5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 10:09:14 ID:9lXftl5o0
日本側、明側、朝鮮側、いろんなところからの視線を取り混ぜつつ、
広い視野から語りましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 10:49:44 ID:UljiD5yq0
朝鮮征伐
ドキュン李舜臣の無様な死

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 15:56:51 ID:9lXftl5o0
まあ、実質的には日本と明の戦争だったからね。

明の側から見れば、冊封体制への挑戦であり、
日本の側は、秀吉の意図がいまいち分かりにくいところがあるけど、
東アジアの支配者、明の立場に取って変わろうとしたわけだし。



4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 15:39:18 ID:+/xh5wLh0
文禄の役の方で、明軍を率いた李如松は、遼東の大軍閥李成梁の息子で、
その李成梁は前年に弾劾されて失脚しているけど、
息子が軍勢を率いて寧夏のボバイの乱鎮圧に従事し、そのまま朝鮮半島にも派遣されたってことは、
一族関係者が咎められることはなかったのか。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 23:36:06 ID:XZd57zT30
弟の李如柏は、サルフの戦いにも参加しているしね。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 11:52:41 ID:B9ATigu+0
16世紀の世界で最大級の武力衝突。
だけれども双方ともぐだぐだになってしまった感があるな。

明側から派遣された軍勢は、文禄の役で李如松が赴いた時で4〜5万人?
後の慶長の役ではもっと増やされたのかな?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 15:37:27 ID:h+kNeEkO0
明側は多くても10万人ぐらいじゃないかな。
これに朝鮮軍も数万人加わる。

日本は最大で16万人ぐらい渡海させたと思うけど、
実際の戦闘員の数はもっと限定されると思われ。

全般的に兵数では双方ともそんなに差はなかったと思う。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:55:35 ID:sK2XTSfe0
朝鮮征伐とか朝鮮侵略とか言いたがってるけど本質は明との戦争なんだよな
朝鮮はたまたまその中韓にあったから戦場になっただけで

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 11:29:21 ID:geudxQxy0
構図的には、ちょっと朝鮮戦争と似ている部分もあるかもね。
日本側で働いていた朝鮮人もそこそこはいたようだし。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 16:46:40 ID:vsM4qJKH0
>8>9
それこそ白村江の戦いから日清・日露も。
元寇も半島自体は直接な戦場になってないけど似たような視点で語れなくもない。
日本側から大陸方面へ勢力を浸透しようとすれば(もしくは元・ロシアのように大陸側から海にでる)
朝鮮半島が権益の奪い合いや戦場になるのは必然なんだよな。

近世以降のポーランドなんかもそうだけど半島・回廊国家の悲哀だな。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 23:39:40 ID:DO8T9hPV0
対馬と朝鮮半島の間って、実際に見に行ったらすごく近いからねえ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 11:08:34 ID:6W68FWps0
日本から大軍を渡航させることができるのって、
ぶっちゃけ朝鮮半島しかないから。



13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 23:59:09 ID:XKpKLUL30
ヨーロッパの外洋船技術を導入して、大量建造とかは、
やっぱ無理かな。



14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 03:13:57 ID:3I1JmcWb0
需要が高まればできるだろうけど
もし日本が秀吉死んでもそのまま明を攻め続けようという方針になったら技術向上してたかもしれない

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 11:56:32 ID:WYmIS1B+0
仮に外洋艦隊を作っても、
鄭和の大艦隊でも2万人ぐらいだったし、
中国の本土、江南付近に侵攻するにしても、
数万人規模の大軍を送り込むのはかなり難しいと思う。


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:10:45 ID:kUh6hsY90
元寇の時、江南から日本へ向けて発せられた軍勢は10万人規模。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 15:21:58 ID:VgP4iqZ70
台風とか、不意の事故で全滅なんて可能性がかなりありそうだし。
やはり安定した状態で、大軍を送り込めるのは朝鮮半島だけ。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 23:46:16 ID:B+R3jKUe0
朝鮮の国王の宣祖ってさ、漢城か、あるいは江華島にでも籠城する気はなかったんだろうか?

数十年後に北から清軍が侵攻した時には、江華島へ避難しようとして、
間に合わなくなると漢城近くの山城に籠城したよね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 23:52:00 ID:1lYcG/oc0
最初、今までの倭寇と同じように、南の沿岸でちょっと騒いでいるだけぐらいに思っていて、
対応が遅れたんじゃないかな?

気がついた時には、忠州も突破され、ただ逃げるしかなかった。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 23:33:38 ID:3s1z8KUa0
朝鮮軍は斥候を出すこともやっていなかったそうだからね

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:38:53 ID:kr6aF5uF0
朝鮮では日本は侵略するよ派と日本なんかファンタジーだよ派にわかれてファンタジー派のほうが王の耳障りがよかったので侵略するよ派は左遷されたんじゃなかたっけ

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 06:48:12 ID:a82izyRX0
そもそも朝鮮の朝廷では、政治的に二つの派閥があって対立していて、
日本へ送った使節も、正使と副使がそれぞれの派閥から出されていた。
それで、正使が警戒するべきだと主張したので、
対立する側にいた副使はそれへの対抗上、心配はいらないと主張した。
国王は、後者の方を信じた。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 15:23:21 ID:Bdtke26y0
宣祖って万暦帝と通じるものがあったように思う。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 23:15:41 ID:+0AdvdyM0
両班層で日本側に寝返った者、降伏して仕えた者って結構いるのかな?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 01:03:11 ID:hlYEtCk60
どうだろうね
俺の田舎の高知には城の近くに唐人町っていう朝鮮戦争で連れてこられた朝鮮人の町だったとこがある
城下町の一等地に家もらって差別されたニダだもんな・・・・
騒いでるのはここ数十年で日本にきたチョンだけど

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 05:38:10 ID:oi28Y2Xk0
>>24
結構いそうな気もするけど、
日本側の受け入れ態勢の問題もあったと思う。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:31:19 ID:HMpGfbo00
朝鮮って北の方、平安道とかは米の収穫はできたのかな?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 14:25:00 ID:Aoxrqusa0
今でも北朝鮮で稲作は行われているけど、
昔はどうだろうね?

品種的に難しかったかも知れない。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 18:27:23 ID:W2nLmJCD0
北の方は麦類や雑穀類が無難だろうね。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 23:48:03 ID:HDKH3lPs0
16世紀の世界で最大規模の武力衝突と聞いたけど、
16世紀の世界って他にどんな戦争があったかな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:11:27 ID:ReUN5OXp0
イギリスとスペインの海戦
アルマダ海戦だっけか
西洋史はうとくて
17世紀だと女真がでてくるけどな

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 19:39:02 ID:5Uws1vy20
アルマダ戦争のスペイン軍は、陸兵海兵合わせても約二万五千人程度。
多く見積もっても三万人以下。
(ちなみに欧州各地のスペイン領の全軍の合計は、十七世紀初め頃で約三十万人といわれている。)

一箇所に十万人規模の軍隊を投入、運用可能だったのは、オスマン、ムガル、明、そして日本の四カ国だけ。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:38:04 ID:leP3WCmX0
やっぱりオスマン朝絡みの戦争とか。
サファビー朝との間のチャルディランの戦いとか、第一次ウィーン包囲とか。

でも双方合わせた兵力規模、戦闘の激しさとか総合的に見たら、
日本と明の戦いが最大になるかも。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 11:37:52 ID:nrGYCyxI0
最大の戦いとなるとやっぱり碧蹄館の戦いか。

あんまり明確な決戦はないな。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:51:59 ID:ZVzJR5Ot0
加藤清正は朝鮮の王子を二人捕まえたんだよね。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 20:03:32 ID:9vF274d+0
朝鮮の土民たちが王子二人を捕まえて清正に差し出したっていう話も聞いたが、本当なんだろかw

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 02:18:07 ID:FzwBxFMG0
現代でもちょっと日本が軍国化して半島脅せばへこへこノムヒョンと金豚差し出すんじゃないかな

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 23:36:46 ID:fYnczpGv0
>>36
二人の王子、臨海君と順和君は咸鏡道に勤王の兵を募りに派遣された。
ただ、この咸鏡道は、北東の辺境部で、比較的新しい時代に朝鮮に編入された地域。
流刑地とされて犯罪者が集められていた上に、女真族も侵入するなど、
元からかなり治安の悪い地域で、住民の李氏朝鮮への忠誠度も低かった。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 10:50:38 ID:3p1HrUPL0
臨海君は長男なのに後継者に選ばれなかったんだよね。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:29:59 ID:hvv4ifTc0
光海君の軍才、功績の方が李舜臣なんかよりもずっと上なんだけど、基本DQNだからなぁw

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:34:36 ID:y5m1SPsu0
現実主義的な光海君を王の座から追放して、わざわざ清の侵略を招いてしまったあたり、
当時の朝鮮の病み具合がよく分かる。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:28:07 ID:+G2+kOeU0
>>32
スペインは、フィリピンの総督だかが、
秀吉から威嚇の手紙を受け取って、
軍事力でとても敵わないからと、
やたらと低姿勢で接していたね。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 09:28:30 ID:1RDM1LcU0
そりゃ本国の何万という兵をすぐにつれてこれるわけじゃないしな
火縄銃を大量に所持する日本と石の武器を使ってる原住民じゃ違う

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 21:16:36 ID:pnNQEch8O

愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 23:30:07 ID:NMKvQpH/0
明を征服し、植民地化するには、何万人という兵力が必要だけど、
現実に、東洋にそれだけの兵力を派遣するのは無理という問題に突き当たった時、
ポルトガルだったかスペインだったかの、総督か宣教師かも忘れたけど、
本国に、日本のキリシタン大名の兵を借りればいいと提案していたそうな。
秀吉との協議次第では、日本・南蛮連合軍による明侵攻が実現したかも。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 23:30:57 ID:NMKvQpH/0
秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1164125822/

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 22:45:47 ID:m6oL+4+k0
>>45
それでも長期に渡って占領を続けるのは難しかったと思う。

考えられるのは、両国からの技術導入によって、外洋航海能力を得、
江南に陽動攻撃を仕掛けて明軍を引きつける。
その間に朝鮮を占領するという作戦かな。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:47:33 ID:8T3PfqpW0
明朝万暦朝鮮之役之所以戦勝的原因
http://zhidao.baidu.com/question/18028420.html

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 11:40:08 ID:mnPK5OHf0
>>45
ポルトガルがマカオ利権を棒にふるリスクを犯すかな?

魯迷(鳥)銃の性能ってどうだったのか、後旧式のものとの交換はスムーズにいったのかとか

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 23:46:01 ID:uBre+WsQ0
>>49
そのへんは、日本側の交渉姿勢も含めて、
どれぐらいの勝算が見込めるかだろうな。

ポルトガルとスペインが手を組むのが前提になるだろうし。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 10:02:42 ID:WX5fSzKY0
全羅道のあたりは海岸地形が複雑だから、
上陸侵攻がしにくかったのかな?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 23:16:10 ID:1W/BLGO50
首都漢城への進路から外れていたのが一番大きい。
おかげで本格侵攻は免れ、義兵の拠点と化したようだけど。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 23:30:27 ID:/zeWZZPi0
小早川隆景も全羅道の制圧はかなり手間取ったからね。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 23:55:02 ID:RLhptOrN0
半島に上陸した全軍を強力に統率する指揮官が必要だったと思う。
本来なら秀吉自身が出陣するつもりだったんだろうけど。

小早川隆景がある程度はその役割を担ったかも知れないけど、
外様の立場では、いろいろと制約が大きかっただろう。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 11:19:57 ID:vkaR7JB50
毛利輝元もいるけど、やはり外様な上に、とても指導力を発揮する人物じゃないよな。

宇喜多秀家は若すぎる。

豊臣秀長が生きていたら一番いいんだけど。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:06:53 ID:JG3fIDTo0
豊臣秀長が生きていたら、外征を諌めて止めると思う。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 23:54:52 ID:YqdqxnTI0
徳川家康が総大将にさせられていたらどうなっていただろう?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 09:33:45 ID:8jCv0d7s0
徳川家康なら、朝鮮への渡海を命じられるぐらいなら、
豊臣政権に不満を持つ諸侯を焚きつけて、反乱を起こすかも。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 23:53:24 ID:uB/C9Avz0
関ヶ原の戦いの時、徳川家康は豊臣家家臣団内部の対立を煽り、
武功派を味方に取り込むことで、天下を手に入れた。
つまり、関東255万石の勢力を以てしても、それのみでの政権奪取は難しかった。

豊臣秀吉生存下では、豊臣家家臣団の分裂は期待できないので、
反抗するのは無謀。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 00:13:44 ID:hToQX1tX0
逆に、朝鮮へ渡った諸大名の束ね役となることで、人望を得ることができ、
その繋がりを背景に、豊臣政権に反逆することはできるかも

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 01:19:02 ID:afdy7JEx0
経験豊富な徳川家康でも、異国の国内とは環境が違いすぎる戦場で、
そんなに指導力を発揮できたかな?

まだ西国大名の方が適応する柔軟性を持っていた気がする。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 22:14:45 ID:b6UyTGzO0
鉄砲の運用では、東国大名より西国大名の方が進んでいた。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 18:02:12 ID:jZI+Cte+0
関ヶ原合戦当時では、
朝鮮の役を経験した西国大名の多くは、鉄砲の必要性を痛感して、
鉄砲の装備数が大幅に増えている。

それに対して、徳川家康らの朝鮮に渡らなかった東国大名は、
そのようなことがなかったから、
軍事技術的な面では遅れが生じていたかも。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 23:40:26 ID:7MdQbf8F0
島津義弘が、関ヶ原の戦いで、東軍の陣地を突破して落ち延びることができたのも、
鉄砲装備率の高さだろうね。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 22:11:06 ID:JzpYspNA0
この戦いって、言葉の壁はどのように作用していただろう。
後期になると、日本軍の下働きにかなりの朝鮮人がいたようだけど。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 05:52:27 ID:CrQupeOS0
別に言葉の壁なんて近世以前の戦争には大して必要ないんじゃないの
交渉できる程度の人数のバイリンガルはいただろうし

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 17:27:03 ID:hEwml+OZ0
>34
碧蹄館の戦い  明李如松4000VS小早川、黒田30000
最大の戦いとは思わない

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 19:23:38 ID:U0MHERwH0
>>67
碧蹄館の戦いにおける李如松が率いた明軍は4万人ぐらいと聞いたけどね。
明白に両軍が正面からぶつかった戦いとしては、最大規模じゃないかな。

蔚山城の戦いも大規模だったようだけど。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:36:29 ID:6QZRHWyi0
結局は、戦線が膠着状態になった期間が長かったから

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 10:57:42 ID:7i9Mp+kO0
>>60の言う危険があったから秀吉は束ね役を設けなかった。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 20:15:31 ID:r/wwWMVb0
実際、徳川家康は渡航軍の総大将となっても、積極的に戦おうとはしなかっただろうな。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 13:46:06 ID:vEJgx6cH0
泗川の戦いは、実際はどれぐらいの規模だったんだろう。
島津義弘が大勝したことは事実でも、
明軍20万人とかはありえない数字だし。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 13:31:16 ID:Kh26sWAv0
朝鮮軍を加えても十万人以上は多分無理

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 07:30:04 ID:QQje4r400
この戦役では、とにかく鉄砲の有用性が認識されたようだね。
参戦した各大名家で、鉄砲の装備率が飛躍的に伸びたようだし。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 23:16:35 ID:UoddO5vo0
明軍は20万か?冗談だな。
ただ4万だなぁ。
ただし、日本のほうは20万だ。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 23:52:04 ID:RFm0K+SE0
日本側か最大時で16万人ぐらい渡海したようだけど、
日本の戦国時代の兵力って、全員が戦闘員じゃないからね。

明軍は、最大時でも10万人は超えていないと言われているね。

戦闘員同士の数だと、両軍互角ぐらいになったんじゃないかな。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 14:13:37 ID:LCwtF19e0
日本軍では、下働きをしていた朝鮮人も相当数いたらしい。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:28:37 ID:ODsL07ig0
盛大に人身売買もしていて、奴隷にした朝鮮人を売り飛ばしているからね。

実は戦国期最大の産業は、人身売買。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 23:44:06 ID:m9BVC6hV0
【ソウル22日聯合】
慶尚南道が、玄界灘をはさんで向かい合う韓日の自治体交流会議で、
「李舜臣プロジェクト」の推進に必要な史料を双方の自治体に要請し、
来年に慶尚南道で開かれるラムサール総会への積極的な参与を求めた。

慶尚南道が22日に明らかにしたところによると、
韓日海峡沿岸情報ネットワーク第16回知事会議が同日から24日までの日程で
佐賀県唐津市で開かれる。
会議には慶尚南道、釜山広域市、全羅南道、済州特別自治道、
福岡県、佐賀県、長崎県、山口県の8自治体の知事をはじめ関係者らが出席する。

初日の会議では、開催地である佐賀県からの経過報告と歓迎あいさつの後、
各自治体の代表が国際交流増進と今後の知事会議発展に向けた意見発表などを行った。

この席で慶尚南道の金台鎬(キム・テホ)知事は、
「南海岸を第2の地中海として造成することにし、南海岸時代プロジェクトの主要拠点になる都市を、
世界的観光レジャー都市、海洋物流ビジネス都市、臨海先端産業都市として育成するため、
産業・観光・インフラ・環境の4部門別に具体化していく」との計画を明らかにした。

金知事はまた、「李舜臣プロジェクト」のうち亀甲船復元事業をスタートさせたとし、
事業の成功的な遂行のため各自治体から有用な史料を送ってほしいと要請した。
プロジェクトは李舜臣(イ・スンシン)将軍と
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を有・無形資産に発展させることを目的に、
資料館や亀甲船の復元など8大戦略事業を進めるもの。

金知事はこのほか、来年10月に慶尚南道昌原市で開かれる
ラムサール条約締約国総会への関心と参与にも期待を示した。

ソース 聯合ニュース
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/10/22/0400000000AJP20071022001200882.HTML

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 10:54:04 ID:Jv/DcJZR0
age

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 12:38:04 ID:pRPBdCvP0
>>78
国内の合戦でも実は人狩りのようなことが横行していたようだしね。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 16:46:18 ID:F1Om/9A6O
清正はヌルハチとやり合った際、女真の
技術などを入手していたらしいな。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 22:43:38 ID:smnEOU500
>>82
具体的にどういう技術なの?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 00:46:04 ID:ht3627rZO
さぁ、清正が最強って事なんじゃねぇの?
まぁ明の精鋭が集結したのは清正の
蔚山だし、強ち間違いではないな。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 21:33:38 ID:PK/cEv3I0
李舜臣が倭将加藤清正に送る降参勧告文書
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=2&nid=347225

本当かよ?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 22:16:53 ID:FQNn28lr0
>>78
つか奴隷は普通に売買されるものだろ。
朝鮮人同士だって、普通に売買されてる。
奴隷にしたではなく、もともと奴隷じゃないかな?

>>81
そんなに奴隷狩りなんてものはないよ。
普通に売っているからw
親に売られたり、食うに困った人間が奴隷になるのは、当時では当たり前。
飢え過ぎ謙信みたいに。関東に略奪、人狩りが目的で出兵するのは少数派だろう。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:50:37 ID:c01X5WUZ0
戦国時代の合戦に伴う乱取りで、人をさらって、
身代金を取るようなことはかなり横行していたと聞くが

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 11:48:33 ID:bLs3f6130
既出だと思うけど、資料。

「文禄・慶長の役」
六反田豊
http://www.jkcf.or.jp/history/2/1_1_2roku_j.pdf


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 14:23:20 ID:oPEJOKCD0
>>82
女真の技術って……騎兵?

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 20:52:29 ID:4LlzTRMo0
>>88
この人の文の内容は一件客観的中立的に見えて、
実は朝鮮人や左翼女学者の偏狭な説を最後に支持しているように、
既成左翼歴史学会の流れを組む人だね。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 12:35:22 ID:mXW+2UVQ0
>>90
文章の冒頭を見ただけでも、
左寄りな人の可能性が高いな、とは予想がつくね。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 00:29:06 ID:mF/GSUjM0
雑賀衆の一団は朝鮮側へ寝返ったそうだが……

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 02:34:15 ID:yrM6iGGR0
日本軍からの寝返り部隊沙也可なるものが、
発音からして雑賀なんじゃないかという説だな。

朝鮮軍に鉄砲の使い方も教えたようなので、
実際可能性は高い。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 14:41:07 ID:s3Gr24WY0
沙也可は戦争が終わって半島に残った後が大変だっただろうな。
あの国のことだから、差別酷かっただろうし。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 11:31:27 ID:RRANy7mo0
賎民みたいな扱いになったらしいよ。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 17:31:30 ID:RmYkMLRJ0
今でも子孫を名乗るものがいるって聞いたけど
400年前に日本人だったってだけで差別されたりするのかな

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:17:02 ID:mqW2U/k/0
モチのロンです。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 15:57:10 ID:rlB7Vm8I0
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ5 【壬辰倭乱】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 23:24:43 ID:brIBX6kU0
>>96
旧百済だった地域の住民でさえ差別されるらしいからな。
元日本人だったら、相当な酷い差別があるんだろう。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 15:34:40 ID:cgMbRejy0
現地で、日本軍の協力者になったのは、差別されていた賤民や奴隷が中心だったらしいからね。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 09:40:15 ID:uk6Pi+wk0
済州島は攻めようと思わなかったのかな?

割譲させるとしたら、ちょうどいい土地に思えるけど。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 14:10:36 ID:N0klV5h00
済州島はちょっと西に寄りすぎた孤島。

占領自体は難しくなくても、
全羅道の完全制圧もできていなかったようだし、
そこまで手を出す余裕がなかったのでは?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 13:55:08 ID:RiU72uz70
最初、攻め込んだ時、あっという間に国都漢城まで陥落して、
平安道や咸鏡道まで進軍したこと自体が予想外。

細かな面を制圧する余裕までなくなったと言える。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 09:05:53 ID:2M5GR5c90
倭寇経験者が案内役になったりしたのかな?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:32:36 ID:uRzvPDWr0
『壬辰の乱-東アジア三国戦争』:チョン・ドフィ・イ・ギョンスン編、ヒューマニスト、460ページ、2万8000ウォン

[新東亜]壬辰の乱(文禄・慶長の役、1592〜1598)と言う国際戦争に責任のある一人をあげれば、豊臣
秀吉を真っ先に指折るだろう。しかし、壬辰の乱以後、実際に東アジア秩序の主導権を握ったのは清
朝を建設したヌルハチだった。この二人は16世紀末、東アジア世界の既存秩序を転覆しようと野心を
燃やす挑戦者という点で同じだが、このように結果は大いに異なった。どうして豊臣秀吉は失敗し、
ヌルハチは成功したのだろうか。キョ・スンボムの文はその差をとてもおもしろく説明する。

筆者はヌルハチや秀吉が自分たちの野望を実現するためにまず明の分身のように思われていた朝鮮に
向い合わなければならなかったが、その対応方法が対照的だ。ヌルハチは外交を通じて朝鮮と明との
結束を遮断した後、中原を狙う慎重な歩みを見せた一方、秀吉は朝鮮を侵攻してむしろ朝鮮と明の軍
事同盟を強化させ、結局それによって失敗してしまったというのだ。

それでも秀吉の誤判断が個人的問題に起因したとは思わない。WJボートもこの本の他の論文で秀吉は
決して戦争狂ではなかったし、合理的で理性的な人物だったと指摘した。キョ・スンボムは秀吉の選
択が東アジア世界で日本が持つ歴史的位置と関連することを想起する。秀吉の日本は、明が主導する
東アジア世界の中に入った経験がないから、冊封-朝貢制度の明確な意味が分からず、ただ自分が得意
な戦争のやり方によっただけ、というのだ。一方システムの内部でその長短所を正確に理解したヌル
ハチは、新しい世界を建設することができた。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:33:08 ID:uRzvPDWr0
東アジア史に対する無理解

ヌルハチと秀吉の比較は朝鮮と日本の関係の中で侵略とレジスタンスの話として壬辰の乱を理解して
来た私たちに新しい視点を開いてくれる。先に東アジア史の観点で壬辰の乱を理解する必要性を提案
する。東アジア史の観点とは朝鮮と日本、中国と遼東などを含む他者との関係分析と同時に冊封-朝貢
関係に基礎を置いた東アジア秩序の性格に対する細心な理解を要求する。その上で壬辰の乱が論議さ
れる時、私たちは秀吉の軍事的冒険に対する歴史的評価が初めて可能であることを理解できる。

次に壬辰の乱がどのように記憶されるかについて。この本に載せられたタカギヒロシの文は明治維新
以後、日本が秀吉を顕彰して記念する過程とその現実的背景を詳しく紹介している。特に韓日強制合
邦以後、朝鮮侵略の先駆者として、ひいては大東亜建設の雄志を抱いた先覚者として秀吉のイメージ
が拡大再生産されていることをよく見せてくれる。このような操作された記憶が通用する土壌は一次
的に東アジア歴史に対する集団的な忘却と無理解にあるだろう。

西欧史学の流入で歴史の理解が国家単位に割れることで東アジア史に対する総合的理解は不可能にな
った。このような状況で東アジア史研究を推進することは現在の国家記憶が抱えている問題点を理性
的に示すことで、この地域に和解と共存の礎石を押し堅める作業になるだろう。

以上の議論は「壬辰の乱-東アジア三国戦争」における問題意識のキーポイントと言える。この本は1、
2日の努力で書かれたのではない。西江大チョン・ドヒ教授主導の下、2003年から基礎研究と資料の
調査、そして国際学術会議を経て本が出るまで5年の時間が必要となった。その結果、韓国と日本、ア
メリカ、オランダなど多様な地域の専門家が著者として参加して十分な時間を持って論文を作成した。
にわか造りの研究成果が珍しくない現実で、このような努力は高く評価を受けなければならない。

豊臣秀吉の欠陥を指摘することは韓国人の民族的情緒に符合する面があって読者に別に拒否感を起こ
さないだろう。しかし、実際この本は不都合な真実にもっと多くの章を割いている。戦争記憶の操作
は韓国人にも親しいことだったからだ。この本の前半部に載っているいくつかの文はそういう問題を
正面から扱う。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:33:34 ID:uRzvPDWr0
暗い過去を直視する勇気

チョン・ジヨンは驚くべきことに論介(ノンゲ)が倭将を抱えて死んだという話は立証できない、と主
張する。にもかかわらず今日、ノンゲが歴史中の人物と記憶されているのは、6・25戦争(朝鮮戦争)
以後、国家的危機を突破するイデオロギー装置としてノンゲの忠節が活用された結果だ。この話の中
でノンゲは芸者として本来堕落した存在だが、国家に忠誠を捧げれば純潔になることができると設定
された。ノンゲを民族の名前で顕彰するが、実は女性と疏外階層性を排除する位階論理が民族談の中
に働いていることを鋭く指摘する。

ヨネタニの文は壬辰の乱の時の日本で捕らえられていった人々の運命を追跡した。その数およそ数万
に達し、終戦後六千人以上が帰還したと推定されるが、意外にも帰還捕虜らが大部分罪人の烙印を押
される不幸な運命を受け入れなければならなかったことを淡々と叙述する。これまで日本の大規模な
人身掠奪を責める声が高かったが、実際に帰還捕虜たちを朝鮮でどのようにもてなしたのかについて
は関心がなかったことは事実だ。

ハ・ヤンヒの文は、紅衣将軍、郭再祐(クァク・チェウ)が丁酉災乱(慶長の役)の時、昌寧の火旺
山城で日本軍を打ち破った、という話が後代に操作されたことを実証する。英祖(ヨンジョ)代の老
論(訳注:李氏朝鮮の党派の一つ)の精神的支えである趙憲と七百の銃を顕彰すると、彼に対抗して
南人(訳注:同じく党派の一つ)集団が「同苦禄」を出版して火旺山城の話を作り出したというのだ。

以上の文等は壬辰の乱に対する韓国人の民族的記憶が実際には信頼できない、という戸惑う事実を悟
らせてくれる。

一方ジョン・B・ドンコンは歴史では、記憶が国家や特定の集団によって操作されるだけではないこと
を幅広い視点で見せてくれる。彼は壬辰の乱以後民間に流布した「壬辰録」に現われた日本と中国に
対する敵対感を指摘した後、開港以前にすでに朝鮮の非エリート層の間に自分たちが住む郷村社会を
飛び越えた一体感が存在したと評価する。壬辰の乱という戦争経験は漸進的に韓国社会に‘民族’が
形成される基盤を提供したわけだ。

李舜臣の記憶に対する系譜を追跡したチョン・ドヒは、さらに記憶研究の当為性を強調する。彼は李
舜臣に対する近代的記憶を検討した結果、シン・チェホを除けば、みな李舜臣が当面した朝鮮の現実
を話さなかったと指摘する。李舜臣は恐ろしい現実をしばらく忘れるための逃避先(229ページ)だった
わけだ。チョン・ドヒは韓国でも日本でも自分たちの暗い過去を直視する勇気がなければならないし、
そうするためには李舜臣と壬辰の乱に対する記憶の歴史を歴史的に暴く努力が必要だと力説する。

キム・ソグ郡山大講師・史学
naver/新東亜(韓国語)‘壬辰の乱-東アジア三国戦争’ 新東亜
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=262&aid=0000000958

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 15:15:47 ID:gW21nSE20
>>105
東アジア三国って、日本と明と女真?

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 14:12:19 ID:hpNtBwZW0
豊臣秀吉とヌルハチでは、条件が違いすぎるだろう。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 22:52:41 ID:vTIAVCYs0
明を滅ぼしたのは、直接的には清じゃないしね。
自壊のようなものだし。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 08:14:56 ID:ZFZcuCdj0
明を滅ぼしたのは李自成だよ。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 14:02:09 ID:IfpujNz40
李自成の勢力範囲を地図上に描くと、華北一帯をぐるっと囲ったようになるけど、
実際にはどれぐらい統治できていたんだろう?

基本は、流賊集団だしね。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 21:50:52 ID:64T3VOmd0
崇礼門、この戦役でも残ったのに……

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 22:55:53 ID:gBZ+ei7K0
>>113
百年後とかに、普通に、その戦役で焼失させられた事に成ってそう…

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 23:08:17 ID:93LCYIzD0
超時空太閤ヒデヨシの仕業ですなw

ま、焼け落ちるところをテレビで見た時は、さすがに心が痛んだけど。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 00:04:43 ID:47ZMcoA00
当時日本の軍隊はまるで農民武装のようで、明の軍隊と比較にならなかった。
明が文禄・慶長の役のために払った白銀は明の皇太子の結婚式に払った白銀より安かった。

つまり、日本の戦国時代の戦争は農民の喧嘩のようだった。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 05:16:38 ID:wv0gPSUA0
戦国時代っと、農民の喧嘩がエスカレートしたようなものだろう。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:26:13 ID:iJYxAmtn0
>>116
さすが萬暦帝、大馬鹿だな。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:46:51 ID:OSGvNlfz0
万歴帝な

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:16:39 ID:bg6weumA0
>>119
プッ やっちゃったね。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 13:47:21 ID:E1AwDB770
明は朝鮮の役で900万両使ったらしい。
皇太子の結婚式では30万両使ったらしい


万暦帝からみて、秀吉が結婚式30回分の戦争だったと思うと泣けてくる

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:35:38 ID:RudAAO+M0
 世界的なオンライン百科事典や有名ウェブサイト、米国の教科書などが李舜臣(イ・スンシン)
将軍を卑下するなど歪曲していることが明らかになった。

 サイバー外交使節団バンクは7日「慶尚南道(キョンサンナムド)と共同で推進中の2008年
‘李舜臣世界化事業’の一環でオンライン百科事典と海外の教科書、有名ウェブサイト上で紹
介された李舜臣と壬辰の乱の内容を分析した結果、李舜臣将軍の業績を卑下して壬辰の乱
の期間と亀船の開発時期を間違って表記するなど歪曲が深刻だった」と明らかにした。

 エンサイクロペディアン(encyclopedian.com)と豪州の百科事典(encyclopedia.kids.net.au)、
知識百科事典(knowledgerush.com)、エンサイクロペディアフォーユー(encyclopedia4u.com)を
含んだ百科事典たち(fact- index.com,allyouneedtoknow.org,websters-online-dictionary.org)
は「李舜臣将軍が日本との休戦協定を破って露梁海戦で撤収する日本軍を攻撃した」と記載
している。

 これは李舜臣将軍が正当な戦争で勝利したのではなく、まるで卑怯で卑しく戦争に臨み結局
戦死したように描く説明のため、これを放置した場合全世界の外国人に李舜臣将軍に関して
間違った印象を与えるようになる余地が大きいというのがバンク側の主張だ。

 米国ヤフーのサイト(travel.yahoo.com)、旅行チャンネル(guides.travelchannel.com)などの
サイトは壬辰の乱時に12隻の亀船だけで133隻の日本艦隊を炎で焼いたと手短に紹介した。
李舜臣将軍のリーダーシップと板屋船、火薬武器、朝鮮水軍の勇猛さなどは勝利の要因から
除かれたのだ。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:36:00 ID:RudAAO+M0
 またバイオクローラー(biocrawler.com)、ファクトブック(factbook.org)などは「1592年4月壬辰
の乱が起きて、1592年12月李舜臣が率いる抵抗勢力に押され(日本が)撤兵した」と表記して
いる。日本の撤兵は1598年11月だ。

 さらには知識検索サイトであるアンサードットコム(answers.com)は李舜臣将軍の名前を
‘ビ・スンシン将軍’に、ファレックスドットコムは李舜臣将軍が古文島で戦死したと間違い
は少ない。

 米国の教科書32種類の中で李舜臣将軍に対しての内容がある教科書は3種類しかなく、そ
れさえも内容は3列位で短かった。また壬辰の乱を載せた教科書は7種類で、大部分は韓国史
ではなく日本史の豊臣秀吉を説明しながら扱っている。

 世界4大海戦と関連、海外ウェブサイトでネルソンのトラファルガー海戦を検索すれば39万7
千件余りが出て、カレー海戦は29万6千件、サラミス海戦は8万3400件が検索されるが、李舜臣
将軍の閑山大捷は1370件に過ぎない。

 パク団長は「全世界にキチンと知らせるため3月中旬に‘李舜臣世界化’英文、ハングルサイ
トを開設する予定」と明らかにした。

▲聯合ニュース(韓国語) 2008/03/07 15:32
<이순신 장군의 이름이 '비순신'이라고?>
<李舜臣将軍の名前が 'ビ・スンシン'であると?>
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2008/03/07/0706000000AKR20080307131800069.HTML

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 20:14:16 ID:ajbEVHjA0
あげ
朝鮮に兵を入れるなら、いつどの国でも酷い目に遭う。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 22:53:12 ID:7jgRVHmY0
明の武官の最大関心事は、いかに多くの戦費をせしめるかだろうな。

負けるのは困るけど、簡単に勝って戦争が終わるのも困りもの。
ほどほどに長引くのがいい。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 21:02:11 ID:Kcwub7Lz0
李舜臣の書いた乱中日記の欠落部分が新発見されたらしいな。
忠武公全書に纏める時に相応しくないので省かれたらしい。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/04/02/0200000000AJP20080402002200882.HTML

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 23:44:54 ID:jXsvNtZt0
>>126
判読・翻訳って……今までは漢字をきっちり読めていなかったってこと?

128 :駄目だな朝鮮:2008/04/14(月) 09:27:02 ID:HVEQjO59O
>>126
902 名無し三等兵 sage 2008/04/13(日) 21:12:35 ID:???
大勝だとか違う負けだとか言われている鳴梁海戦の後に朝鮮の前線の押し出しは停滞していたの?

http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200804110000/
それより注目すべきところは、海戦のあった海域です。
折爾島が居金島だとすれば、古今島のすぐ東方、日本軍最左翼である順天倭城からはかなり西方であり、前述の「乱中雑録」記述とも重ね合わせれば、海岸沿いの明鮮水軍の前線が1597年末から全然前進していないことになります。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 00:41:42 ID:4Wzck+Rw0
ようつべで動画ハケーン
ニコ動にも一部がうpされてる『不滅の李舜臣』
全編有るみたい? 英語字幕付きで分かりやすいかも。

The Immortal YSS Ep. 1 Part 1
ttp://www.youtube.com/watch?v=tKKp0tguDYY&feature=related

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 14:10:44 ID:+uwV0rRS0
http://mywiki.jp/yuto/%8Eh%8C%83%93I%82%C8%90%E0/%92%A9%91N%8Fo%95%BA%8E%9E%81A%93%87%92%C3%8E%81%82%C6%96%BE%82%AA%92%CA%92%AB%82%B5%82%C4%82%A2%82%BD/
戦争が長引いたら、明軍の大船団が南から日本に上陸したそうだ。
島津もこの陰謀に加わっている。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 23:51:50 ID:CUEQjnSl0
島津と言えば、かなり後だけど、
明が滅びた後の南京の亡命政権とも接触していなかったっけ?


132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 08:09:51 ID:deBF8pZt0
国性爺?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:17:43 ID:jtTgGs+X0
>>132
国姓爺鄭成功が担いだのは福建の政権だけど、
その前に、一応は正当な政権として南京で擁立された皇帝がいた。
すぐに滅ぼされたけど。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 01:11:32 ID:ysNojJJz0
乱中日記:「消えた32日分」の内容が明らかに
http://www.chosunonline.com/article/20080415000057
>現在までその実態が明らかになっていなかった1598年7月の「折爾島(現在の全羅南道居金島)海戦」に関する記録もあった。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 22:47:48 ID:KjYLI9/O0
関連スレ
秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/


136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 08:56:53 ID:s2i3bOw7O
この戦争は誰が中華英雄だったの?

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:59:00 ID:WYwUbJIz0
文禄の役では、直前にボバイの乱を鎮圧した李如松が、
ちょっとした時の英雄って感じだったけど、
碧蹄館の戦いで負けてしまったしね。

泗川の戦いで明軍を指揮した董一元も、あんまり重要人物とも言えないしな。
経理の楊鎬も、負け戦を勝ったと偽って報告して解任、
二十年余り後のサルフの戦いでもボロ負けしたし。



138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 05:41:56 ID:wrDGn0s/0
2ちゃんねるは統一協会が運営(3:20から)
2ちゃんねるは朝鮮カルト、ユダヤ権力にとって不都合な発言をする人間のIPアドレスを取ったり、個人情報を集めるための道具
http://jp.youtube.com/watch?v=D9_KTEk2ukE

【社会】「言いたいことは言えたので、スッキリ」 ベンジャミン・フルフォードさん、山口組総本部前で拡声器で抗議活動★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213784588/
山口組の本部に行ってきました・・ベンジャミンさんのブログ
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/06/
レポ・・ベンジャミンの山口組本部「道場破り」見に行ってきますた。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/20
92/1213458949/50-51   ←↑接続

在日なのに同和幹部(?)で元ヤクザで創
価の金さん 妻に射殺される  
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1213694629/ 

830 : カー・コローグ・ヨメ(コネチカット州):2008/06/18(水) 09:10:12.30 ID:LfOctBI0O
ニュースで流れた金さんの自宅の表札が日本名だった件

ヤクザの9割は「在日と同和」、彼らは恐喝のために右翼団体を名乗る
http://www.youtube.com/watch?v=2uTFIS1RDJg

偉人渡辺昇一が何十年も考え続けて得た結論。
「反日思想の源泉」 渡部昇一
http://www.youtube.com/watch?v=BzfpilmxgBU

勝谷誠彦 【在日特権】三重県伊賀市 住民税減免問題
http://jp.youtube.com/watch?v=ChfpqdwyBTA

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:41:13 ID:otwRgv9W0
>>136
俺的には沈惟敬かな。
有る意味、口先だけで日明朝の三国を、手玉に取ったし、
何だか、春秋戦国時代に活躍した、縦横家を彷彿させる。
まぁでも、結局口先だけのペテンなので、最後は処刑されちゃったけど…

キャラ的には凄い面白いと思う。
こんなにキャラが立ってるのに、立伝されて無いのが惜しいな、と思う。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:08:10 ID:LGa7f69E0
島津義弘、加藤清正って
現在の中国ではどう思われてるのかな?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 01:33:59 ID:Tw7gQzCA0
>>140
日本から輸入された、戦国時代を題材としたゲームによって、
若い世代を中心に知られているw

ゲームから入って、(日本の)戦国オタになった人が結構いたりするんだわw


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 10:36:09 ID:xWHk50+V0
明軍は大軍を擁して総攻撃をしたのに蔚山を落せず、少数でやってきた日本の援軍に野戦で大敗している。
なにやってんの、明?



143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 23:30:47 ID:TSI7iQUd0
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」 

 1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。


朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 01:27:00 ID:zZcjMiDC0
>>142
援軍に来たのは、小早川秀秋、黒田長政、毛利秀元らだから、
少数と言うほど少なくもないだろう

ま、明軍もだらしないけど
指揮官の楊鎬は、サルフの戦いでもしくじっているから、人選ミスだろう

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 17:18:04 ID:b5uf6xIR0




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/male/1207390699/
(↑424を見てください↑)
(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))(((( ;゜Д゜)))うわああああ

中国のマジ本物の拷問レイプ画像動画っ!!!

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 12:16:48 ID:hvH8Gqgq0
>68
やはり日本と中国の歴史記録が違う。
中国明実録に載ってあるのは最初2000人の明軍が小早川に囲まれ、李如松は1000人を連れ救出しようと思って
囲まれ、残る楊元はあと1000人の騎馬鉄砲隊(三連発の火銃、射撃終了、銃口を握り、ハンマーとして使える装備)
を連れて突撃、李如松と合流後撤退成功。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 23:48:29 ID:q+z81bbT0
兵数は数え方によって違ってくるからね
兵站要員まで数える場合と、騎兵中心の戦闘員だけ数えたのでは、
当然数字が大きく違ってくる

44 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)