れ凄く歯がゆいw
何か言いたいところだけど言って良スレが荒れるのはなんとしても避けたい。

880 :人間七七四年:2008/09/05(金) 17:09:44 ID:VgJpGR9x
ちょっと香ばしいよなw

881 :人間七七四年:2008/09/05(金) 17:18:00 ID:R1QvOiAs
香ばしい香りがしたので鮭でも焼いてるのかと思って飛んできたら違った・・・
ちぇっ

882 :人間七七四年:2008/09/05(金) 17:42:47 ID:HRd83ObP
「せっかくのおいしい海老を焼きすぎで黒焦げにしちゃいました」みたいな流れだね。

883 :人間七七四年:2008/09/05(金) 18:23:25 ID:GgMwgVoX
土佐のこうもりいやで出来人長曾我部元親
土佐人たちの大酒のみっぷりに苦慮しついに禁酒法発令
皆不満たらたらであるもののやむなくお酒は控えることに

所がる日元親自らこっそり酒を飲んでいるのを福留さんが目撃
ここぞとばかりに自ら作った禁酒法を自ら破ってしまった殿を責めまくり
元親平謝りに謝って禁酒法の条項を撤廃しましたとさめでたしめでたし

土佐人じゃないのに幕末の豊信は鯨海酔侯
なんだ?血筋じゃなくて風土が酒好きに影響しているのか?

884 :人間七七四年:2008/09/05(金) 20:55:01 ID:twwV9+mc
日本語下手すぎだろw

885 :人間七七四年:2008/09/05(金) 22:14:39 ID:ri8Gfz10
>>884
書いた本人が土佐人で酔いながら書いたんだろww

886 :人間七七四年:2008/09/05(金) 23:06:01 ID:rgTrvICx
土佐人は陽気で酒好きだからな
あそこに住んでたら、周りにあてられてついつい飲みたくなるだろうな

887 :人間七七四年:2008/09/06(土) 16:52:54 ID:y6tdixCV
板倉勝重が、徳川幕府の初代京都所司代に就任した時、最初に出した触書

一、町人に申し分があれば、書きたてて目安箱に入れること。(市民の意思や要求を把握する)
一、町人に訴訟したい事があれば、板倉家中のものに頼む必要はない。直接申し出る事。(直訴を認める)
一、訴訟、裁判において、他の有力者に仲介、斡旋を頼むようなことがあれば、理非にかかわらず負けとする。(裁判の公平性を確保する)
一、所司代の者だと言っても、町人の売り物を掛買い(値引き購入)させてはならない。(官僚としての規律を確保する)
一、法は町触れによってはじめて執行される。武家奉公人が所司代の命令だなどと言ってきたときは、所司代に通報する事。(法公開の原則)

これは板倉の治世の間ほぼ守られ、さらに彼に続く京都所司代の、基本方針となり、さらには幕府における
江戸、大阪などの都市行政においても、これが原則とされた。

彼が名所司代と京と市民からたたえられたのも、裁判においての手腕だけでなく、このような、自らを律し、
市民の話を聞き、公平であろうとする姿勢があったため、だったわけだ。

888 :人間七七四年:2008/09/07(日) 00:07:33 ID:BT+LsTAa
秀吉が太閤と呼ばれた頃の事

秀吉が風呂に入っていると、蜂屋伯耆守がやってきて、お背中を流しましょうと言う。
それではと秀吉、やらせてみると、蜂屋、こう節をつけながら、リズミカルに背中をこすり始めた

「知行くれい〜 知行くれい〜」

そんな感じで背中を流してもらった秀吉、蜂屋に向って「今度はわしがお前の背中を流してやろう」
そんな、殿下に、勿体無い、と断るも、無理やり服を脱がせて、同じように節をつけながら背中をこすり始める秀吉

「奉公せい!奉公せい!奉公せい!」

蜂屋伯耆守、すっかり恐縮したそうな。

889 :人間七七四年:2008/09/07(日) 00:12:24 ID:QHHB6OoT
子供のとんち話みたいで好きだw


890 :人間七七四年:2008/09/07(日) 01:01:23 ID:BT+LsTAa
なんかいい話だったので


78 名前: 四十代(東京都)[] 投稿日:2008/09/06(土) 18:35:16.05 ID:kb9fMQ7A0
「巧すぎる絵師」の宿命としての真田幸村のトラブルとは対照的に、こんな心温まるエピソードも
残っている。
 「花の慶次」に登場する徳川家康の外見が勝新太郎をモデルにしていることは有名であるが、
あるとき知り合いの演歌歌手の誕生パーティーに原が出席したときのこと。原が隅で料理を
つついていると、ホールの向こう端から全身白のスーツ姿にサングラスをかけた小太りの男が
つかつかと歩み寄ってくるのが見えた。誰あろう、その恐ろしげな風貌の人物こそ、かの勝新
その人であった。
 勝は原の目の前に立つと、原の胸を、どんとひと突きした。「―――殴られる。」原はそのとき、
そう直感したという。原は勝に無断で、肖像を拝借して作中に徳川家康を登場させていた。真田
幸村の一件が頭をよぎる。しかし。勝はサングラスをはずし、ぐい、と原に顔を寄せると満面の
笑みを浮かべこう言った。「おめえ、絵が巧いんだな。」それだけ言うと勝は手を振りつつ去って
いったという。
 数ヶ月して、原のオフィスに一本の見事な長唄三味線が届いた。紫檀製の胴には見事な綾文
(鑿で内面に彫られる模様細工)、既に昨今では珍しい本皮張りに、象牙の撥(ばち)。時価に
して数百万になろうかという逸品である。それは、三味線職人の次男坊である勝新太郎ならで
はの、原の作画に対する素直な評価、粋な贈り物であった。原は以後この三味線を何度も
作品中に登場させ、前田慶次に弾かせている。

891 :人間七七四年:2008/09/07(日) 01:03:43 ID:332D1d3M
へーへーへー

892 :人間七七四年:2008/09/07(日) 01:32:08 ID:wus4eEpj
ガチでいい話だな〜

893 :人間七七四年:2008/09/07(日) 03:22:35 ID:0UV3iztH
ほう、味なことをしおって

894 :人間七七四年:2008/09/07(日) 06:28:25 ID:OXsLOA7x
白スーツにグラサンで、いっしゅん梶原一騎の顔で脳内再生されたが
カジワラ先生だったらこんないい話で終わらないだろう

895 :人間七七四年:2008/09/07(日) 09:39:43 ID:6w8L4YxR
秀吉が天下統一したしばらく後のこと
秀吉が大事にしていた鶴が
世話係の不注意で逃げてしまった

世話係がおそるおそる報告すると
最初は顔色を変え、しばらくは
無言の秀吉だったが
やがて静かに問いかけた

秀吉「あの鶴は唐(から)まで逃げたか?」
世話係「いえ…いくら何でもそこまでは…」
秀吉「なら良い、日の本の中ならどこでも俺の領地だ。領地の中にいるのなら、お前は逃がしたわけではない」

そいうって秀吉は世話係を咎めなかった。

秀長や利休がまだ健在の頃の話らしい。

896 :人間七七四年:2008/09/07(日) 11:48:35 ID:EqpUQK8E
>>895
良いときの秀吉でよかった

897 :人間七七四年:2008/09/07(日) 13:13:59 ID:n9UNGfEW
そいうって→そういって

898 :人間七七四年:2008/09/07(日) 13:48:46 ID:BT+LsTAa
応仁の乱で、西軍から東軍に寝返り、越前守護となった朝倉孝景が、甲斐八郎率いる加賀の一向宗と
戦争になったときのエピソード

孝景、陣中にいた会下僧にこう尋ねた
「戦争では、敵も八幡大菩薩、味方も八幡大菩薩に武運長久を祈るわけだ。その一念は
敵味方同じであろう。だが、その御利生は、どういう事に成るのであろうか?」

僧曰く
「それは、こう考えると宜しいでしょう。味方には現世安穏、敵には後生善処。」

899 :人間七七四年:2008/09/07(日) 20:22:58 ID:lVs96Nkf
>>34
無粋な突っ込みだが・・・

無類の強さって言っても例えばボプサップに軽くぼこられる程度の奴だよ島津義弘なんて。
武蔵にすら勝てないし、別に言うほど強くないよ。

厨はどうも戦国最強って言うと本人が強いとかと勘違いするんだよな。
単に島津義弘軍が強かったってだけだからな。


900 :人間七七四年:2008/09/07(日) 20:35:47 ID:BT+LsTAa
>>899
きみは驚くほど勘違いをしている。

901 :人間七七四年:2008/09/07(日) 21:24:34 ID:xkXUUxeZ
半年以上前に書き込まれたレスに、恐ろしく的外れな突っ込みをして、
厨とか見下して・・・。

可哀想な子。

902 :人間七七四年:2008/09/07(日) 22:07:29 ID:IPQCoSaY
無粋が過ぎる

903 :人間七七四年:2008/09/07(日) 22:12:29 ID:VsVl7qyR
>>899
うわぁ、これがゆとりか

904 :人間七七四年:2008/09/07(日) 22:30:17 ID:OXsLOA7x
ゆとりってか、中二病満開やね

905 :人間七七四年:2008/09/07(日) 23:21:00 ID:gwTNWcmY
この間の香ばしい子かなw

906 :人間七七四年:2008/09/07(日) 23:35:22 ID:BT+LsTAa
細川忠興が隠居した頃のお話。

新たに当主となった忠利に小倉城をゆずった忠興は、中津城を隠居場にした。
さて、いざ隠居してみると、家臣たちがぱったりと挨拶に来ない。確かに静かに余生を過ごしたいといった。
だがこれはどういうことだ!

「忠利!まさかお前が、わしのところに家臣が挨拶行かないようにと、言っているのではないだろうな!?」

こんな書状をもらった忠利、当惑し、家臣に「とにかく大殿様にご機嫌伺いするように!」と大慌てで要請
次の日から中津城には、ひっきりなしに家臣達が尋ねてきた。その、あまりの多さに忠興も閉口。

「誰がこんなに尋ねて来いと言った!?用のある人間だけ来ればいいのだ!」

と、やっぱり立腹。困った爺様である。
しかし、そのしばらく後に

「この間はわがままを言ってすまなかった。後悔している。」と、反省文を送ってきたりもした。
案外可愛げもある爺様であった。

907 :人間七七四年:2008/09/07(日) 23:38:06 ID:ttChlFjA
>>906
これはツンデレといえばいいのか、DQNといえばいいのかw

908 :人間七七四年:2008/09/08(月) 02:07:11 ID:hT8ofVgf
>>899
とりあえずさ。義弘本人がどれだけ強かったとか弱かったとか分からないよね?
家康とか狸親父なイメージだけど、武芸結構納めてるし。

義弘も初陣で一騎討ち制したりしてるし、名門武家の子として当然幼少時から鍛えてたわけだろうし、それなり以上に強かったと思うよ。
大体、精鋭って呼ばれる軍団の大将はある程度強くないと兵士に舐められる恐れもあるよね。

だから少なくとも君よりかはずっと強かったと思うよ。義弘。

909 :人間七七四年:2008/09/08(月) 02:10:20 ID:efwHKosz
>>908
必要以上に付き合うのも同類だぞ?

910 :人間七七四年:2008/09/08(月) 02:12:53 ID:1fJ5tlZ4
>>906
可愛いなw

>>908
もういいんだ・・・もういいんだよ

911 :人間七七四年:2008/09/08(月) 03:53:24 ID:UTKCLwEi
>>908
俺より強いってのは同意
でも黄色人種は黒人より武においては劣る
これ現実

なんかまともな反論せずにふぁびょってるやつが多いが、

>無類の強さを誇った島津義弘も
>晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。

そういう意味での無類の強さがあるとか本気で思い込んでいたのか?
だとしたらアホすぎる。ゆとりとかいうレベルじゃない。
バカは戦国板から出て行け。

912 :人間七七四年:2008/09/08(月) 04:05:24 ID:1fJ5tlZ4
>>911
それただの揚げ足取りじゃん・・・
半年前の奴にレスするほどの事じゃ無いじゃん・・・

あと黄色人種が黒人に武において劣る「これ現実」の根拠を
まさかボクシングとかその辺のものを例示するんじゃないだろうね・・・

戦国板がお前みたいな奴ばっかりになったら自然と出て行くよ俺は・・・

913 :人間七七四年:2008/09/08(月) 07:12:17 ID:PolMUqli
ちょっと素手でボコられただけで心が折れてしまうボブ・サップや、判定勝ちしかできない武蔵みたいなヘタレが
人殺してる人らの胆力に勝てると思えないけどなあ
殺し合いで勝てるかどうかって精神的な部分も重要だろ

914 :人間七七四年:2008/09/08(月) 08:32:32 ID:36gXWCE1
というかスレ違いもはなはなだしい。
誰が強い弱い議論は別スレでやってくれ。

915 :人間七七四年:2008/09/08(月) 11:53:52 ID:Lki0zbnp
鳥居元忠と鈴木(雑賀)孫一

関が原の直前、伏見城上代・鳥居元忠は甲賀者を駆使して三成の動向を調べ、
逐一家康に報告した。
三成が挙兵し、伏見城は大軍に囲まれて孤立し、元忠は壮絶な討ち死にを遂げた。
この時、元忠を撃ち取ったのが雑賀党の首領、孫一だった。
実は鳥居家は鈴木家とは同族で、昔からの顔なじみだった。
「どうせ死ぬなら孫一に手柄を立てさせてやろう」
死を覚悟してなお配慮が働いたと思われる。
元忠の子・忠政は父の功により24万石の大名に引き立てられた。



916 :人間七七四年:2008/09/08(月) 19:15:24 ID:NLKdfSJs
>>915
加増されて二十万石超えたのはだいぶ後年のようだけど、
それでも譜代ということを考えると石高的に非常に厚遇されているね。

元忠は家康の人質時代からずっと側近くで仕え続けてきたし、
家康にとっては忘れられない家臣なんだろうね。

そういえば、駿府の人質時代、鷹が飼えない家康が
トンビ?か何かを鷹の代用として飼っていたら、
元忠の父親が家康をしかりつけ、大将の心構えを説いた、
ていう逸話なかったっけ?






917 :たられば君:2008/09/08(月) 21:38:07 ID:qsmNJ5vO
その孫一や潰した最上家の舎弟を拾い上げて水戸家に付けるのは
おもしろい巡り合わせだよね

918 :人間七七四年:2008/09/08(月) 22:45:28 ID:UTKCLwEi
>>913
でもその二人に勝てる日本人が一体何人いた?
上には上がいるってことで、島津の肉体的な強さなんて無類とかいうほどのことでもないってこと。
これが残念ながら現実なわけよ。

だってここにいる誰一人お前がバカにするサップや武蔵に勝てないし、島津が素手で二人のどちらかに勝てる可能性は現実的に0に近い。
将軍と格闘家の違いくらいわかるだろ。
将軍としては日本有数でも、

>無類の強さを誇った島津義弘も
>晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。

それはこういう意味の無類の強さではないわけ。
その程度もわかんないんて本当に程度の低い住人だな。

919 :人間七七四年:2008/09/08(月) 22:47:17 ID:efwHKosz
NGID、っと。

920 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:00:23 ID:UTKCLwEi
>>919
ここはお前の日記じゃねえから独り言はチラシの裏にでも書いとけヴォケ

921 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:02:10 ID:226Wq/+l
こんなときこそ鮭が欲しいなあ

922 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:04:30 ID:j53qBNH8
一年と半年間、ちっとはおかしな雰囲気になったこともあったけど、
スレの総意で優しく温めていこう寛容にいこうっていう空気をみんなでこつこつ作ってきたのに・・・

923 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:08:34 ID:HvZGQC+X
ん?なんかいるのか?
俺にはさっぱり完全に見えない。

924 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:12:11 ID:226Wq/+l
オレには鮭が見える

925 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:12:41 ID:3dKpsk/z
鮭好きがふじゃけすぎたようです

926 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:16:49 ID:d9QbOQMp
痛い子を じゃけんにするのも 分かるなり

927 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:32:37 ID:xJwHlUi1
鮭や鮭や!鮭持ってこんかい!!!

928 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:37:54 ID:WNPXAEfi
鮭は飲め飲め飲むならば

929 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:42:13 ID:226Wq/+l
最上主演の大河ドラマがあったらこんなかんじか

奥羽の一大名でありながら、鮭を愛したため家臣領民
らを魅了し、また、もっとも妹を恐れた男・義光。
戦国の世でひときわDHA摂取量が多かったという。

930 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:47:59 ID:UTKCLwEi
言い返せなくなって現実逃避哀れw
単発IDばかりって自演確定だなw
悔しかったら全員もう一度レスしてみろよw

931 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:48:20 ID:hT8ofVgf
鮭の皮捨てるヤツ見るとイラッとするが、たまに食えないほど臭い皮出す店あるよな。

932 :人間七七四年:2008/09/08(月) 23:57:05 ID:d9QbOQMp
そういえば、今日しゃけ食ったわwチャンチャン焼きでしたー@北海道

933 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:13:49 ID:m3D1ZnPo
おれも鮭のおにぎり食べたよ。

934 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:17:11 ID:AJ8Bslu9
確かに旬の生鮭は旨いが、素焼き→醤油だけでは味気なくてたまらん。
バター焼きやムニエル、チーズ仕立てなどの対処をして凌いではいるが・・・・

935 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:19:27 ID:EG5ObHTr
鮭のあらがいいね!
あぶらがのっていて、ただ焼くだけでもうまいとおもう。
塩味もちゃんとついてて。ウマー

936 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:21:05 ID:AJ8Bslu9
誤爆です。
真に申し訳有りません。

937 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:28:36 ID:4yrly1pt
鮭に醤油は合わないだろ
健康には悪いが塩をきつめに振るといい

938 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:31:15 ID:RZYZ7QZW
>>930
時間と2chのIDシステムをよく考えてからレスしろ

939 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:42:39 ID:tKoq6fTI
>>937
最上様には申し訳ないが
油のりのりのノルウェーサーモン(外国産ですまんね)に一塩して冷蔵庫で一晩
この塩鮭はうまい。
国産の場合、レモンの果汁と薄口醤油と酒とみりんを合わせた物につけ込み
網焼きするのもうまい。

大勢の単発ID(w)で鮭話とはいい話じゃないですか

940 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:45:12 ID:udPyiM2N
鮭様が食べてた当時の鮭はとっても塩辛いと思うんだ。

941 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:45:27 ID:RZYZ7QZW
マジレスで悪いんだけどさ、こんな過疎板で単発が少ないスレのが珍しいわけだが

942 :人間七七四年:2008/09/09(火) 00:45:35 ID:EG5ObHTr
このスレの鮭部分だけでまとめてほすぃくらいだw

943 :人間七七四年:2008/09/09(火) 01:32:06 ID:oIgI/cTc
武田勝頼の家臣に、土屋昌恒という者がいた。
彼は信玄の時代から、武田の次世代を支える逸材と期待されていた男であった。

さて、織田徳川による武田征伐が起こる。

御存知のように武田は次々と城を落とされ、家臣、一門が続々と寝返る中、
昌恒は常に勝頼の側にあった。やがて天目山に追い詰められ、勝頼が自害すると言う時、
彼は勝頼の自害の時間を稼ぐため、追って来る織田軍の兵を峡い崖道で迎え撃ち、
片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しない様にし、もう片手で槍を振るい進軍を阻んだ。が、多勢に無勢、
後に「片手千人切り」と呼ばれるほど奮戦したものの、やがて討ち取られた。
しかし、彼が稼いだ時間のおかげで、勝頼たちは縄目の恥辱を受けることなく、自害する事ができた。

さて、戦後である。

この昌恒には、惣蔵と言う幼い息子がいた。織田の残党狩りを避け、親族のいた駿府の清見寺に匿われていた。
しかしそこは織田の同盟者である徳川家康の新領地。まもなくその存在は察知され、彼は徳川の手のものに
捕まり、家康の前に引き出された。
甲斐での、織田による残党狩りの禍々しい噂は、駿河にも聞こえていた。可哀想に、あの子も殺されるのだろう。
皆、そう思っていた。

ところが家康は、引き出されてきたこの、元の敵の子を、丁重に扱った。

「お主の父の最後は聞いた。わしは、お前の父のような侍を尊敬する。」

そしてこの少年に向かって言った。「出来れば、わしの息子、秀忠の、小姓になってくれないだろうか?」
彼は後、土屋忠直を名乗り、やがて上総国で2万石を与えられ、久留里城主となる。

侍の、命を捨てた忠誠は、自身も主家も滅びてもなお、子に福を与えることもある。と言うお話。

944 :人間七七四年:2008/09/09(火) 01:35:59 ID:w/ECGtwH
とれたての生鮭を炭火でさっと表面を焼いたのは超うめーかった
最上さんの気持ちもわかるわ

945 :人間七七四年:2008/09/09(火) 06:52:17 ID:a8hYHekl
>>938
こいつどういう突っ込みかすら理解できてねえwww
哀れwww

946 :人間七七四年:2008/09/09(火) 10:03:34 ID:9GePy9cE
>>945
日付変更線間際で単発にもう一度レスしろっていう低脳さんオハヨウゴザイマス

947 :人間七七四年:2008/09/09(火) 10:10:07 ID:GllW/4T7
>>945キモ過ぎ


948 :人間七七四年:2008/09/09(火) 10:14:30 ID:Fm5c9pQx
テレビ放送するような格闘技とかプロレスなんて八百長で最強演出されてるだけだろ。日本刀や弓で殺し合いするのとはワケが違う。
まぁ義弘最強とかは違うと思うが。

949 :人間七七四年:2008/09/09(火) 10:38:42 ID:S7JMGMmE
鮭も最強論も終わりにしてくれ

950 :人間七七四年:2008/09/09(火) 13:19:38 ID:ALNK7WY1
いや、鮭は終わりにしたくない

951 :人間七七四年:2008/09/09(火) 13:49:55 ID:3gAlf+lt
鮭はいいだろ鮭は

952 :人間七七四年:2008/09/09(火) 14:38:42 ID:bcCtVvW5
「」悪いスレに書こうかと思ったんだけど、「鮭」 の話でまだ出てきてないのがあったので・・・

吉川元春、1586年、天下人への道を突き進む豊臣秀吉の強い要請を受け、
弟の隆景らの説得により、隠居の身でありながら渋々九州征伐に参加した。
この時元春は膿性炎症(癌とも言われている)に身体を蝕まれていた。
そのため、出征先の豊前小倉城で死去した。
黒田如水が差し出した鮭料理を食べてしまったため、病状が悪化して死去したと言われている。

ただしこの当時、九州にて鮭を入手するのは、海運も発達していない上に、
産地である東北の大名がまだ秀吉に臣従していない以上、かなりの困難があったと思われる。
もし実話だとすれば、そのような貴重なご馳走に恐縮して断わるに断れなかった、
あるいは身体によくないと知りながら、食欲に勝てずに箸をのばしたというのが、真相ではなかろうか。

秀吉が元春を嫌っていたことを知っている如水が、「義理堅い元春なら断るまい」と食わせたか?




953 :人間七七四年:2008/09/09(火) 15:08:25 ID:ovKcbLCo
>>945
死語だがKY




福岡にも一応鮭と九州で呼ばれるものは上ってくるよ。
鮭神社ってのは、炭鉱の塵炭で汚れてた川にまた鮭上って来たよ〜、これからはもっと上ってきてね〜っていう喜びと期待のあまりに建てられた神社だし。
毎年千匹放流して、帰ってくるのは一〜二匹みたいだけど、鮭は福岡にも来るよ。
川がきれいだった戦国時代には結構普通に上ってきてたと思うよ。

954 :人間七七四年:2008/09/09(火) 15:11:04 ID:8Tdn44Hu
>>952
筑前嘉麻郡(現福岡県嘉麻市)には鮭神社ってのがあるぞ。
筑前國続風土記拾遺に上ってきた鮭を神の使いとしてた、って記述もあるし。

だから馳走した鮭は地元でとれたものかもしれんよ。
それで暖かいところの鮭だからアニサキスに当たったんじゃねぇかなぁ。

955 :人間七七四年:2008/09/09(火) 15:15:00 ID:oIgI/cTc
そういえば、戦国時代でも海運はきちんと機能してて(戦場になりやすい陸路よりもむしろ盛んだったらしい)
商品の流通も相当機能していたようだね。北海道の昆布を琉球まで運んでるし。

956 :人間七七四年:2008/09/09(火) 16:34:34 ID:NPfF0RJy
>>952
当時は福岡でも取れてた。

957 :人間七七四年:2008/09/09(火) 16:34:47 ID:a8hYHekl
>>946
やっぱりどういう突込みかわかってねえwww

958 :人間七七四年:2008/09/09(火) 16:36:51 ID:5cT2/+Hq
>>952
それWikipediaの文章そのまんまだね。悪いとは言わないけど、その記述の「食欲に〜」の部分は駄文だよね。

959 :人間七七四年:2008/09/09(火) 17:00:45 ID:3rZIxmGc
義弘とサップを脳内で戦わせてる奴まだいたのかw

960 :人間七七四年:2008/09/09(火) 17:03:44 ID:oIgI/cTc
もうそろそろ次スレ必要じゃね?

961 :人間七七四年:2008/09/09(火) 17:09:00 ID:S7JMGMmE
ちょっといい話をして下さい
鮭とかサップとかいい加減にして

962 :人間七七四年:2008/09/09(火) 17:41:29 ID:r+QBrM1Z
でも食べ物にまつわる話ってちょっといい話に結びつきそうなネタ多そうじゃない?
その象徴が鮭と。

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